横浜年表ピックアップ【10月11日】

横浜の出来事を年表からピックアップしました。

●1879年(明治12年)の今日
「成島柳北(42歳)鎌倉を見物したのち、公田から大岡に出る近道をして五里を歩き、横浜停車場に着く。」
当然、全ての道程が“徒歩”です。昔の人は健脚でした。
成島 柳北 (なるしま りゅうほく)、幕末は幕府の将軍侍講、奥儒者で、明治維新後文学者、ジャーナリストとして活躍します。(姪孫に俳優の森繁久彌)

Wikipediaより

成島家は19世紀前半から幕府の『徳川実紀』『続徳川実紀』『後鑑』などを編纂する
家に生まれ、将軍家の学問を進講する将軍侍講の任に就きますが批判したために解職。
この頃から洋学を学び、維新後1872年(明治5年)欧米を巡ります。この時に岩倉具視、木戸孝允らと出会い、欧州では共済制度を学び帰国後、安田善次郎と共に日本最初の生命保険会社「共済五百名社」(現在の明治安田生命)を興します。
一方で、ジャーナリストとして1874年(明治7年)に『朝野新聞』を創刊し初代社長に就任します。



暦で語る今日の横浜【9月24日】

大隈重信が設立した早稲田大学の初代の議員となり「朝野新聞」社論でも大隈重信の改進党に近い言論を展開します。
前米大統領のグラント訪日の際には接遇委員を勤めました。

No.247 9月3日(月)坂の上の星条旗(前)

No.248 9月4日(火)坂の上の星条旗(後)

ところが、次第にジャーナリズムに関心を失い、文学や風流に傾倒していきます。
彼の代表作?『柳橋(りゅうきょう)新誌』はその名前の通り色街「柳橋」のエッセイとガイドブックを一緒にしたような作品です。
遊郭街の繁盛ぶりを紹介しながら、そこに絡む人々の人情を描きました。

今日紹介した成島柳北、横浜道行の一行は
彼が浜松からの帰途に箱根塔之沢の玉の湯、湯本の福住(萬翠楼)に泊まり、小田原から東海道を上ります。藤沢で昼食後東海道を離れ江の島に行き、江戸時代からの老舗、伊能忠敬も利用した旅館夷屋吉右衛門に泊まります。
※割烹旅館「惠比壽屋」藤沢市江の島1-4-16に現在も営業しています。
そして10月11日の今日、鎌倉を見物したのちに公田から(上)大岡に出る近道を五里歩き、横浜停車場に着く徒歩旅行を終えます。

●1918年(大正7年)の今日
小説家「田村俊子」34歳
朝日新聞記者“鈴木悦”の後を追い横浜港から「メキシコ丸」で出航しカナダに向かいます。その後18年間アメリカ、カナダバンクーバーで暮らしますが、“鈴木悦”が亡くなり1936年(昭和11年)3月31日18年ぶりに帰国します。
官能的な退廃美の世界を描き、自由奔放な生活を私小説にした作品が多い。
日本敗戦直前に上海で脳溢血により客死します。

●1973年(昭和48年)の今日
商工会議所百年史によると
「新相鉄ビル」に横浜高島屋の増設店舗が開店した とありました。
正確には
新相鉄ビルと高島屋ビルからなる「相鉄ジョイナス」の
横浜高島屋部分”が完成し開店しました。
ジョイナス部分”は遅れて
1978年(昭和53年)5月に全館リニューアルして開店しました。
屋上にはジョイナスの森彫刻公園、
4階には吹き抜け「市民の憩いの広場」があり当時としては斬新な試みでしたが、途中で店舗となり“先人”の努力が消えていってしまったのは実に悲しい限りです。
※現在横浜駅ビル改築でどうなるのか?
 期待したいところです。


ジョイナスの森彫刻公園は
1986年(昭和61年)に横浜市「まちなみ景観賞」
1991年(平成3年)には写真による屋上利用コンクール最優秀賞「建設省住宅局長賞」を受賞。

http://www.sotetsu-joinus.com

No.265 9月21日(金)ぺんぺん草の後に

No.328 11月23日(金)横浜駅東西戦争史

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tadkawakita
  • tadkawakita
  • 横浜の歴史にざくっと関心をもって15年です。本腰をいれて学び始めて5年となりますが、学べば学ぶほどに深くなっていきます。
    Y2345というキーワードを作りました。1923年〜1945年までの横浜を軸に「横浜史」を乱学しています。
    史実に出会ったら、できるだけ現在の地を訪れるよう努力しています。

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