No.205 7月23日 (月)駅を降りたら、国際港

1872年(明治5年)に初めて横浜と品川間の鉄道が開通し2012年で140周年を迎えました。開通から半世紀のちの1920年(大正9年)7月23日の今日、
東京駅と「横浜港駅」間が開通しました。
“横浜港〜サンフランシスコ間航路”に接続するための臨港線が開通したことはあまり知られていません。
今日は現在赤レンガパークに保全されている
「横浜港駅」を中心に横浜鉄道史の断片をご紹介します。

横浜港駅(2002)

(新しい埠頭の誕生)
明治の中頃、幕末の開港以来横浜港には西波止場・東波止場がありましたが、船舶の大型化に対応できず、沖に停泊し艀(はしけ)と使って荷物の運搬を行う状態が続いていました。
特に大型貨客船の接岸は、横浜港の重要な課題でした。
そこで新しい埠頭「新港埠頭」を増設する工事が1899年(明治32年)に始まり1914年(大正3年)に完成します。

新港埠頭

「新港埠頭」は大岡川の河口沖合に生まれた人工島です。
現在の地図を見てもこの島を幾つかの橋が結んでいることが良くわかります。

「新港埠頭」は大きく二本の突堤に11隻の船を横付けできる岸壁を持つものでした。
そこに日本最大の物流拠点が誕生しました。

(日本最大の物流拠点)
東京港が本格的な国際港として稼働する戦後(開港は1941年(昭和16年))まで、
横浜は首都圏の唯一の国際物流拠点でした。
「新港埠頭」誕生と同時に、Yokohama Red Brick Warehouse「新港埠頭保税倉庫」(赤レンガ倉庫)が誕生します。
岸壁と保税倉庫に加え陸路の物流に鉄道が整備されました。

そこで「新港埠頭」の増設と同時に、臨港鉄道も併せて整備されました。
1920年(大正9年)7月20日に「横浜港駅」が開設し
23日に「東京駅と横浜港駅」間鉄道が開通することになります。

特に日米航路の出発地だった横浜港駅は、
物流だけではなく「旅客者」が乗降する駅でもありました。
日本郵船の日米航路定期船に合わせ乗船客や見送りの人々がこの車両を利用しました。
終点の横浜港駅を降り、その足で外国航路に乗船する。
ロマンチックな光景を想像することができます。
東京と国際港を結ぶ臨港鉄道は飛行機にその首位の座を渡すまで、
成田空港駅のように“港”に欠かせないものでした。
この臨港鉄道
1960年(昭和35年)8月27日、氷川丸出航に合わせて運行された旅客車両を持って運行を終了します。その後、桜木町から横浜港区間は貨物路線としても役割を終え、廃線となりました。
1997年(平成9年)路線の一部を整備し「汽車道」として一般に公開され現在に至っています。

汽車道

「横浜港駅」もこの歴史を伝える近代史資産として赤レンガパークに残されています。
かつて臨港線だった貨物線は現在も桜木町から一部地下化し京浜地区の物流を担っていますが、さらに有効活用を願う声も大きくなっています。

(横浜は鉄道の原点都市)
今年7月10日に「原鉄道模型博物館」もオープンしたこともあります。横浜の魅力コンテンツに「鉄道」は欠かせません。
横浜駅は一つの駅に乗り入れている鉄道事業者数日本最多の駅です。
2001年に開催された現代アート展「第一回横浜トリエンナーレ」では鉄道をモチーフにした作品も登場しました。

オノ・ヨーコ「貨物車2001」
汽車道にはナウイン駅をモチーフにした「横浜サーラ」
当時の解像度が低くてすみません

アーティストが開場の歴史的文脈を感じ取った証といえるでしょう。

東急東横線の桜木町〜横浜間の架橋の活用も含め、
鉄道の150周年(2022年)までに横浜の魅力づくりに加えて欲しいコンテンツです。

(新港埠頭関連ブログ)

No.241 8月28日(火)駅を降りたら、国際港 復活(その2)
3月2日 みらいと歴史をつなぐ道

No.335 11月30日(金)午後1時46分41秒
新港埠頭に停泊していたドイツ船ウッカーマルク号が突然爆発

No.103 4月12日 「新港埠頭保税倉庫」から「赤レンガ」へ

No.307 11月2日(金)日本波止場に万国橋

No.266 9月22日 (土)ハマの赤レンガ
1888年(明治21年)9月22日(土)の今日、横浜区相生町68番地に横浜煉化製造会社が創業

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