第989話【運河物語】派大岡川

横浜の運河を追いかけています。
今回は「派大岡川運河」です。
大岡川と中村川を結び、吉田新田誕生と同時に誕生し昭和48年に消えた運河です。
明治45年関内地図
吉田新田図(幕末)
上図は、幕末開港直前の吉田新田付近です。横浜村がペリーとの交渉場所となり、その後開港場がここに誕生します。太田屋新田ができるまで、「派大岡川」ではなく中村川河口の入江でした。それが、開港場となり治水と居留地出島化の役目をもって中村川が山手に沿って延長開削され「堀川」運河が登場します。
これによって、本来なら埋め立ててしまったほうが交通上は大変便利ですが、出島条件の方が優先され、また、当時の水運は物流に欠かせませんでした。
「派大岡川」として水路、運河は温存されることになります。
大岡川下流域運河群の中で、意外に思われるかもしれませんが、過去の橋の長さの記録や写真などから「派大岡川」が最も川幅があったことが判ります。(後述) [橋梁群]
派大岡川には最大時で7つの橋が架かっていました。
明治45年西ノ橋付近横浜電気鉄道予定線
0:<謎の橋>明治45年の地図に掲載。横浜製鉄所のあった倉庫群につながる軌道鉄道が西ノ橋近くの<派大岡川>に設置される予定でしたが、計画で終わります。 このエリアは埋地七ケ町で、明治期まで吉田新田だったため池が宅地化された場所です。派大岡川に架かっていた橋に少し触れてみましょう。 1:吉浜橋 吉浜町と小田原町を結ぶ橋です。
 関外エリアにあった石炭倉庫(幕末に横浜製鉄所→石川島播磨)に渡る橋でした。
吉浜橋から横浜電気鉄道
派大岡川と吉浜橋

2:花園橋

薩摩町通りと扇町通りを結ぶ橋です。
 この橋の親柱は現在港中学校校門移設されています。
花園橋親柱

3:港橋

関内駅脇に架かっていた港橋通りと不老町を結ぶ橋です。
 派大岡川に架かっていた橋の片辺の欄干が唯一残っています。
市役所と派大岡川
派大岡川港橋

4:豊国橋

港町と蓬莱町を結ぶ橋です。明治30年に弓形をした三連ピントラス橋が架かっていました。
 豊国橋横に吉田川運河が合流し蓬莱橋が架かっていました。

5:羽衣橋

震災後に架橋されたもので現在は羽衣架道橋として国道16号線の橋梁として使用されています。

6:吉田橋

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7:柳橋

かつて大岡川の十字路があった場所です。港町六丁目と柳町を繋ぐ橋です。橋近くの岸には<柳>が多くあったようです。現在はちょうど橋のあたりが横断歩道となっています。
大岡川十字路付近(柳橋・都橋)
[消えた運河]
現在、派大岡川は首都高速道路用地となって運河は完全に消えてしまいました。
1960年代には国鉄根岸線が延伸し派大岡川に橋脚が埋め込まれ、運河の上に関内駅が開設され、市役所と横浜球場の玄関として多くの乗降客で賑わっています。現在も根岸線高架部分は<高架橋>ではなく<橋梁>のプレートが残っています。
間もなく市役所移転で、関内駅の様子も大きく変わっていくでしょう。
※印は現在なんらかの形で痕跡が残っている橋梁(横断道)です。
この中で、最も知名度がある橋は「吉田橋」ですが残念ながら昔の姿からは想像もできません。 [舞台]
派大岡川が舞台となった映画の一つが「わが恋の旅路」です。劇場公開1961年(昭和36年)5月16日で、監督 篠田正浩、曽野綾子の「わが恋の墓標」を元に寺山修司と篠田が脚本化した恋愛映画です。キャストは岩下志麻、川津祐介、月丘夢路 他
1960年から61年にロケを行っているので、派大岡川に根岸線の橋脚工事が始まっていたり、港橋、吉田橋、吉浜橋にある横浜中央病院、吉田町商店街の川沿い風景がたっぷり出てきます。
主役の二人が出会う派大岡川岸の喫茶店や、大岡川を使った運河生活の風景が登場します。
第900話【舞台としての横浜】わが恋の旅路
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[運河幅]

派大岡川の特徴の一つに、広い川幅があります。
大岡川運河群の中でも最大級の幅でした。運河群の川幅はどのように推定したかといえば、昔の橋梁スペックから推定してみました。
吉田橋:40.22m
吉浜橋:46.7m
柳 橋:51.5m
豊国橋:42.75m
このデータから 派大岡川の川幅は40mくらいとしました。吉田橋は橋脚部分がせり出しているために短い構造のため、他の橋より短くなっていると思われます。
終戦時焼け跡
以上のように、派大岡川は開港場が発展する時代から今日まで、関内外の重要な運河でした。今は消えてしまった橋梁のなごりを探しながら当時の姿を想像するのも楽しいものです。

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