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第929話【保土ケ谷区】程ケ谷駅

今日は、程ケ谷駅を巡るエピソードを。
1887年(明治20年)7月11日
この日、東海道線の横浜(初代)〜国府津間が開通しました。
これにより程ヶ谷駅( 1931年(昭和6年)に保土ケ谷の名に変更)・戸塚駅・藤沢駅・平塚駅・大磯駅・国府津駅が開業しました。
ほどがや現在は保土ケ谷と表記します。
少し前は保土谷でもあまりうるさく言われませんでした。保土が正式表記です。
90年代、少なくとも私の記憶では神奈川県、国交省(当時の建設省)などは<保土ヶ谷公園><保土ヶ谷インター>といった表記がなされていることが多く、横浜市の「保土ケ谷」と二種類が併存していました。近年、「保土ケ谷」に“じわじわ”揃いつつあります。

なんたって 保土ケ谷区がこの表記のためにサイト持っています。
「「保土ケ谷区」の「ケ」は大きな「ケ」です!」
http://www.city.yokohama.lg.jp/hodogaya/gaiyou/ke.html
「区の設置並びに区の事務所の位置、名称及び所管区域を定める条例
(条例第1号、昭和34年3月14日制定)」
http://www.city.yokohama.jp/me/reiki/honbun/ag20200021.html
ここには、なぜ大きいケなのか? 理由は示していません。「そう決めたのでそうだ!」という感じで少し違和感を感じます。
広重の東海道五十三次でも「保土ヶ谷」ですし

保土ケ谷宿

元々保土ケ谷は「程ヶ谷」から転換された地名です。

冬の程ケ谷宿
程ケ谷宿

中世文書でも「程ヶ谷」のケは小さいケです。
さて、保土ケ谷駅に戻ります。

1887年(明治20年)7月11日程ヶ谷駅が開業します。
この時期に<程ケ谷>がらみの新規鉄道敷設出願も行われます。
多くが現在国道16号線(絹の道)が走っている(保土ケ谷〜八王子)路線を鉄道が走ることを目論見として出されています。
◆武相鉄道
明治27年5月30日 出願
横浜〜程ケ谷〜原町田〜八王子
出願者:雨宮啓次郎 ほか
◆南武鉄道
明治27年5月30日 出願
程ケ谷〜原町田〜八王子
出願者:伊藤茂右衛門 ほか
◆相武鉄道
明治28年12月 出願
吉野駅(津久井)〜程ケ谷、厚木〜藤沢
◆武蔵鉄道
明治28年4月20日 出願
出願者:柴原和也 ほか
程ケ谷〜五日市
◆京浜鉄道
明治28年12月 出願
出願者:雨宮啓次郎 ほか
※「保土ケ谷区史」より
これらの出願は全て却下され、実現することはありませんでした。
もしひとつでも実現していたら、横浜の交通環境は大きく変わったに違いありません。

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