現在国際空港行き専用急行便が走っているように、
かつて横浜港と東京を結ぶ専用路線(臨港鉄道)がありました。
1920年(大正9年)7月23日に運行開始、戦争とともに廃止されます。
戦後、国際港から太平洋航路が復活とともに短い期間でしたが1957年(昭和32年)8月28日から1960年(昭和35年)8月27日まで東京駅〜横浜港駅間にボート・トレインが復活しました。
横浜の港湾施設と東京を結んだ「臨港鉄道」についてはこれまで何度か紹介しています。
No.205 7月23日 (月)駅を降りたら、国際港
No.62 3月2日 (金) みらいと歴史をつなぐ道
ここでは、ボート・トレインの1920年(大正9年)7月23日から1960年(昭和35年)8月27日までの歴史の中で、復活の3年間に注目します。
(北太平洋航路の復活)
1953年(昭和28年)7月22日に横浜港から一隻の客船が、北米・シアトルに向けて出港しました。北米航路の女王とよばれた「氷川丸」の復活です。戦争前夜の1941年(昭和16年)の夏に航路が休止されてから、12年ぶりのことです。黄金時代の北米航路は「平安丸」「日枝丸」と合わせて3隻で運行されていましたが、この2隻は戦時徴用で沈没し「氷川丸」だけが生き残ります。
■最後の氷川丸
1953年(昭和28年)6月三菱造船で復帰のために大改装されます。
7月22日に横浜〜シアトル航路に定期貨客船として復帰します。
1953年(昭和28年)〜1960年(昭和35年)多くのフルブライト交換留学生を乗せました。
1959年(昭和34年)7月26日第52次航で宝塚歌劇団北アメリカ・カナダ公演のメンバーが乗船し桟橋は五千人を越えるファンで埋め尽くされました。
寿美 花代(すみ はなよ)、浜 木綿子(はま ゆうこ)他
演目は「花の踊り」「四つのファンタジア」「宝塚踊り」だったそうです。
そして
1960年(昭和35年)第60次航をもって運航を終了します。同時に日本郵船もシアトル航路から撤退することになります。
■氷川丸を支えた臨港鉄道
「氷川丸」復活で日本郵船から国鉄に要請があり、1957年(昭和32年)8月28日から「横浜〜シアトル間」の航路に接続して復活運行されたのが「東京駅〜横浜港駅間」の横浜臨港線でした。
氷川丸出入港に合わせて運行されるので、時刻表には掲載されていなかったそうです。
東京駅10番ホーム〜横浜港駅間を約40分で結びました。東京駅10番ホームは現在も東海道本線特急急行用ホームとして利用されています。
通常はC58蒸気機関車に4両編成で運行されていましたが、1959年の宝塚歌劇団の時には10両編成にしてファンに備えたそうです。
東京駅10番線発車メロディー
http://www.youtube.com/watch?v=wlBlQEjWt2k
【もうひとつの8月28日】
1970年(昭和45年)8月28日
大岡川分水路建設工事起工式が挙行されました。
No.192 7月10日(火)もう一つの大岡川
No.187 7月5日(木) 目で見る運河