第894話 【横浜・大正という時代】その1 新港埠頭

今年2017年は横浜市開港記念会館が開館100周年を迎えます。

開港記念会館

1917年(大正6年)7月1日のことです。今年は様々な記念行事が予定されているようです。
この横浜市開港記念会館、竣工当時は「開港記念横浜会館」呼ばれました。
さらに時代を遡れば、当初は「町会所」その後「横浜貿易商組合会館」「横浜会館」となり明治の横浜の商工業界(現在の商工会議所)の<シンボル>でもありました。
残念なことに横濱会館は明治39年に焼失し再建が望まれ完成したのがこの「開港記念横浜会館」です。

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戦前、神奈川県、横浜市など<官>に対して民のモノ言う組織としてアクティブな活動をしてきたのが横浜商工会議所です。開港記念会館は横浜商工会議所の歴史とともに歩んできました。
今回から何回かに分けてこの開港記念会館が完成した大正時代の横浜について自分なりに整理をしていきます。

(大正という時代)
1912年から1926年を元号から「大正時代」と呼びます。近現代の中で最も短い期間ですが、実に変化に富んだ時代でもありました。歴史業界(?)でも大正再評価ブームのようです。
この大正時代 横浜はどんな街だったのだろうか?これが私の歴史的関心事の一つです。
歴史を考える基本作業として 幾つか切り口を設定してみました。
・小横浜
横浜は幕末から開港の拠点となります。
その後、明治維新を迎え、国際港として発展していきますが、<横浜>の町としての行政単位は狭いエリアでした。
国際都市が発展していく過程で、周辺地域が港を支える市街地として<宅地化>していきます。そこで横浜は明治期の終わりまでに二回の市域拡張を行います。
大正期の14年間に市域拡張はありませんでした。
■市域拡張一覧
・横浜市制時(明治22年4月1日)   5.40(平方キロメートル)
・第1次市域拡張(明治34年4月1日)  24.8
・第2次市域拡張(明治44年4月1日)  36.71
・第3次市域拡張(昭和2年4月1日※) 133.88
(※昭和2年10月1日区制施行)
・第4次市域拡張(昭和11年10月1日) 168.02
・第5次市域拡張(昭和12年4月1日)  173.18
・第6次市域拡張(昭和14年4月1日) 400.97
■第二次市域拡張
「久良岐郡屏風浦村」より<大字磯子><滝頭><岡(旧禅馬村の地域)>。
「大岡川村」より<大字堀之内><井土ヶ谷><蒔田><下大岡><弘明寺>。
「橘樹郡保土ケ谷町」より<大字岩間字池上><東台><外荒具><道上><塩田><反町><宮下><殿田><関面><久保山下(現在の西区東久保町・久保町・元久保町、保土ケ谷区西久保町)>を編入します。
市制施行時には横浜港周辺の5.4 km² に過ぎませんでした。
開校以来40年近い時が流れ、明治34年に一回目の市域拡張を行いますが面積は24.8km²。
二回目でも総面積36.71km²でした。
面積は現在の横浜市域の十分の一以下です。
横浜市は 明治・大正、昭和に入るまで小さな街だったのです。
大正時代という視点で考えると、横浜市は明治期に二回拡張を行い、昭和まで拡張されませんでした。この第二次市域拡張エリアが、初期横浜時代の市域でした。大正から昭和にかけて充実する「市電網」は
ほぼ第二次市域拡張エリアと重なっています。

第883話【時折今日の横浜】4月1日年度初め

【番外編】市域拡大は元気なうちに!?

■比較資料として「神戸市」の市域拡張も紹介しておきます
・明治22年4月1日  21.28(平方キロメートル)
※明治22年は全国で市制制度が施行され約40の市が誕生しました。
・明治29年4月1日  37.02
・大正9年4月1日  63.58
・昭和4年4月1日  83.06
・昭和16年7月1日  115.05
・昭和22年3月1日  390.50
・昭和25年4月1日  404.66
・昭和33年2月1日  529.58

(貿易特区)
最近「特区」が話題になっています。明治期に特区といった用語はありませんでしたが、横浜市は開港以来、国際貿易特区として重要な役割を担ってきました。帝都東京に近く小さくも交易港として日本一の取引を誇ります。
ところが横浜港は 港湾機能が国際的には<不評>でした。
港が北向きということもあり強い北風の影響がありました。
明治期に完成した<鉄桟橋>も20世紀に入り急速に発展した巨艦商船時代に対応できず、相変わらず沖に停泊、艀(はしけ)港内を走り回る状況で、新しい大型港湾施設が切望されていました。
実は明治維新以降の日本は国内最大の内戦<西南戦争><日清戦争><日露戦争>など、戦費負担のために国内インフラ整備が追いつかない経済状態にありました。
ようやく新しい港湾施設<新港埠頭>計画が明治後期(1899年)に持ち上がり大正初め(1917年)に完成します。
鉄桟橋(現大さん橋)の改良と、新しい港湾施設(新港埠頭)の完成によって横浜市は新しいステージを迎えます。

■新港埠頭の時代
大正期の横浜、特徴の一つが新しい国際港としての港湾施設の完成<新港埠頭の稼働>です。
この新港埠頭の稼働に伴い、鉄道も埠頭内まで開通。
日本全体も鉄道時代の幕開きとなり、物流革新が横浜港を後押しします。
新港埠頭と幹線を繋いだ鉄道の名残が現在の人気ルート「汽車道」です。

No.103 4月12日 「新港埠頭保税倉庫」から「赤レンガ」へ

【横浜の橋】No.12 万国橋(新港埠頭)
<2へ続く>

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