横浜の出来事を年表からピックアップしました。
今日10月7日は中々記事が見つからず苦労しました。
●1881年(明治14年)の今日
落合直文(19歳)遊学のため東上の途で、箱根湯本の福住に泊まる。
8日に小田原、大磯を経て鎌倉に行き、三橋屋に泊まり
翌日9日、周遊し再泊する。
10日、横浜金沢に向かい西村屋から舟で横須賀に行き、造船所を見学
松阪屋に泊まる。
11日、汽船で横浜に渡り、汽車で東京に着く
「『落合直文著作集』Ⅱ所収「村雨日記」」より
※落合直は歌人、国文学者で
代表歌に戦前教育では有名な「桜井の訣別(青葉茂れる桜井の…)」の作者。
※厳密には前日の福沢諭吉紹介と同じで
横浜には正確には10日に金澤に到着していますが今日としました。
●1930年(昭和5年)の今日
エスペラント講演会が横浜貿易新報社で開催されました。
講演者はジョセフ=シェラー氏。
詳細は不明ですが、大正から昭和初期にかけて
日本では エスペラント活動(運動)が盛んに行われます。
No5 1月5日(木) 漂泊の詩人 永井叔
【雑談】ラブストーリー
「第92回世界エスペラント大会」が横浜で開催されています。
http://www.jei.or.jp/evento/2007-08_uk92/japane/gheneralo.htm
●1959年(昭和34年)の今日
横浜市中区出身の力士「若羽黒」大関昇進祝賀会が
相鉄文化会館内の精養軒で開催されました。
「若羽黒」はクリーニング店を営む家に長男として生まれ小さい頃からわんぱく坊主でしたが立浪部屋に入り活躍し始めた頃には「ドライ坊や(ボーイ)」というニックネームで人気が出ます。
※少し話題はずれますが
クリーニング業発祥の地は横浜です。
フランス山公園へ入る入口に
自然石の大きな石碑が建っています。
1949年(昭和24年)10月場所から14歳の若さで初土俵を踏みます。
しこ名は部屋の大先輩である羽黒山政司に因んで「若羽黒」としました。
1954年(昭和29年)3月場所で新十両に昇進、
1955年(昭和30年)3月場所でスピード新入幕をはたします。
1959年(昭和34年)9月場所では12勝3敗の好成績で場所後に大関へ昇進し
大関昇進祝賀会が開催されます。
同年11月場所では13勝2敗で幕内最高優勝を果たし
「押しの横綱が誕生か」と言われましたが
残念なことに
1960年(昭和35年)1月、綱獲り場所でおおよその期待と予想を裏切り7勝8敗と負け越して以来「綱取り場所」を迎えることはできませんでした。
No.141 5月20日 もしかしたら菊名区?
横浜出身の最初で(最後の?)横綱 33代武蔵山 武(悲劇の横綱と呼ばれました)は港北区日吉の出身で、奇遇なことに港北区役所が開庁した日と同じ5月20日(昭和10年)に横綱昇進が発表されました。
●1937年(昭和12年)の今日
陸軍省、磯子区及び中区の一部に
軍機保護法が適用されます。
(区域内の測量・撮影・模写等の行為を禁止)
12月には磯子区の大半、中区・戸塚区の一部追加
軍機保護法(ぐんきほごほう)
昭和12年8月14日法律第72号
軍事上の秘密、いわゆる軍事機密(軍機)を保護する目的で公布・施行された法律。
元々、1899年(明治32年)に公布された古い法律でしたが、
1937年(昭和12年)に全部改正され対象範囲が拡大、強化されました。
軍人以外に民間人も対象となり、
軍港、要港などの港湾、堡塁、砲台、その他国防のために建設した防禦営造物、軍用艦船、軍用航空機、兵器、陸軍大臣又は海軍大臣所管の飛行場、電気通信所、軍需品工場、軍需品貯蔵所、その他の軍事施設について、測量、撮影、模写(スケッチ)、模造、録取(記録)、複写、複製を禁止又は制限します。
また、陸軍大臣又は海軍大臣は空域、土地、水面について区域を定め、その区域に於ける航空、気象観測、立ち入りの禁止又は制限、外国船舶に対する開港場以外の入港禁止又は制限を行いました。1945年(昭和20年)10月13日に廃止されました。
●1964年(昭和39年)の今日
東京オリンピックの聖火リレー、横浜入りしました。
●1986年(昭和61年)の今日
横浜国際交流ラウンジが 山下町の産業貿易センタービルに開設されました。
●1987年(昭和62年)の今日
第5回アジア地域経済交流横浜会議(YCEDA’87)が
横浜国際会議場をメイン会場にして開催されました。(〜10月9日)