7月 23

No.205 7月23日 (月)駅を降りたら、国際港

1872年(明治5年)に初めて横浜と品川間の鉄道が開通し2012年で140周年を迎えました。開通から半世紀のちの1920年(大正9年)7月23日の今日、
東京駅と「横浜港駅」間が開通しました。
“横浜港〜サンフランシスコ間航路”に接続するための臨港線が開通したことはあまり知られていません。
今日は現在赤レンガパークに保全されている
「横浜港駅」を中心に横浜鉄道史の断片をご紹介します。

横浜港駅(2002)

(新しい埠頭の誕生)
明治の中頃、幕末の開港以来横浜港には西波止場・東波止場がありましたが、船舶の大型化に対応できず、沖に停泊し艀(はしけ)と使って荷物の運搬を行う状態が続いていました。
特に大型貨客船の接岸は、横浜港の重要な課題でした。
そこで新しい埠頭「新港埠頭」を増設する工事が1899年(明治32年)に始まり1914年(大正3年)に完成します。

新港埠頭

「新港埠頭」は大岡川の河口沖合に生まれた人工島です。
現在の地図を見てもこの島を幾つかの橋が結んでいることが良くわかります。

「新港埠頭」は大きく二本の突堤に11隻の船を横付けできる岸壁を持つものでした。
そこに日本最大の物流拠点が誕生しました。

(日本最大の物流拠点)
東京港が本格的な国際港として稼働する戦後(開港は1941年(昭和16年))まで、
横浜は首都圏の唯一の国際物流拠点でした。
「新港埠頭」誕生と同時に、Yokohama Red Brick Warehouse「新港埠頭保税倉庫」(赤レンガ倉庫)が誕生します。
岸壁と保税倉庫に加え陸路の物流に鉄道が整備されました。

そこで「新港埠頭」の増設と同時に、臨港鉄道も併せて整備されました。
1920年(大正9年)7月20日に「横浜港駅」が開設し
23日に「東京駅と横浜港駅」間鉄道が開通することになります。

特に日米航路の出発地だった横浜港駅は、
物流だけではなく「旅客者」が乗降する駅でもありました。
日本郵船の日米航路定期船に合わせ乗船客や見送りの人々がこの車両を利用しました。
終点の横浜港駅を降り、その足で外国航路に乗船する。
ロマンチックな光景を想像することができます。
東京と国際港を結ぶ臨港鉄道は飛行機にその首位の座を渡すまで、
成田空港駅のように“港”に欠かせないものでした。
この臨港鉄道
1960年(昭和35年)8月27日、氷川丸出航に合わせて運行された旅客車両を持って運行を終了します。その後、桜木町から横浜港区間は貨物路線としても役割を終え、廃線となりました。
1997年(平成9年)路線の一部を整備し「汽車道」として一般に公開され現在に至っています。

汽車道

「横浜港駅」もこの歴史を伝える近代史資産として赤レンガパークに残されています。
かつて臨港線だった貨物線は現在も桜木町から一部地下化し京浜地区の物流を担っていますが、さらに有効活用を願う声も大きくなっています。

(横浜は鉄道の原点都市)
今年7月10日に「原鉄道模型博物館」もオープンしたこともあります。横浜の魅力コンテンツに「鉄道」は欠かせません。
横浜駅は一つの駅に乗り入れている鉄道事業者数日本最多の駅です。
2001年に開催された現代アート展「第一回横浜トリエンナーレ」では鉄道をモチーフにした作品も登場しました。

オノ・ヨーコ「貨物車2001」
汽車道にはナウイン駅をモチーフにした「横浜サーラ」
当時の解像度が低くてすみません

アーティストが開場の歴史的文脈を感じ取った証といえるでしょう。

東急東横線の桜木町〜横浜間の架橋の活用も含め、
鉄道の150周年(2022年)までに横浜の魅力づくりに加えて欲しいコンテンツです。

(新港埠頭関連ブログ)

No.241 8月28日(火)駅を降りたら、国際港 復活(その2)
3月2日 みらいと歴史をつなぐ道

No.335 11月30日(金)午後1時46分41秒
新港埠頭に停泊していたドイツ船ウッカーマルク号が突然爆発

No.103 4月12日 「新港埠頭保税倉庫」から「赤レンガ」へ

No.307 11月2日(金)日本波止場に万国橋

No.266 9月22日 (土)ハマの赤レンガ
1888年(明治21年)9月22日(土)の今日、横浜区相生町68番地に横浜煉化製造会社が創業

6月 12

No.164 6月12日(火) JR JR

昨日のJ・R・ブラックには今日につながる話しがあります。
1872年6月12日(水)(旧暦明治5年5月7日)かねてよりの突貫工事で進めていた品川・横浜間の鉄道が仮開業しました。

