横浜の年表から
今日起った出来事をピックアップしました。
●1862年(文久2年8月21日)の今日
幕末の大事件「生麦事件」が西暦1862年の今日起ります。
ブログでは(文久2年8月21日)の旧暦にて紹介しました。
※因みに幕末明治の年表を悩ます「旧暦」は
明治5年12月2日(1872年12月31日)まで使用されていました。
翌日の12月3日が明治6年1月1日(1873年1月1日)となり日本の暦が「西暦」に統一されました。→しゃんしゃん!!という訳には行きません。
何故か?
だって旧暦で生活していたのが約一ヶ月(明治5年の12月が無くなってしまう訳ですから むちゃくちゃな変更です。
それも 11月9日(約一ヶ月前)に布告され実施されます。
立川志の輔さんは この出来事を新作落語にしています。
番外編 幕末明治の年号って苦労します。
●1875年(明治8年)の今日
「野犬が増加したため、飼主の住所氏名を明記した首札を飼犬に付けるよう触れが出た。神奈川県史料(1)390」
明治8年の話しです。現代とはレベルが違いますが野犬の問題は同じようですね。
●1896年(明治29年)の今日
巖本善治(33歳)横浜本牧の多聞院に滞在する。と日記にあります
多聞院は現在も中区本牧元町2−16にあります。
巌本 善治(いわもと よしはる)は女性教育家、評論家で事業家です。
フェリス女学院に講演に行って助教・若松賤子を知り、
1889年(明治22年)横浜海岸教会で結婚式を挙げます。
No.153 6月1日(金) 天才と秀才
実業家としては
コーヒーの直輸入会社カフェ・パウリスタに取締役として参加。
1911年(明治44年)11月
東京にカフェ・パウリスタが開店します。現在もカフェ・パウリスタは健在です。
http://www.paulista.co.jp
●1923年(大正12年)の今日
震災後2度目の市会がひらかれ、
帝都復興事業に横浜市を包合することを求める意見書を
監督官庁に提出する建議可決
※復興から“横浜”が取り残されないように 必死の意見書を国に提出します。このような“横浜も東京と同様に復興支援を”という記事を当時の新聞や行政記録に多く発見することができます。
現実 関東大震災以降、横浜は急速に都市力を失っていきます。
●1929年(昭和4年)の今日
「保土ケ谷区天王町の橘樹神社の新築落成式の報告祭が行われた」
相鉄線天王町近くにある橘樹神社は
天王様 (てんのうさま)とも呼ばれ素盞嗚尊を祀る文治二年創建の神社です。
社殿は文政十三年に改築し
大正12年の関東大震災で倒潰し1929年(昭和4年)の今日復興します。
が、横浜大空襲で全焼し1951年(昭和26年)に復興し現在に至ります。
http://www.youtube.com/watch?v=wUljQchyDr0
橘樹神社(たちばな じんじゃ)は武蔵国橘樹郡に幾つか点在します。
橘樹郡の総社は川崎市高津区子母口にある橘樹神社です。
●1932年(昭和7年)の今日
「済生会鶴見診療所が開設された。」と記事がありました。
済生会鶴見診療所の「済生会」を調べて びっくりしました。
※済生会 正式には
社会福祉法人恩賜財団済生会(おんしざいだんさいせいかい)と称し、
日本最大級の医療福祉関係の財団です。
http://www.saiseikai.or.jp
※「済生会は、明治天皇が医療によって生活困窮者を救済しようと明治44(1911)年に設立しました。100年以上にわたる活動をふまえ、今、次の三つの目標を掲げ、日本最大の社会福祉法人として全職員約54,000人が40都道府県で医療・保健・福祉活動を展開しています。」財団HPより
(最初の病院は横浜に!)
1913年(大正2年)9月に
神奈川県済生会病院が現在の横浜市西区岡野町に開設したのが済生会第1号病院です。
横浜からスタートした医療財団だったのです。
神奈川県病院はのち横浜大空襲により焼失し、戦後移転し現在横浜市神奈川区
富家町6-6に開設し地域医療拠点として医療活動を続けています。
http://www.kanagawa.saiseikai.or.jp