1864年2月6日(文久3年12月29日)旧暦の今日、
日本と永世中立国スイス連邦共和国との修好通商条約が結ばれます。
この日から日本とスイスは細く長く、1世紀半の友好を継続してきました。
幕末に欧州の小国スイスが日本に使節団を送り、通商条約を求めたのは何故でしょうか?
列強に囲まれる中で、スイスは外交力とビジネスでこの国を2世紀にわたり「中立」として独立を維持して来た歴史があります。
※1815年にウィーン会議で、国家としての「永世中立国」が認められ、2002年9月10日 国民投票の結果を受けて190番目の国連加盟国になっています。
スイスは不思議な国です。
母国語が一つではなく、民族・文化も異なりますが国民が「スイス連邦」として国家独立を選択し成り立っています。
http://www.swissinfo.ch/jpn/index.html
http://www.schweiz-japan.ch
開港と同時に、世界各国から通商条約の締結を求めて外国使節団が押し寄せます。
今で言う、FTAかTPP締結で揺れるという感じでしょうか、日本は国内情勢に大きく影響される中、各国と条約を結んでいきます。
まず安政の五カ国条約が結ばれます。米蘭露英仏の順で個々にまた内容も若干異なっていました。
●日米修好通商条約 1858年7月29日(安政5年6月19日)
●日蘭通商修好条約 1858年8月18日(安政5年7月10日)
●日露修好通商条約 1858年8月19日(安政5年7月11日)
●日英修好通商条約 1858年8月26日(安政5年7月18日)
●日仏修好通商条約 1858年10月9日(安政5年9月3日)
●安政五カ国条約
No.49 2月18日 過去に学ばないものは過ちを繰り返す
その後ポルトガル、プロシアの外交使節団が幕府と条約締結に及びます。
日葡修好通商条約 1860年8月3日(万延元年6月17日)
日普修好通商条約 1861年1月24日(万延元年12月14日)
当時、スイスにとってプロシア(ドイツ)はライバル国でしたので、日普修好通商条約の調印はいち早く、スイスの極東への関心を高めます。
ここに一人の卓越した国際感覚を持った人物が日本行きを決定します。
元政治家として活躍しスイス時計生産者組合会長を務めていたエメ・アンベール・ドロズです。
彼はいち早く時計市場の確保の為に通商条約締結を「スイス連邦政府」に提案します。そして自ら使節団長(全権特使)として優秀なメンバーを連れベルンから五ヶ月かけて、スエズ・インド経由で長崎に1863年4月9日に上陸します。
その後直ちに横浜に向かいますが、
日本は生麦事件騒動のまっただ中で、幕府は攘夷に大きく傾き条約交渉に時間がかかります。
幕末日本図絵に用いた風景絵 |
日本の、横浜の様子が精密に描写されています |
使節団は約10ヶ月の粘り強い交渉を余儀なくされます。
この滞在期間にアンベール・ドロズは日本という国を社会学的な視点で冷静に分析し、大量の日本文化をコレクションし母国に持ち帰ります。その数3,000点を越える膨大なものでした。このコレクションを元に、帰国したアンベールが編集したのが『幕末日本図絵』で、貴重な日本研究資料となっています。
※下記の挿絵は、アンベールが持ち帰った写真や、絵、資料を元にフランスのスタッフが出版用に書き起した挿絵です。描写力に驚きます。
橋を架ける様です。技術の巧みさが良く描写されています。 |
花見の風景です。文化史資料といても一級です。 |
細部まで、道具含めて正確に描かれています |
港崎の「岩亀楼」を描いていますが、静寂を感じます。 |
椅子に座る横浜の女性。 |
1864年2月6日(文久3年12月29日)にようやく日瑞修好通商条約を提携する運びとなります。最終的には同じプロテスタントの国で、日本政府(幕府)に影響力のあったオランダの政治的仲介(圧力)があったからだと考えられています。
(貿易立国スイス)
このアンベール以下外交使節団の中に、ブレンワルドという優秀な外交官でありビジネスマンが同行していました。彼は条約締結後、スイス総領事代理を務め横浜に商館を設立し日本の貿易に大きく貢献する事になります。
一旦母国に戻った後、ファンドを築き多くの出資者を募りロンドンで出会った絹織物業のヘルマン・シーベルと共に日本で貿易業を開始します。これが1866年(慶応2年)に設立された
シーベル&ブレンワルド商会です。
当時三番目に取引量の多かったシーベル・ブレンワルト商会は、時計をはじめお茶、生糸、武器、高島嘉右衛門がドイツと競ったガス灯ビジネスにも加わりガス灯資材をイギリスから横浜に輸入するなど、多方面の貿易に関わります。
(日本を売る)
悪い意味ではありません。
日本製品を欧州市場に売る事で自国の利益に繋げる国が小国の生き方の一つです。
この商社は組織変更はあるものの現在まで日本支社が継続しビジネス展開しています。
DKSHジャパン株式会社
http://www.dksh.jp
No.204 7月22日 (日)一生を世界一周に賭けた男