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日本の新聞黎明期に活躍したJ・R・ブラック
No.163 6月11日(月) 反骨のスコッツ親子

彼は、新聞だけではなくビジネスにもその才能を発揮しました。
品川・横浜間の鉄道開業が決まった1872年(明治5年)の横浜で、
「駅構内で新聞を販売したい」と
工部省に申請を出して許可を得た人物がJ・R・ブラックです。
日本で最初の新聞の駅売(即売)は「横浜駅(桜木町駅)」から始まったようです。
国鉄時代にJRブラックさんが駅で新しいビジネスとは!!
冗談はさておき、
新聞の発行だけではなく駅構内での販売を考えたとはすばらしい経営感覚です。
開店当初は出店料が無料だったそうですが、1875年(明治8年)1月から年間36円の有料になったそうです。
ちなみに、駅弁は1885年(明治18年)7月に宇都宮駅で食料品を販売した際に、弁当も販売したのが始まりだそうです。
<参考文献>「駅売弁当 -北から南まで-」山崎きく子(昭和女子大)

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横浜で駅弁と言えば!!!崎陽軒ですね。

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(ちょっと鉄道横道)
日本初の鉄道営業の開始は6月12日ですが、“鉄道の日”はなぜか10月14日です。
この“鉄道の日”元々『鉄道記念日』といいました。
国鉄民営化で「『鉄道記念日』のままではJRグループ色が強い」という“変な”お達しがあり1994年(平成6年)“鉄道の日”になったそうです。
(そんなことにこだわらなくても良い!って感じですが)
話しを“鉄道の日”10月14日に戻します。
品川・横浜間の正式開業は四ヶ月の仮営業後、旧暦明治5年9月9日の重陽の日に予定されていました。
ところが当日暴風雨で延期せざるを得ず改めて旧暦9月12日(西暦1872年10月14日(月))に正式開業しました。
ということで、西暦の10月14日が『鉄道記念日』となったわけです。
つまり、鉄道営業の開始の6月12日は“仮営業”“試験運転”????????
ということですかね。

初代横浜駅、現在の桜木町駅をうろついてみました。
桜木町駅に新改札口、JR東日本14年春設置へ(2012年の情報)
【紅葉坂口ができます】→紅葉坂口2014年7月オープン!!
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1201120048/

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「みなとみらい」へ短縮!とありますが
あまり時間的メリットがあるとは思いません。
改札の混雑緩和が主!ではないでしょうか。(野毛はちょっとダメージ?)
※コレットマーレには朗報ですね。商業施設ができるそうです。JR商法逞しいですね。
ということで
最新情報では 桜木町CIALが登場します。した。
lit_AZ103047lit_AZ103051 (周辺散歩)新しく桜の木が植樹されています。さてどこでしょうか?

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横浜緋桜は横浜生まれの桜です

かの有名な鉄道発祥の記念碑は現在寂しいところに建っています。

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ここでは鉄道記念日ではなく仮開業の日を創業の日としています

(余談)
駅の立食い蕎麦「川村屋」
このお店 110年以上の歴史があるお店です。
私このお店30年来の利用者ですが、2000年に入る頃までは 関東ワースト10に入るお店でした。
正直美味しいとは言えませんでした。
ネットでも、その前のパソコン通信でも人気無かったのです。
ところが、
今世紀に入り経営姿勢が変わったのか 代替わりしたのか
群を抜いて美味しくなりました。ここは青汁でも有名です。

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『横浜富貴楼お倉』鳥居民 1997 草思社にも登場します。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0323.html

富貴楼関連
No.255 9月11日(火) 謎多き尾上町の女将

No.419 落胆の身を江湖にさらす

5月 19

No.140 5月19日 ねぎしへいそご!

今日は殆どの方には無用の(鉄道ネタ)です。
少し 横浜の歴史をかいま見ることができます。
1964年(昭和39年)の今日、
国鉄桜木町駅から磯子駅まで延伸し「根岸線」が誕生した日です。

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現在の磯子駅、海側は工場地帯
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桜木町駅、上りは京浜東北、下りは根岸線と掲示

(素朴な疑問)
1.根岸線開通前、横浜駅〜桜木町駅は何線?ご存知ですか?
2.「京浜東北線」と「根岸線」は同じ?違う?
3.磯子駅まで延伸したのに何故「根岸線』?

