毎年7月7日は「川の日」です。
国土交通省「川の日」
私も横浜に関係するブログを3年書く中で、<川>の重要性に気が付きました。
横浜にとって<川>は欠かせません。
特に横浜は<結晶>が作られていくように、1859年に誕生した<開港場>を核とし、川を軸に大きくなった街です。
(ダブルリバー)
横浜は<大岡川>と<帷子川>よって基盤が出来上がりました。
【横浜の視点】ダブルリバー
さらに市域拡大の過程で鶴見川と多摩川の存在も横浜市の形成に欠かせません。現在相模川(寒川)から横浜に欠かせない水も運んでいます。
川から見た横浜形成史を考えてみるのは大変面白いテーマです。
開港場を包みこむ<大岡川>も横浜駅を回り込む<帷子川>もダブルリバーです。
都市、そして港に川は必要ですが<治水>も必要でした。大岡川河口域に形成された開港場最初の治水工事が<堀川工事>です。堀川は開港場の出島化という役割もありましたが、一方で吉田新田によってできた中村川の分水路の役割も担っていました。
明治に入り、<堀割川工事>が始まります。
「水運と、吉田新田埋立用土砂確保のため」だけではなく“大岡川の分流”も必要となっていたからではないでしょうか。
吉田新田を<田畑>から居住地にしていくにはしっかりとした治水工事が必要になります。掘割川と吉田新田のなかに整備された<運河>により横浜の関内外が発展できますが 治水の悩みはその後も長く続きました。
ただ、上流では利水源として活用されていた<水>が都市化によって水はストレートに川へ注ぎ込み邪魔になってきます。
終戦直後、62万人だった人口が7年(1952年)で100万人、1968年には200万人を突破、谷戸の多い横浜で宅地は河川域から丘陵地に拡大していきます。
そこで抜本的な治水工事が求められ、
「大岡川分水路」計画が立てられました。
関内外の治水に莫大な予算とエネルギーがかかっていることを少なくとも<下流域>の人々は知っておく必要があるでしょう。
<横浜の水系>
横浜は4つの大きな水系によって形成されています。
■鶴見川
(入江川・滝ノ川)
■帷子川
■大岡川
■柏尾川・和泉川(境川水系)
(侍従川・宮川)
それぞれに個性豊かな川です。川と人が分離してしまいました。距離は益々開いています。小さな川は<蓋>をして暗渠化して見えなくなっています。
今日、川の日 近くにある<ドブ川?>のふるさととこの先の<河口域>そして海に関心を持つ一日にしてみてはいかがでしょうか?
No.701 運河の街誕生(序章)
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=6364
No.700 【横浜の河川】川いろはのイ
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=6336
No.435 【横浜の河川】大岡川物語(1)
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=136
No.192 7月10日(火)【横浜の河川】もう一つの大岡川
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=415
(絵葉書に見る昔の川の風景)
戦前の横浜市内の川の風景
(過去の7月7日ブログ)
No.189 7月7日(日) ぼくは日本人を信じます
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=418
歴代43人目の内閣総理大臣「大平正芳」は、
1937年(昭和12年)7月1日(木)横浜税務署長の辞令を受け、
7月7日(水)横浜市に赴任しました。