●1875年(明治8年)の今日
久良岐郡磯子村真照寺旧境内
久良岐杉田村東漸寺塔頭の地上知分を
それぞれ小学校敷地として下渡することについて、神奈川県より内務省へ伺った。「神奈川県史料(5)135〜136」
久良岐郡磯子村真照寺旧境内→磯子小学校(明治6年5月)
久良岐杉田村東漸寺塔頭の地上知分→杉田小学校(明治6年5月)
写真 さがしてます |
※明治初期(明治10年までに)設立された小学校リスト
1872年(明治5年)
山下小学校 北八朔町1865-3
1873年(明治6年)
子安小学校 新子安一丁目24-1
都岡小学校 都岡町4-8
北方小学校 諏訪町29
鉄小学校 鉄町427(くろがね)
星川小学校 星川三丁目18-1
元街小学校 山手町36
末吉小学校 上末吉一丁目9-1
谷本小学校 藤が丘一丁目55-10
保土ケ谷小学校 神戸町129-4
磯子小学校 久木町11-1
杉田小学校 杉田一丁目8-1
根岸小学校 西町2-46
金沢小学校 町屋町26-26
釜利谷小学校 釜利谷東六丁目37-1
六浦小学校 六浦三丁目11-1
大綱小学校 大倉山4丁目2-1
日野小学校 日野七丁目11-1
田奈小学校 田奈町51-13
富岡小学校 富岡西七丁目13-1
日吉台小学校 日吉本町一丁目34-21
長津田小学校 長津田町2330
戸塚小学校 戸塚町132
市場小学校 元宮一丁目13-1
潮田小学校 向井町三丁目82-1
山内小学校 新石川一丁目20-1
青木小学校 桐畑17
市沢小学校 市沢町781
二俣川小学校 二俣川1-33
石川小学校 中村町1-66
大岡小学校 大橋町3-49
太田小学校 三春台42
1874年(明治7年)
高田小学校 高田町1774
中川小学校 牛久保東二丁目21-1
鴨居 小学校 鴨居四丁目7-15
1875年(明治8年)
川島小学校 川島町1162
神奈川小学校 東神奈川二丁目35-1
1876年(明治9年)
千秀小学校 田谷町1832
このように、明治初期に地域の学校が設立されます。
学校の敷地の多くが地元の協力で
(寺社、私有地等)を寄付し開校された学校が多かったようです。
●1899年(明治32年)の今日
「太平洋電線敷設に関し建議する。」
日本の国際通信に歴史は古く
1871年(明治4年)に始まります。
長崎と上海が海底ケーブルで結ばれ、通信ビジネスが始まりますが、当時最も貿易量が多かった日米間のケーブル通信が実現するには
その後 かなりの時間を必要とします。
長年、日米間は欧州経由で国際電報が取り扱われていました。
日米直結の太平洋ケーブル計画は、通信が欧州からアジアに開通した明治初期から念願でした。特に国内最大の対米貿易都市、横浜にとって
「太平洋ケーブル敷設」は悲願でした。
明治政府にとって最初の外国首脳訪日だった
ハワイ王カラカウア王とも太平洋通信計画が話し合われます。
また、ハワイ国王一行の正確な到着時間も(欧州経由)電信で伝えられます。
No.64 3月4日 日本初の外国元首横浜に
様々なハードルを乗り越え、太平洋を越え日米間にケーブル通信が開通したのが
1900年(明治39年)8月まで待たなければなりませんでした。
この太平洋通信事業成功に尽力したのが
「大谷嘉兵衛」氏です。
No.345 12月10日(月)Tea or Coffee?
大谷嘉兵衛、三重出身の実業家で明治大正期の横浜史に欠かせない重要人物ですが
横浜での“大谷嘉兵衛”知名度は??????
1899年(明治32年)9月7日の今日
横浜商工会議所会頭 大谷嘉兵衛は
10月に米国フィラデルフィアで開催された
第一回国際商業会議所会議に出席する前に
「太平洋電線敷設に関し建議」し、
アメリカに渡り日本代表として米国に建議書を渡します。
多くのハードルを乗り越え サンフランシスコ・ハワイ・マニラまでが開通し、
すでにマニラ・香港間の回線と繋いで通信回線が
太平洋を繋ぐことになります。
No.26 1月26日 横浜東京間電信通信ビジネス開始
この太平洋通信回線の開通が
日露戦争(後には真珠湾攻撃)に深く関わっていきますが、
その話しは別の機会に。
※大正時代ですが
一通の電信が大問題となった「大正のロッキード事件」
シーメンス事件も横浜が舞台でした。
No.23 1月23日 大正の正義