“根岸線”、“京浜東北線”に関して、 Wikipediaでは
俗に言う“荒らし”対策がとられている炎上ネタとなっています。
 (どこを争いたいのか?よくわかりませんが)
 (2012年5月現在)

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疑問1ですが
根岸線開通前、横浜駅〜桜木町駅間は「東海道本線支線」でした。
日本で一番最初の鉄道は、東海道本線の支線として条件が揃ったので
 着工しました。次第に現横浜駅と現桜木町駅間は“鉄道計画”の主軸から脇に追いやられていきます。→市庁舎・県庁のある“関内地区”に駅がない!!!

疑問2は
「京浜東北線」と「根岸線」は区別して使用されています。
「京浜東北線」は“通称路線名”
「根岸線」は“路線名”です。
 →良く判んない!ですね。
(解説)
■1964年(昭和39年)5月19日
国鉄桜木町駅から磯子駅まで路線が延伸され、横浜駅から磯子駅(現在は大船駅)を“新線名”として「根岸線」と命名しました。
一方、横浜駅から大宮駅までを「京浜東北線」と呼んでいます。この「京浜東北線」という名称は“通称路線名”として便宜上付けられている名称です。
※『京浜東北線」は戦前、横浜〜東京の東海道本線、東京〜大宮の東北本線を使った近郊線が通称路線名として使われるようになったものです。
東海道本線の近郊線が京浜線
東北本線の近郊線が東北線と言われ、両線を合わせて「京浜東北」としたのが始まりです。
京浜東北線に対し、
新しく開通した根岸線は、横浜駅〜桜木町駅路線(東海道本線の支線)に桜木町〜磯子間の新しい路線が加わって開通した路線として設定されました。
(彷徨える横浜駅)
ところが、この横浜駅が初代(桜木町駅)から二代目(高島町)に、そして現在の位置に(三代目)として移動したため路線区間の設定が複雑になりました。
【横浜駅〜桜木町駅】の歴史を簡単にマップに示しました。

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■さて「根岸線」の由来ですが、
これも正直良くわかりません。
磯子線にしても不思議はありませんが、何故「根岸線」となったのでしょう。
少々調べてみました。
根岸線には意外な顔があります。
桜木町から磯子(現在は大船)までの路線管轄は「JR貨物」と「JR東日本」が共同で担っています。
そのため日本貨物鉄道(JR貨物)と神奈川臨海鉄道の管理駅もあります。
ここの路線には日本最大規模の製油所である「JX日鉱日石エネルギー」根岸製油所がありそのタンク車(タキ)の操車場が広がっています。
車両基地と呼ぶほどの規模ではありませんが、
国鉄時代の重要な貨物駅であったことは間違いありません。
根岸駅、意外と大きな駅です。

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根岸駅
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磯子駅

現在も一部が残る米軍の根岸住宅があったことと少し関係があるかもしれません。

(余談)石崎川路線
野毛の湘南鉄道予定路線だった街区のなごり同様に
高島町(二代目横浜駅)から保土ケ谷駅に繋がっていた旧東海道本線のなごりがまだ残っています。

3月28日 京浜湘南電鉄連結地点(野毛)
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ピンクの帯(着色)が初期東海道本線跡、JR住宅から現在はマンション群に

(おそまつでした)

4月 16

No.107 4月16日 かみ(お)おか ひとだんらく(修正)

急膨張を続ける人口(住宅地)を背景に、
横浜西の拠点上大岡駅前周辺の整備が急がれていました。
まず京浜急行の立体化と駅舎周辺道路の再整備が行われ、
1997年(平成9年)に「ゆめおおおか」が完了し、引き続き「camio」、
そして2010年(平成22年)の今日、
「上大岡C南地区第一種市街地再開発」miokaがオープンしました。
20年以上懸案だったこのエリアの整備が“ひとだんらく”しました。

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2003年(平成15年)に「camio」ができ、
2010年(平成22年)に「mioka」ができました。
残っているのが「O」?わかります?
 camio mioka=kamio oka

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再開発ビルの地上33階、地下2階建ての内、地下1階から地上6階までが商業施設でミオカ(英文名称:mioka)といいます。

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地上7階から33階までの部分は高層住居で「上大岡タワー ザ レジデンス」です。隣にあったショッピングセンターも同時にリニューアルし、「リストガーデンスクエア」から「miokaリスト館」と名称も変更しました。

上大岡駅前エリア開発は 

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地権者の合意形勢が出来ず当初の計画通りには行きませんでしたが最終的に三地区の開発が行われました。
A地区
上大岡駅改修と「ゆめおおおか」ビル
ゆめおおおかビルは、パブリックアートが随所に展開されています。世界的アーティスト奈良祥智の作品群を含め、100点以上設置されています。この作品探検も面白いですよ!

