【ミニミニ今日の横浜】3月6日

今日3月6日の話題は全て じっくり紹介したい濃厚なテーマですが、
この【ミニミニ今日の横浜】では残念ですがさらっとアウトラインを。

■1911年(明治44年)の今日
「神奈川の神風閣(元神風楼)が焼失した。その際イギリス人および邦人3名が焼死した(横浜歴史年表)」
神風楼は遊郭です。横濱の遊郭移動史を一度整理して紹介せねば!!と思っているだけで中々まとまっていませんが、市役所同様(比較が悪い)引越しの歴史です。
最初は太田屋新田(現在の横浜公園あたり)に港崎遊郭(代表が「岩亀楼」)を作り最も華やかな時代でした。
火災で関外の吉田新田北一ツ目に移動、吉原遊郭といわれました。
またまた火災で焼失、高島町に移転して高島町遊郭となります。
この時の代表が「神風楼」で、経営者は高島嘉右衛門。
その後また火災で焼失吉田新田の南三ツ目に移動。戦後の1958年(昭和34年)まで永真遊郭街として引き継がれます。この他にも、市内には幾つか遊廓が存在した地域がありました。弘明寺とか台町とか。
この辺は別途紹介します!
light_横濱絵葉書021 light_横濱絵葉書025 「神風楼」は「No.9」という看板を掲げ有名になりますが、この神風楼にまつわる話(人物)はたとえば清水次郎長(山本長五郎)、若き野口英世、箱根富士屋ホテル創業者 山口仙之助の養父は山口粂蔵で、ここ神風楼の支配人でした。
No.197 7月15日(日)老舗ホテルを支えた横浜

■1928年(昭和3年)の今日
「戸塚実科高等女学校が創立された(横浜歴史年表)」
1928年(昭和3年)3月6日認可  戸塚町立戸塚実科高等女学校
1939年(昭和14年)4月1日  横浜市立戸塚実科高等女学校
1943年(昭和18年)4月1日  横浜市立戸塚高等女学校
1948年(昭和23年)4月1日  横浜市立戸塚高等学校
校歌は佐佐木信綱作詞、信時潔作曲共に校歌づくりの巨匠で晩年の作。

■1936年(昭和11年)の今日
「チャップリンが横浜に上陸した(横浜歴史年表)」
当時世界的な有名人だったチャップリンはアジア紀行の際、北太平洋の女王「氷川丸」を選びます。その理由は<氷川丸の「天麩羅」がチャップリンを虜にした>からだといわれています。

No.116 4月25日 紺地煙突に二引のファンネルマーク
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=500

■1940年(昭和15年)の今日
「横浜・サイパン・パラオ間の定期航空が開始された(横浜歴史年表)」
これが今日の一番ネタです。
「南洋群島とわが本土とを結ぶ横浜〜サイパン〜パラオ間四千百二十キロの空の制覇に向った大日本航空旅客輸送は六日横浜、サイパン間を見事征服し日本航空界の輝かしい躍進振りを見せている時、六日の決算委員会で福田関次郎氏(民政)が航空路の拡充、航空不安の除去その他につき質問、藤原航空局長官、桜井航研技術部長からそれぞれ答弁があった、その答弁の中で最も注意を引くものに南洋島を空から結ぶいわゆる南洋島内線の拡充で、これは現在横浜からサイパン、パラオまでの航空路をヤルートまで延長しさらにパラオ、ヤルート間のトラック島とサイパンを結ぶことになっているが、この実現は来る七月から十二月まで毎月一回試験飛行を行い昭和十六年一月から定期空路を確立すべく努めることになった(大阪毎日新聞)」
と当時の新聞記事にもあるように、
かつて横濱、磯子から国際線が飛び立っていたという事実だけでも驚きです。
根岸飛行場あたり 横濱で教鞭をとっていた作家「中島敦」も作品の中で横濱の飛行場を描いたシーンがあります。
No.692 世界一周機「ニッポン」(号)
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=6006
No.214 8月1日 (水)開港場を支えた派川工事
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=393
暦で語る今日の横浜【9月10日】
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=75
No.376 1月10日(木)中島敦のいた街
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=207
いずれじっくり紹介したいと思います。

(3月6日関連ブログ)
No.66 3月6日 ラーメンがなくなる日
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=553