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暦で語る今日の横浜【9月13日】

横浜の年表から 今日起った出来事をピックアップしました。

●1874年(明治7年)のこの日
「谷戸橋畔のヘボン博士邸内に横浜長老派公会が創設された(指路教会の前身)」
ヘボンは「ジェームス・カーティス・ヘボン」
英語読みではジェームス・カーティス・ヘップバーンと発音します。アカデミー賞女優キャサリン・ヘプバーンはカーティス・ヘボンと同じHepburnの一族だそうです。
「谷戸橋畔のヘボン博士邸内」記念碑は横浜地方合同庁舎の前に建っています。

ヘボン式のローマ字で知っている方も多いかも知れません。
ヘボンは眼科医だったんですね。
No.21 1月21日 日中ビジネスに成功した先駆者

長老派公会とはキリスト教のプロテスタント、カルヴァン派の教派です。
指路教会
http://www.yokohamashiloh.or.jp
1892年(明治25年)1月16日、指路教会の大会堂が現在の尾上町6丁目85番地に新築されました。
No16 1月16日(月) 指路教会建つ

●1880年(明治13年)のこの日
横浜取引所の株式取引が許可され、これより横浜株式取引所と改称しました。
「横浜洋銀取引所」は貨幣の交換を主に取り扱う為替トレードセンター?
その役割を終え、新しく株式会社の株取引を扱うようになりました。
1877年(明治11年)横浜洋銀取引所を創立
1879年(明治13年)開業
 No.49 2月18日 過去に学ばないものは過ちを繰り返す

1879年(明治12年)横浜取引所と改称
1880年(明治13年)横浜株式取引所と改称
1889年(明治22年)任意解散します
この年1889年(明治22年)は、市制施行され「横濱市」となります。
日本で初めて大日本帝国憲法・皇室典範・ 衆議院議員選挙法が公布されます。
近代国家のスタートでした。ある意味、明治維新後22年間は憲法の無い“暫定国家”だったということになります。

●1921年(大正10年)のこの日
「永井荷風(44歳)横浜鶴見の旅亭華山荘に田村百合子を訪ねるが不在であった。」
田村百合子は、本名田村智子、芸名白鳩銀子。戸籍上は本間智子でした。
『断腸亭日乗』にも交際相手として名前が出てくる日露戦争前に活躍した大物軍人・田村怡与造(いよぞう)の娘で同じく大物軍人本間中将の妻です。
すごい話です。
永井と浮き名を流したあとは成瀬巳喜男監督の代表作『妻よ薔薇のやうに』(昭和10年)に登場する女優伊藤智子となりますが、芸術家 伊藤熹朔と結婚するんですね。
http://www.youtube.com/watch?v=J2lzKiplmWI

明治、大正時代 猛女というかすごい女性が多く登場する時代です。
永井荷風は父の関係で( 父久一郎日本郵船会社横浜支店長)短い間ですが横浜に暮らします。

●1923年(大正12年)のこの日
震災後初めて「県庁・市役所に点灯した」ということです。恐らく公官庁優先だったでしょうから、電気復旧まで二週間かかったことになります。
また、当時の世界情勢を表す出来事として
「ソ連救済船レーニン号が入港したが、共産主義宣伝の疑をもつて退去命令が下された」というようにソ連の援助を拒否することに。

●1935年(昭和10年)のこの日
「横浜輸出織物手工捺染工業組合が設立された。」
手工捺染は横浜の地場産業でした。
開港当時、蚕糸産業は日本の一大産業に成長しシルク製品は開港以後半世紀にわたり、戦争時代をのぞき輸出品の首位の座を占めます。そのほとんどが横濱港から出荷されました。シルクの集散地だった横濱が、気象条件や水資源に恵まれて捺染プリントの一大生産地となります。横濱捺染技術は東西の優れた木版技法を取り入れて発展します。
かつて 帷子川、大岡川は捺染工場が並び、洗い流された残染料が川を染め(汚染)ましたが、戦後は一気に衰退します。
No.433 帷子川物語(1)
No.238 8月25日(土)日伊友好の歴史

●1938年(昭和13年)のこの日
「横浜王冠キルク工業組合が設立された」
No.82 3月22日 神戸産東京麦酒

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