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No.196 7月14日(土)きもかわいい
 
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B地区
横浜上大岡ショッピングゾーンカミオ

そしてC地区が「mioka」です。

上大岡エリアは、港南区周辺の宅地開発による急激な人口増加に対処が必要でした。
昭和45年を100とすると、平成2年の港南区人口は215%と倍以上に膨れ上がります。横浜市全体の伸び率が144%ですからいかに急激な伸びか おわかりかと思います。駅の横を走る「鎌倉街道」は常時大渋滞で、商業機能も手詰まり状態でした。
とにかく航空写真を見てもびっしり住宅密集地が広がっています。

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いびつで不完全ではありますがこの駅前開発で、上大岡はポテンシャルを回復します。
当然テナント間の競争はし烈化しますが、商圏は港南台、洋光台、磯子にまで拡大します。
今だ一区画地権者の不同意で全く手つかずのゾーンがあります。
旧街道沿いや、川沿いに下町風情も残っていますが、まだまだ変化する町にどうなっていくのか気になるところです。

上大岡エリアは横浜市の拠点づくり計画の重要なゾーンの一つになっています。

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(簡単年表)
1963年(昭和38年)に京浜百貨店が完成、開業
その後

1965年(昭和40年)富士スーパー開業
1969年(昭和44年)東光ストア(後の東急ストア)開業→閉店
1971年(昭和46年)ダイエー開業→閉店
1972年(昭和47年)横浜市営地下鉄の上大岡駅が開業
1974年(昭和49年)イトーヨーカ堂上大岡店開業
1975年(昭和50年)長崎屋上大岡店開業→閉店
1980年(昭和55年)三越上大岡店開業→三越エレガンス→閉店
1988年(昭和63年)2月14日 上大岡駅前再開発協議会設立
1996年(平成8年)10月1日ゆめおおおか(駅ビル)
2003年(平成15年)12月6日camio(カミオ)開業
2010年(平成22年)4月16日mioka(ミオカ)開業

   ※2013年年表4月加筆修正

(余談)
一昔前、駅近くのスナックでペンギンを飼っているところがあり、時々街中を散歩していましたが現在も元気?なんでしょうかね。

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3月 30

No.90 3月30日 環状鉄道の夢

路線図を見れば明らかですが、
370万人都市にしては横浜の鉄道網はまだまだ未完成です。
横浜駅を中心に放射状に延びる路線網に対し、環状線が未整備のため不便さが際立っています。
環状線の整備は市民の利便性、アクセスを高める重要な要素です。
利便性の確保は1960年代から計画されていましたが2008年(平成20年)の今日、環状鉄道の一部である市営地下鉄グリーンラインが開業しました。

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新幹線を除いてあります。

市営地下鉄グリーンライン(全長13.1km、地下区間10.7km、地上区間2.4km)は東急東横線「日吉駅」とJR横浜線「中山駅」を結ぶ「横浜環状鉄道」の一部です。
建設コストダウンのため一般的な地下鉄より小型化しリニア方式を導入しているので「ミニ地下鉄」とも呼ばれ全国の政令指定都市の公営地下鉄に多く用いられています。
このグリーンラインは最高速度80km/hを出し、鉄輪式リニア方式のトップクラスの速度を誇ります。リニア鉄道というと、581km/hを出したJRの東海道リニア計画が有名ですが、東海道リニアは磁気浮上式でグリーンラインで採用している方式とは異なります。

