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暦で語る今日の横浜【9月23日】

横浜の年表から
 今日起った出来事をピックアップしました。

●1878年(明治11年)の今日→この記事は「横浜沿革史」を元にしましたが、
 24日が西南戦争終結日で、県史には24日に式典とありますので
 下記の内容を9月24日に変更します。
「伊勢山に於て招魂祭を挙行す」
(神奈川県徴兵にして、前年鹿児島の役に戦死する十数名あり、此春建碑の挙あり、三条太政大臣の書にして、「西征陣亡軍人の碑」と記す)
1877年(明治10年)に起った鹿児島の役(西南の役)は、明治初期に起った最大の内乱でした。政府軍、反乱軍合わせて13,000を越える戦死者がでました。
この戦争で、明治政府は国家予算を使い切る程疲弊し経済が混乱します。

西南の役の忠魂碑は各地に設置されますが、横浜では「伊勢山皇大神宮」境内奥に建っています。

(現在のものは数日以内にアップします)
「当日は県知事を始め諸官員参列、戦死者遺族等参拝す、伶人及陸海両軍奏楽、八雲琴、撃剣、囃子等の催しあり、夜に入り花瓦斯及球灯数百個を点じ、煙火を打揚げ、市中毎戸軒提灯を掲げ、手踊或は囃子等の催しあり、爾来、此日を以て祭日とす」

No.268 9月24日(月)維新の内乱を悼む

●1920年(大正9年)の今日
35歳の若山牧水は1920年(大正9年)千本松原の景観に魅せられ一家をあげて沼津に移住し活動を始めますが、この日沼津から上京の途中横浜で義弟の長谷川銀作と会います。都心での発行所を探し上京しますが、この日義弟の長谷川銀作とともに印刷屋へ行き、「創作」は11月号から横浜本牧町箕輪下400番地の長谷川銀作方で発刊されることとなります。
※箕輪下は現在の本牧原あたり?横浜市中区本牧町2丁目
横浜での発刊は1922年(大正11年)7月号から沼津の若山牧水のもとに再び移ることになります。
雑誌「創作」の経緯
1910年(明治43)25歳
雑誌「創作」の編集を開始します。3月に創刊号が発行。
1911年(明治44年)
創作社を興し、詩歌雑誌「創作」を主宰。
1911年(明治44)26歳
「創作」を休刊します。
1917年(大正6)32歳
「創作」を復刊します。
1928年(昭和3年)
牧水の死後「創作」は歌人であった妻・ 喜志子により受け継がれます。

●1926年(大正15年)の今日
鶴見の花月園に室内スケートリンク完成。
No.52 2月21日 東洋一の遊園地

No6 1月6日(金) 天然スケートリンク開場(修正、加筆)

●1927年(昭和2年)の今日
「横浜輸出麻真田工業組合が設立された。」
麻真田(あささなだ)という織物をご存知ですか?
マニラ麻の繊維を平たく厚く(真田)に編んだ織物のことで、戦前日本(横浜)の輸出産業の柱となりました。
日本の麻真田工業は1903年(明治36年)頃から始まったといわれています。
1906年(明治39年)には川崎の鳥養彦次郎が、ロンドンの取引先よりイタリア産の十三打ち麻真田の見本を入手し日本製紐株式会社に製織を依頼、自らも編織機械の試作にチャレンジし1908年(明治41年)に横浜の「上流合資会社」が工業化に成功し一大産業となります。技法は全国の織物産業に伝えられ、各地の地場産業となっていきます。

●1928年(昭和3年)の今日
「横浜第一バプテスト教会が寿町に教会堂を改築した」
横浜第一バプテスト教会は、現在「日本バプテスト横浜教会」のことです。
1873年(明治6年)にキリシタン禁制が撤廃された直後、山手203番の仮住いの地に米国バプテスト宣教師同盟のネーサン・ブラウン、ジョナサン・ゴーブル両宣教師夫妻によって設立されました。その後山手75番に移り、日本で二番目のプロテスタント教会だそうです。
1874年山手75番に最初の教会堂を建設。数度の火災に遭い再建を繰り返す。
1894年12月22日に建てられた教会が1923年の関東大震災で倒壊しますが、
当時寿町に建設していた鉄筋コンクリートの新教会堂が被災しますがかろうじて外郭のみが残ります。この教会が
1928年(昭和3年)の今日、改修工事が終了し戦争で再び焼失し外郭のみが残り、再度修復され1980年代まで使用されます。
現在の教会堂は、1981年11月22日に建替えられたものです。
〒231-0026 横浜市中区寿町2-5-8
https://sites.google.com/site/yokohama1baptist/

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