【謎解き横浜】弁慶の釣り鐘は何処に?
「一寒村に過ぎなかった横浜が〜」 枕ことばとして使われる横浜開港のフレーズです。 小さな村でしたがそれを<寒村>という枕詞で形容するのは止めよう派です。 <小さな村>たしかにその通りですが、横浜村が小寒村であれば、日本の… 続きを読む »
「一寒村に過ぎなかった横浜が〜」 枕ことばとして使われる横浜開港のフレーズです。 小さな村でしたがそれを<寒村>という枕詞で形容するのは止めよう派です。 <小さな村>たしかにその通りですが、横浜村が小寒村であれば、日本の… 続きを読む »
目下1930年代の短期間に発行していた「市電ニュース」の風景を読み解いています。 1931年(昭和6年)5月・6月 五月 29日 ’Sturdy’号にて Edward Miles Lone sai… 続きを読む »
1891年(明治24年)6月5日 「有限責任横浜船渠会社が設立認可」と資料から発見!日本鋳造(株)『日本鋳造50年史』や 『石川島重工業株式会社108年史』他に表記されていました。 横浜船渠(よこはませんきょ)と読みます… 続きを読む »
時折断片的な史実がつながり始めることがあります。 点が線に線がある形になっていく時に背中がゾクゾクッとします。 これまで900話位の史実をさがす横浜ブログを書いていますが、ゾクゾクッとすることは中々ありません。 今日のネ… 続きを読む »
今日はどちらかというと苦手なジャンルからの紹介なので手探り文になっています。 1931年(昭和6年)4月25日 「浦島町に関東学院セツッルメントが開館した(横浜歴史年表)」 「関東学院セットルメント献堂式(横浜近代史総合… 続きを読む »
目下1930年代の短期間に発行していた「市電ニュース」の風景を読み解いています。 1931年(昭和6年)5月 東横電鐵直営 日吉台苺園開園中(二十五日前後が最盛) 二十一日 『郵船』龍田丸入港出航(午後三時四号岸壁発 桑… 続きを読む »
目下1930年代の短期間に発行していた「市電ニュース」の風景を読み解いています。1931年(昭和6年)5月 十四・五・六日 伊勢山皇大神宮大祭(電車 紅葉坂・野毛坂又は戸部一丁目下車 バス紅葉坂下車) 十五日 『郵船』浅… 続きを読む »
目下1930年代の短期間に発行していた「市電ニュース」の風景を読み解いています。1931年(昭和6年)5月 九日 横濱高工對日大野球戦(午後二時半横浜公園球場にて) 九日 春季體育大会(電車及バス市役所前下車) =午后六… 続きを読む »
1930年(昭和5年)12月25日 「市電ニュース」第一号が発行されました。 横浜市が震災復興に一つのメドがついた昭和5〜6年、 横浜市電が路線網を広げた時期です。 震災後の横浜で 元気を取り戻す原動力として横浜市の復興… 続きを読む »
目下横浜市内の国道を巡っています。横浜市内の国道は 1号、15号、16号、133号、246号、357号、466号があります。 かなり昔ですが自動車では市内全て走破しました。通過しただけですが。 さらに自転車では246号・… 続きを読む »