No.371 1月5日(土)ノゲ的 (加筆修正)

今日は野毛。
この街は、読むより行くに限ります。

私はまだ野毛を語るには“飲み”が足りないかもしれませんが、
今日は野毛を紹介します。

(アジア人白神義夫さん)
神奈川新聞の名物記者、白神義夫さん。
彼は中華街と野毛のことを良く語っていました。
特に野毛の大通りを「税務署通り」と呼んでいた時代の話には
 熱い語りが止まりませんでした。
「野毛は悔恨の街である」と語り、本にも書いています。
野毛は“変わりつつ、変わらない”人気の定番商品のセオリーみたいな街です。
常連にも、ビギナーにも懐かしさと新鮮さを見つける事ができる街、
「野毛はデラシネの屋台から始まった」と白神さんは語る。
「そこには、米軍さんの匂いもあったけど、変わり身の早い日本という国への反権力の煙が漂っていた…。」

書く命家 平岡正明)
横濱文芸復興「野毛的」を読み返すと、
この街が持っている磁力というか粘着力みたいなものが感じられます。
東京は本郷湯島に生まれた彼が、
横濱に反東京の拠点を見いだしたのが「野毛」の磁力で、90年代に積極的にこの街と関わり、野毛の発信力となりました。
偶然とは恐ろしいもので、
私が初めて“野毛”に近づいたのが高校時代、日ノ出町の「山手英学院」夏期講習に通っていた頃の拉麺屋でした。
→現在も場外馬券場の隣のビルで営業していたことに感動しました。
(2014年末現在 残念ですが閉店して新しいお店になっています)

大学生時代、一冊の本を持ってセンターグリルの階段を登ったのが、野毛の街に侵入した初めての経験でした。

ランチでは無く現在お気に入りのオムライスです。

空いていた窓際の席に陣取り、大盛りのランチを注文し、
伊勢佐木の有隣堂で購入した本を開く。
何時もはカバーをかけない方ですが、今日は
この本の表紙に圧倒され「カバーをお願いします」と言ってしまった
「山口百恵は菩薩である」
知る人ぞ知る、「野毛的」の平岡作品である。

残念ながら、平岡さんは一度パーティの席で遠目にお会いしただけでした。
今、彼は亡くなられましたが、
生まれた街が変わりゆく新しいランドマークを何と評したでしょうか
 平岡さん。

(女流)
今の野毛を語るには二人の「女流」を欠かせません。
女流作家 山崎洋子さん
女流落語家 荻野アンナさん
土日の野毛にも、夕暮れの野毛にも
女性の姿が多くなりました。
ここにも
“変わりつつ、変わらない”野毛の磁力が働いているように感じます。


(コンテンツ塊)
野毛を本質を語る前段だけでも数十冊の本ができる街。
野毛はコンテンツの塊です。
開港時から現代まで、エッセイにしたいネタを
私流のタイトルを付けるなら
「松平陣屋事件貼」
 (越前松平藩と長谷川伸)
「野毛別宅物語」
 (野毛別荘史)
「時の野毛山」
 (時鐘と十全病院)

「老松小学校の悪童」
No.86 3月26日 老松小学校の悪童

「野毛で錦絵に会う」
 (高橋誠一郎の横濱)
「税務所通物語」
 (そこのけ闇市)
「美空ひばりと福島通人」
「山本周五郎 逃げる」

世の“物書き”は野毛でもう少し惑わして欲しいものです。

「暮らしの場に思いをよせ、
人々のふれあいが始まるとそこは「界隈」になる」

No.457 ザンギリ野毛

※野毛の床屋について書きました。

No.422 妙蓮寺と野毛

1968年(昭和43年)〜翌年にかけて
横浜を舞台にした人気テレビドラマ「三人家族」について紹介しています。
※世代がわかりますね。

No9 1月9日(月) 野毛カストリ横町立退き騒動

戦後間もなくの話しです。「櫻川」がまだ“川”だったころ
野毛桜木町駅近くにカストリ横町がありました。


No.424 琉球バル


No.323 11月18日(日)歓楽街の住まい方

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