1874年(明治7年)7月26日(土)の今日、
住吉町1丁目9番地に完成した最新設備を誇る“港座(湊座)”劇場の杮落し公演が行われました。
煙突のある建物の隣が港座。煙突はガス会社から電気会社に、現在は東電の変電所 |
横浜公園の隣。現在は雑居ビルが建っています。 |
かつて芝居小屋は街の賑わいのシンボルでした。
人・モノ・情報、そしてお金が集まった横浜界隈は日本有数の賑わい空間でした。
明治25年赤い場所が大型の施設 縦にベルト上に建っています |
その中心地が関内、関外エリアです。
横浜界隈には下田座、羽衣座、喜楽座、蔦座、賑座、相生座他 大小合わせて20以上の劇場がありました。
その多くが伊勢佐木界隈に集中していましたが、これに対しビジネス街のど真ん中に最新の設備を誇る劇場を建てたのが“豪商”高島嘉右衛門です。
ガス会社、鉄道、学校創設など、日本初と日本一が大好きな高島嘉右衛門が、一世一代の投資をして彼我公園脇に日本で初めて近代技術“ガス灯”を装備した劇場「港座」を建てました。
ガス灯は、街路を照らすだけではなく劇場のような集客空間の夜間ビジネスの最新モデルとなりました。
劇場「港座」は明治33年にその幕を閉じますが、往時を懐かしむ記事がでたように横浜経済のピークを象徴するものでした。
横浜の芝居に関する貴重な資料です |
「我市の盛時に於て故団十郎は三度来りて我港に妙技を振えり、高島屋血達磨一世一代の大入りは東京に見ずして却って我市港座に之を見たりき、娯楽場の盛衰は実に一市の活力に伴うもの、今日人口往時に幾倍し而も一劇場の見る可き無し」(横浜貿易新報 1916年1月号)
(超一流尽し)
とにかく最新、日本一にこだわった高島嘉右衛門は、芝居小屋「港座」の杮落しに当世一流のメンバーを集め興行を行いました。
公演は“大芝翫”と呼ばれた名優4代目が率いる成駒屋「中村翫雀一座」を招聘します。当時この一座に公演をさせるということは実に大変なことで、全国の芝居ファンを仰天させました。
四代目中村翫雀 |
座主高島の“わがまま”はこれだけではなく、「中村翫雀一座」にオリジナル作品「近世開港魁」7幕15場の上演までさせてしまいます。
この芝居の作家には「西洋道中膝栗毛」「安愚楽鍋」で不動の人気戯作者となった仮名垣魯文、狂言作者の三代目 瀬川如皐を起用し、杮落しは大盛況でした。
観光の魅力は“名所旧跡”もありますが、街にライブな芝居見物ついでに観光というコンテンツも重要要素でしょう。
(余談)
“大芝翫”と呼ばれた名優4代目「中村翫雀」の系譜が「中村鴈治郎」「坂田藤十郎」と続く成駒屋。現在の五代目「中村翫雀」は「坂田藤十郎」と「扇千景」の子で 48年ぶりに上方歌舞伎の名跡を継ぎます。
弟が「三代目扇雀」で1995年(平成七年)10月に五代目中村翫雀・三代目中村扇雀のダブル襲名披露を行いました。(全くの余談でした)
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No18 1月18日(水) 三度あることは四度ある