No.34 ‎2月3日 ポサドニック号事件で咸臨丸発進

日本人が初めて幕末太平洋を横断した「咸臨丸」に関わった異才3人の人物に大変関心があります。
太平洋横断の時に乗船した勝海舟と福沢諭吉、
そして幕府の緊急事態に「咸臨丸」で対馬に派遣された外国奉行になりたての
小栗忠順です。
終生 勝海舟のライバルで、
明暗を分けた人生を歩んだ小栗忠順のエピソードを紹介します。

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咸臨丸が太平洋往復という大役を終え、神奈川港(横浜)近辺の警備についていた頃、日本周辺は緊張感に包まれていました。
欧米列強がアジア市場を巡って狙いの焦点を日本に合わせてきたのです。
万延2年(1861年3月13日)のこの日、ロシアの軍艦ポサドニック号が対馬の尾崎浦に投錨し一方的に上陸し領土租借を求める事件が起きました。
ポサドニック号事件またはロシア軍艦対馬占領事件と呼ばれます。

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ポサドニック号事件は、アジア進出に遅れをとったロシアの焦りから起った事件でした。ロシア(ソ連時代も含め)にとって不凍港の確保は二世紀にわたる願望です。幕末期、ペリーに限らずロシアも何度か日本を訪れ開港を求めますが上手く運びません。
ロシアではなまぬるい政府に業を煮やした軍部が政府の意に反し南下作戦をとります。そこには宿命の敵対国イギリスの影がありました。当時英露関係は1853年に起ったクリミア戦争(〜56年)以来、かなり緊迫していました。
(この緊張感が日露戦争につながるのですが)

実は、ポサドニック号が対馬に上陸する二年前(1859年安政6年)にイギリスの軍艦が対馬に上陸し対馬の浅茅湾測量を強行します。ちょうど英国によるアロー号事件の真っ最中でした。
この事件がロシアに伝わり軍部がナーバスに反応したことも背景にありました。
対馬が英露覇権の最前線となった訳です。
対馬にロシアの拠点(租界)を作るために軍艦ポサドニック号を差し向けます。初動のロシアによる砲艦外交は上手く行きます。簡単に上陸でき、対馬藩を恫喝します。
しかしこの砲艦外交はその後の日露関係に痛恨のダメージとなります。

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九州広域の管轄部門、長崎奉行が乗り出しますが決裂します。
そこでようやく幕府は重い腰を上げます。
箱館奉行・村垣範正に、函館駐在のロシア総領事ヨシフ・ゴシケーヴィチにポサドニック号退去を要求すると同時に外国奉行になったばかりの小栗忠順を江戸から派遣することにします。
この時に彼を搬送したのが神奈川沖で警備にあたっていた咸臨丸です。彼はその場しのぎでは解決できない国際状況を認識していた日本人の一人ですがロシアとの交渉は上手く行きませんでした。この外交方針で外国奉行から更迭されてしまいます。小栗はこの失敗を糧に復活します。
ポサドニック号事件は、結局英国軍艦によってロシア軍を牽制することによってロシアは撤退します。対馬を舞台に日英露の国際紛争勃発寸前まで緊張感が高まった事件でした。
この交渉にある意味失敗したその後小栗は軍艦奉行になりフランスと交渉し横須賀製鉄所を完成させました。
4回にわたって罷免されても幕府要職である勘定奉行になった人物は彼だけです。英国のしたたかさに対し幕末幕府を支援したフランスの協力を引き出したのは小栗の外交能力の優秀さといえるでしょう。
しかし優秀が故に幕府内部(特に勝海舟)に疎まれ、最後は維新直前に官軍の命で斬首されてしまいますが幕末希有の人材といえるでしょう。

彼の生涯の実に面白いので興味のある方はネットか
「覚悟の人 小栗上野介忠順伝 (角川文庫)700円」 あたりを読まれると良いでしょう。
近年ロシアの資料がかなり公開され、この対馬事件の新しい事実が見えてきました。英国公使オールコックと露公使ゴシケービッチの高度な情報戦も行われていたようです。ロシアは英国が対馬を軸に日本占領を狙っているとささやき、英国は江戸で起った(一説では起こした)東禅寺事件東禅寺警備の松本藩士伊藤軍兵衛がイギリス兵2人を斬殺)を口実にイギリス有利の条件を幕府に要求し対馬事件は英国に有利な結果に落ち着きます。

※ちなみに
このポサドニック号事件は日英露の関係にとどまらず、対馬藩が築いてきた日朝関係の変化のキッカケにもなっていきます。近代「征韓論」の原点ともいえる事件でした。これらの史実を調べていて驚くのは、対馬と江戸との交渉が頻繁に行われていることです。さらには、対馬藩内部抗争で、尊皇攘夷派藩士が国許から江戸に行き江戸詰家老を殺害するという実力行使に出ることで事態が大きく変わっていくことです。幕末がテロルの時代であった一つの事例といえます。(2017年7月加筆修正)

今日番外編で咸臨丸

No.438 神奈川奉行入門

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