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同形式最高速のリニア地下鉄10000形

(余談)この磁気浮上式で日本初の営業運転は、
1989年(平成元年)の横浜博覧会開場を縦断したYES’89線です。

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中央通りの右側をリニアが走っています。

このリニア誘導モータは従来の方式に比べ、消費電力が増えるため311以降この方式の優位性が下がっています。
今後はドイツ ストラスブールで有名な低床LRT(次世代型路面電車システム)に代わっていくでしょう。
この「横浜環状鉄道」の一部であるグリーンライン線は当初、鶴見駅から日吉駅経由、中山駅から二俣川駅、東戸塚駅、上大岡駅、根岸駅方面へ延伸する計画が組まれました。
さらには現在開通している「みなとみらい線」と繋がる計画でしたが、路線規格が異なるため横浜環状の夢は崩れました。
現在、市営地下鉄グリーンラインの一日平均乗降客数は208,178人(平成22年度)で事業計画時に想定した平均利用者数を越える事業実績を達成していますので、新たな延伸計画が持ち上がる日もそう遠くないでしょう。

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環状計画含め鉄道計画予想図(現状とかつての計画を重ねました2010現在)

最近ブルーラインの延伸計画が急浮上していますので、どちらが先になるのか?
沿線住民は気になるところです。

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飛鳥田市長時代の交通網計画

鶴見・日吉間も捨てがたいものがあります(すでにインフラ競争が始まっているような?個人感)。
横浜市内の環状鉄道計画は、都市設計者の夢です。既に、相鉄線から新横浜経由日吉計画が実施されていますが日吉駅経由東横線のキャパシティもあります。
東京への導線をどうするか?

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東急日吉駅

鉄道計画とは息の永い事業であることは間違いありませんね。
(2012年3月)以降かなり新線計画は進展しています。

3月 28

No.88 3月28日 京浜湘南電鉄連結地点

1930年(昭和5年)の今日は、
黄金町を起点に三浦半島へ路線を展開する「湘南電気鉄道」の一部が完成した日です。
湘南電気鉄道、元祖「湘南電車」の登場です。
黄金町から浦賀まで、途中金沢八景から六浦、新逗子を結ぶ現在の京浜急行の南路線の完成です。
当初は全く別会社としてこの計画が始まりました。
※開通は4日後の4月1日ですが、この4月1日は話題満載一日なので、路線工事竣工の日をネタにしました。

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三浦半島を現したタイルの柱です。湘南進出を記念して?でしょうか。

写真の「日ノ出町」駅はこの時、まだ開業しておりません!
1931年(昭和6年)12月26日に京浜電気鉄道と結ばれます。

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京急の赤ボディです。

今日の話しは、二つの鉄道会社が相互乗り入れをするかしないか、事業の分かれ目が現在も地図上に残っているというお話です。余裕があれば波瀾万丈の鉄道会社の国取り物語をご紹介したいところですが【番外編】の機会に譲ることとします。
さわりを少々。
日本の鉄道網は多くの夢多き実業家の挑戦と競争、M&Aを繰り返しながら合従連衡の歴史を歩んできました。
最初は思い思いの線路幅で使用する電車の規格もバラバラの状態で他の会社と競争しながら路線設計が行われてきました。現在、品川(泉岳寺)を起点に三浦半島まで走る京浜急行電鉄は、元々東京と横浜を結ぶ大師鉄道を母体に生まれた「京浜電気鉄道」という会社で、帝都東京の奥深くまで進出する計画を持っていました。
南方面は、黄金町から浦賀を結ぶ「湘南電気鉄道」が新規事業を展開しようとしていました。ところが状況の変化が、若干ライバル関係にあった二社を結びつけます。
関東大震災のために事業計画が行き詰まった「湘南電気鉄道」を「京浜電気鉄道」が事業支援をします。それでも基本は別会社ですから「湘南電気鉄道」は浦賀から桜木町へ路線を設計し土地も確保します。
その名残が現在も地図に残っています。

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川沿いに二本の桜木町に向かう道が残っています
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明治にはありません

最終的に、この二つの路線は相互乗り入れを決定し、1931年(昭和6年)12月26日日ノ出町で繋がります。
現代では基本規格が整理されていますので相互乗り入れができるようになりましたが当時は違ったので大変だったと思います。これによって、現在の京浜急行電鉄の路線原型が完成します。京浜急行の帝都進出は都営地下鉄・京成電鉄との相互乗り入れで実現し関東を縦断することで実現しています。

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かつての計画では逗子線と久里浜線が繋がるイメージ

野毛を歩いていると緩やかなカーブのある道があることに気がつきますが、そこが元々鉄道の敷地だったことに気がつくことはありません。計画変更から90年近くなりますが、歴史の名残を感じながら千鳥足で飲み歩く野毛界隈の愉しみもまたオツなものでしょう。

