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横浜年表ピックアップ【10月14日】

横浜の出来事を年表からピックアップしました。
今日は鉄道をめぐる10月14日関係を中心に紹介します。

●1934年(昭和9年)の今日は
「鉄道記念日」にあたり「鉄関係」を
外国人墓地にエドモンド・モレルの碑ができました
(中山沖右衛門設立)
○1962年(昭和37年)の今日
国鉄が、外国人墓地のエドモンド・モレル碑を
“鉄道記念物”に指定します。

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“鉄道記念物”は1958年(昭和33年)から指定され
この年の鉄道記念物は
・秋田第1号鉄道飛砂防止林
・蒸気動車(キハ6401号蒸気動車)
・西園寺公望自筆の鉄道国有法案説明草稿 
最近では
2010年(平成22年)JR北海道が指定した
しづか号機関車、い1号客車、大勝号蒸気機関車です。
頑張れ!!!JR北海道

○1969年(昭和44年)の今日
日本で最古の蒸気機関車クラウス17号が
キリンビール鶴見工場(生麦)で公開されました。(〜10月26日まで)
http://ameblo.jp/suganuma-tenko/theme-10002182761.html

○1972年(昭和47年)の今日
国鉄創立百年を記念して、汐留と横浜間で二日間
蒸気機関車を記念運転しました。

○1986年(昭和61年)の今日
鉄道友の会、高島ヤードに「鉄道博物館」建設の要望書を横浜市他関係団体に提出します。
※2007年(平成19年)10月14日の今日、横浜ではなく
 さいたま市大宮区大成町三丁目47番にオープンしました。
 http://www.railway-museum.jp/index.html

○2012年(平成24年)7月10日に
 原鉄道模型博物館が横浜市の高島にオープンしました。
 http://www.hara-mrm.com
★何時設置されたのか?判りませんが
 桜木町駅構内に モレルの記念碑があります。
 (灯台下暗し 写真撮ってません)

●1936年(昭和11年)の今日
「新京濱國道」第二京浜国道の起工式が行われました。
第二京浜は起点東京市荏原区戸越町(西五反田)、終点が横浜市神奈川区神奈川二丁目(青木通交差点)を結んでいます。
1949年(昭和24年)4月に車道が開通します。
全面完成はその後約10年の時間を要し
1958年(昭和33年)3月に全線開通しました。
「第二京浜」横浜区間には「響橋(めがね橋)」や「岸谷の湧水」などがあります。

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●2000年(平成12年)の今日
関東の鉄道に共通するカード乗車券「パスネット」が発売開始されました。
PASMOではありません。(英称:Passnet)
この時点で導入したのは営団地下鉄・小田急電鉄・京王電鉄・京成電鉄・相模鉄道・新京成電鉄・西武鉄道・多摩都市モノレール・東京急行電鉄・東京臨海高速鉄道・東武鉄道・東葉高速鉄道・都営地下鉄・北総開発鉄道・ゆりかもめ・横浜高速鉄道(こどもの国線)・横浜市交通局(横浜市営地下鉄)の17社・局で最終的に関東地方(主に南関東)の鉄道(私鉄・地下鉄)22社局共通の磁気カードとして利用されました。

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2008年3月14日まで運用
1,000円・3,000円・5,000円の3種類が発売
パスネットは将来の共通化を目的にJR東日本のイオカードと規格をあわせていた。しかし、結局磁気カードによる共通化は実現せず、一部のJRとの共同使用駅の自動精算機でJR線運賃の精算に使える程度

●1869年(明治2年)の今日
後にジャーナリストとなった成島柳北が32歳の時、
義兄と備中(岡山県)に行くため、当時速度が早かったアメリカ船に乗船するために横浜にやってきます。
ところが、出航延期となってしまい横浜に三泊しで出港を待ち17日の午後5時に出航します。それでも従来の旅に比べてかなり早い旅でした。

鉄道も無く、国内移動の多くが徒歩だった明治初期、
客船航路は外国船籍が独占状態でした。
成島柳北に関しては以前※紹介しましたが
明治維新早々に、外国の技術力の高さに触れた小さな旅でした。

※横浜年表ピックアップ【10月11日】

●1905年(明治38年)の今日
東京飯田橋の料亭「富士見楼」で日本山岳会の設立について最終的な打ち合わせが行われ、この日が「日本山岳会の設立の日」とされています。
東京で設立された「日本山岳会」と横浜の関係は?
この日本山岳会設立の発起人は7人いました。
初代会長となった
※小島烏水(作家で横浜正金銀行員)
財政面から強力な支持者となった高頭仁兵衛(二代目会長)
※武田久吉(6代会長)
河田黙(かわだ しずか)
梅澤親光
※高野鷹蔵(回漕業主)
弁護士の城数馬(じょう かずま)
以上7名ですが
欧米で組織化されていた山岳会の設立を強く進めた人物が
ウォルター・ウェストンです。
1905年(明治38年)3月に二度目の日本滞在を終えて、故国イギリスに向けて帰国する直前、横浜で知り合った4人の山友達を食事会に招きます。
その時のメンバーは小島烏水、岡野金次郎、武田久吉、高野鷹蔵で、
彼らに加えて 上記の仲間達が 小島烏水を中心に“横濱会議”が頻繁に行われます。
準備のため「同志の人々は、何十回となく会合した。恐らく何百通といふ手紙の、やり取りをやったらう」というほどでした。
小島烏水自身も横浜・東京間を何度も往復し、会の設立に奔走します。

「今回法学士城数馬、「博物之友」記者武田久吉、「日本山嶽志」著者高頭式、その他の同好諸氏と相質り、欧羅巴アルプス倶楽部の例にならひて、山岳会なるものを組織し、山岳を文学、芸術、科学等の諸方面より研究せんがため、本会の機関雑誌「山岳」を、毎年三回発行して、汎く同好者に儀たんとす、入会御希望の方には、規則書を呈すべきに就き、左記の拙宅宛に御申込を乞ふ。」
 横浜市西戸部町山王山八百九十八番地  小島烏水    
日本山岳会は 横浜から誕生したといっても 過言ではないでしょう。

No.118 4月27日 蟹とたはむる

●1922年(大正11年)の今日
山下橋開橋式、山下町海岸埋立竣工祝賀会がグランドホテルで開催されます。
一年後の1923年(大正12年)9月1日に関東大震災が起ります。
震災復興計画が次々と立案されるなかで、
10月14日横浜の復興都市計画案の中で、海岸公園として「海岸遊歩道構想」が計画されます。これが現在の山下公園となっていきます。

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山下公園に関しては、
1925年(大正15年) 6月に着工
1930年 (昭和5年)2月28日に完成
  同年3月15日に開園します。
1935年(昭和10年)には
  3月26日〜5月24日の期間、
  山下公園で「復興記念横浜大博覧会」が開催されます。
このあたりの「山下公園」を巡る話しは
 エピソード満載ですので、もう少し整理して
 改めて紹介しましょう。

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