横浜の年表から
今日起った出来事をピックアップしました。
●1882年(明治15年)の今日
「朝鮮国へ派遣された弁理公使 花房義質が明治丸に乗り横浜港に到着し横浜に仮設され東海鎮守府に入ります。東海鎮守府は後に横須賀に移設されます。
花房義質、到着に際し横浜株式取引所に加盟する商人達が町会所(現在の開港記念会館)に花房義質を招き、饗応しました。」
※東海鎮守府
1876年(明治9年)
横浜北仲通6丁目旧ドイツ領事館跡に仮設された海軍の後方支援・統轄を行う機関。
当初東西に設置する予定でしたが、東海のみ設置されました。
花房義質は明治から大正期に活躍した外交官で、マリア・ルス号事件でも脇役ながら、重要な役割を担い日本の司法独立を世界に知らしめた功績を残します。
No.257 9月13日(水)司法とアジアの独立
マリア・ルス号事件訴訟の後は日露国境画定交渉のため派遣された榎本武揚全権公使を補佐し、樺太千島交換条約(1875年)を締結、日露関係の安定に寄与します。
また、朝鮮外交では日本側から自由貿易を求め仁川開港問題を協議、20ヶ月後に仁川を開港するとことで合意するなど、日韓関係に積極的な関係を築きますが、歴史認識のズレ(パーセプションギャップ)のために
朝鮮では嫌われた人物の一人です。
1882年(明治15年)8月3日付の朝野新聞では
『聞く所に拠れば、朝鮮の頑民等は英米諸国よりも我邦を嫌忌すること甚だしく、殊に花房公使を、文禄の役に従事せし小西行長等と同視し、又、彼の頑民共が国王に建白したる大意は日本と交通するは必ず往時、李唐の侵略に逢いたる覆轍を踏むや明かなれば、速に交通を絶つに若しかずとの旨趣なりと。』と報道されました。
●1901年(明治34年)の今日
木下尚江(31歳)と幸徳秋水(29歳)ら二人は、横浜雲井町の「雲井座」で開かれた「普通選挙期成同盟会横浜支部」主催の演説会に出席します。
この年に秋水が刊行した『廿世紀之怪物帝国主義』は同時代の世界思想潮流の中でも帝国主義を批判した先駆的思想といわれています。
※普通選挙期成同盟会とは、普通選挙運動の中心団体として1897年(明治30年)に長野県松本で初めて組織されます。
1900年(明治33年)に国会に請願され活発な普選運動となっていきます。
※横浜雲井町は、現在の横浜市中区長者町5丁目あたりです。
※木下 尚江(きのした なおえ)社会運動家、作家。
クロムウェルの影響を受け、法律を学びます。
廃娼運動、足尾銅山鉱毒問題、普通選挙期成運動などで論陣を張り、
1901年(明治34年)には
幸徳秋水、片山潜、堺利彦らの社会民主党の結成に参加します。
田中正造の死期に立ち会い看護も行った人物です。
幸徳秋水と木下尚江は、次第に考え方が分かれ、
秋水は、アナキズムへ。木下尚江は社会主義運動から離れ
人間主義に関する著作活動に向かいます。
●1906年(明治39年)の今日
「三橋信方」が第5代市長に就任しました。
任期は1906年(明治39年)9月28日〜1910年(明治43年)6月25日
開港50周年記念事業を取りまとめ、実施しますが徒労のため体調を崩し退任、早々に亡くなります。
※横浜市のき章『浜菱』の制定
No.183 7月1日(日) 7月のハマ?
※横浜市歌の作成
横浜市歌の真実
●1989年(平成元年)の今日
横浜市営バス109系統「桜木町駅前〜横浜ベイブリッジ〜スカイウォーク前」間の運転を開始します。
前日の27日は横浜ベイブリッジがオープンした日でもあります。
※ベイブリッジ開通に合わせ
スカイウォークは1989年(平成元年)9月27日から2010年(平成22年)9月26日まで営業されました。