1914年(大正3年)7月12日 京急富岡駅

1914年(大正3年)の今日
横浜貿易新報社選(神奈川県内の)「新避暑地十二勝」が発表されました。
横浜貿易新報社は神奈川新聞社の前身で、1890年に創刊された老舗新聞社です。横浜貿易新報社は、新聞紙上で読者の投票によって選ぶ県下の「発見開拓すべき」「新避暑地」12ヵ所の選定を企画します。
総得票数27,261票を集め1位に輝いたのは鎌倉市今泉にある今泉不動(称名寺)です。大正初期、神奈川県内の「発見開拓すべき」観光スポットに見事輝きます。避暑という条件もついていますので、<涼しさ>も優先されたのでしょう。
http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kids/jh/kjh_sa13.html
現在の横浜市域でも三ヶ所選ばれています。
2位:愛川村半原
現在も「発見開拓すべき」「新避暑地」に入るかも知れません。
3位:北足柄村平山
現在の南足柄市北部にあたります。
4位:大澤村神澤江岸
現在の相模原市緑区
5位:三崎町
現在の三浦市南西部
6位:金澤富岡海岸
7位:本牧三ノ谷
8位:龍口寺円遊地
現在の藤沢市片瀬あたり
9位:長井海岸
現在の横須賀市長井周辺
10位:茅ヶ崎海岸
茅ヶ崎市の海岸線のどのあたりかは?
11位:相模河畔田名
かつて大山道の宿場として栄え、明治期から昭和初期には「水郷田名」と呼ばれて歓楽街として賑わったそうです。
12位:磯子海岸

◆横浜市内の十二勝その1
(6位:金澤富岡海岸)

富岡付近
富岡付近

現在の横浜市金沢区富岡にあたります。
この「新避暑地十二勝」に選ばれた1914年(大正3年)当時はまだ、久良岐郡金沢村でした。
light富岡海荘図巻富岡海荘図巻(元はカラー)
富岡に別荘を持った三条実美が、明治22(1889)年に日本画家の荒木寛畝に描かせたものです。
横浜市に1936年(昭和11年)10月に編入され<磯子区>の一部となります。

<紹介文>
●復活せる富岡
避暑地の元祖/横電の延長近し
公園地の計画/魚欄に飛び上がる
横浜電車の八幡橋終点から乗合馬車に乗って30分も揺られて行くと金沢村富岡に達する。※1
富岡は東南に東京湾を抱き西北に丘陵を負ひ房総半島と相対してゐる。
海岸でありながら水のいいといふことは確かに此土地の誇のーであらう。
飲料水の如きは各戸に掘抜井を設け地下600尺以上の深所から噴出させるので非常に純潔な冷い水を得ることが出来る。※2
富岡は明治の初年頃には盛んに外国人が暑を避けに赴いた所で、我国海水浴の元祖は実に此の地を措いて他には無いのである。※3
然るに其後東海道に鉄道が敷設さるるやうになってからは避暑の客を大磯、鎌倉等に取られるので此地は漸漸忘れられて行ってしまったのである。
然るに土地の青年会員及び其他の有志は近く横浜電車線路の富岡へ延長さるるのを幸ひとし今次の当選を機として富岡海水浴の復活を思立ち一致協力して大に奔走し同所鎮守八幡宮の後丘なる八幡山の社地一町歩の荊棘(けいきょく)を拓いて公園となすべく目下盛に作業中である。
旅館には金波楼といふのがある。

11220935_1016008985109872_7851265712634385856_n海寶楼の広告

<若干解説>
紹介文には興味深い記述がいくつかあります。
※1「横浜電車の八幡橋終点」
「横浜電車(現在の横浜市電)」が八幡橋まで開通し順次海岸線を杉田方向に延伸する予定の時期にあたります。
ところが、「横浜電車」は延伸することが出来ず、途中杉田まで延伸されたのが昭和2年、「横浜市電」となった後しばらくかかりました。
その先の延伸予定もありましたが、市電の代わりに湘南電気鉄道(現在の京浜急行)が昭和5年に開通し、夏季のみ海水浴客専用仮駅が開設、翌年の昭和6年7月10日に正式な駅に昇格します。当時の駅名は「湘南富岡駅」で、戦後「京浜富岡駅」→「京急富岡駅」となり現在に至ります。
昭和5年に開設された「湘南富岡駅」は当初<木造の無人駅>だったそうです。まだ、鉄道のない頃、東京 牛込 若松町にいた、日本画家<川合玉堂>が別荘を構えその屋敷が残っていましたが、2013年(平成25年)漏電火災により焼失しました。
現在敷地内は一部一般公開されています。
http://www.city.yokohama.lg.jp/kanazawa/kusei/kikaku/gyokudo/
富岡近辺は川合玉堂が別邸としていた他、伊藤博文、三条実美、直木三十五など多くの人に愛されました。
No.229 8月16日 (木)一六 小波 新杵
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=378
No.451 芸術は短く貧乏は長し
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=108
No.230 8月17日 (金)孫文上陸(加筆修正)
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=377

※2「海岸でありながら水のいいといふこと」
リゾート地として<おいしい水>が出ることは重要です。
※3
「富岡は明治の初年頃には盛んに外国人が暑を避けに赴いた所で、我国海水浴の元祖は実に此の地を措いて他には無いのである。」
この地にはヘボンが訪れ、海水浴場として推薦しています。このことから<我国海水浴の元祖>と呼ばれていました。富岡神社脇に記念碑が建っています。
現在はわが国初!海水浴場として全国何ヶ所かが<元祖>を表明しています。残念ながら富岡はそれ以降ということで<元祖>競争からは外れています。

(過去の7月12日ブログ)
No.194 7月12日(木)ソシアルビジネスの鏡
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=413
一行の出会いでした。膨大な年表に朝田又七という名を見かけました。