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これがあるから迷う?
京浜急行日ノ出町、野毛山トンネルをめぐる謎を徹底的に糾明したサイトです。
http://www1.c3-net.ne.jp/hamachan/tetudou-yokohama-4-1.htm
http://www1.c3-net.ne.jp/hamachan/tetudou-yokohama-4-2.htm
http://www1.c3-net.ne.jp/hamachan/tetudou-yokohama-4-3.htm
3月 9

No.69 3月9日 事業失敗鐵道、横浜線物語

東神奈川から八王子まで走るJR横浜線(全長42.6km)は鉄道の中でも超黒字路線の一つです。ところが横浜線はかなり長い間赤字路線でした。この横浜線、神奈川を南北にシルクロードを走り抜ける産業鉄道として1904年(明治37年)のこの日、横浜線の前身となる「横濱鐵道(株)」が設立されました。

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横浜線(東神奈川と八王子を結ぶ路線)は横浜港に群馬山梨から絹や物資を運ぶ貨物線として横浜商人が渇望していました。ところが、鉄道は国家政策であり、事業家にとっても熾烈な投機合戦の場でした。明治の鉄道王と呼ばれた雨宮敬次郎と横浜商人グループは、山梨群馬を結ぶ鉄道路線で熾烈な競争を行いますが、雨宮の甲武鉄道計画に破れます。
雨宮が半歩先にこの計画を進めることで、八王子と横浜を繋ぐ計画は政府から許可が中々下りません。明治19年(現在の南武線ルート)武蔵鐵道計画を誓願しますが却下されます。その後何度も計画が持ち上がりますが、中々具体化しません。
明治26年になって東神奈川と八王子を結ぶ路線を横浜商人が路線敷設免許申請します。その後5回目の申請が行われ明治35年、ようやく許可になります。本社を東神奈川(現在の横浜市神奈川区、横浜線の起点)におき、発起人40名で資本を募り4万6千株、994名の株主によって横濱鐵道株式会社が1904年(明治37年)の今日3月9日に設立されることになります。

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ところが、物事にはタイミング、時流、先見性が大切です。すでに絹の鉄道貨物はほとんど東京経由で運ばれていました。横浜鐵道、開通したは良いが、殆ど赤字というありさまでした。さらに最初から単線で計画したため、融通が利かなくなります。鐵道の投資に関しては、横濱商人よりも雨宮啓次郎が一枚上手でした。雨宮の甲武鉄道は基幹路線として政府が買い上げられます。彼はかなりの利益を得たといいます。
ということで横浜線は逆に赤字で経営が破綻寸前までになり、結局国に吸収され国有鉄道となります。

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戦前から戦後まで「ボロ電」と言われた時期もあるほど、ローカル線の道を歩みますが、高度成長期から沿線の宅地化が徐々に進み利用客が増加しますが単線で増発できない殺人ラッシュ電に変身します。
1967年からようやく輸送力増強のための複線化工事が順次行われ、1988年に全線が複線化されました。1998年から10年間、土曜・休日に横須賀線に乗り入れ逗子駅までの直通電車が運行されていたことは意外に知られていません。横浜と松本を結ぶ「はまかいじ」も同時期に始まりましたが、これは現在も臨時電車扱いで継続しています。(昨年は少し走っていましたが今年は???です)

現在最大のネックは「東神奈川駅の不便さ」です。ラッシュ時の根岸線と横浜線の乗客が入り乱れる混雑状況は利用者が増えれば増えるほど厳しい状況になっています。

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※余談
3月9日は(鉄道の父)エドモンド・モレルが横浜に到着した日でもあります。

2月 1

No.32 2月1日 みなとみらい線開通

さあ二ヶ月目に突入です。この間励まし ありがとうございます。
平成16年のこの日横浜と元町中華街を結び、東横線で渋谷に繋がる「みなとみらい線」が開通しました。4.1Kmの短い路線ですが、東急東横線の横浜駅〜桜木町駅間に代わり作られた路線です。
1985年(昭和60年)に提出された運輸政策審議会答申に基づき、横浜高速鉄道株式会社が設立され着工しました。

みなとみらい線の駅についてエピソードをご紹介します。「みなとみらい線」の特徴は、「横浜」「新高島」「みなとみらい」「馬車道」「日本大通り」「元町・中華街」の6駅のデザインが全て違うことです。路線の駅舎デザイン設計は統一感をもたせるのが一般的ですが、「みなとみらい線」は、デザイン委員会が各駅毎に選定した建築設計事務所が行いました。
「新高島駅」は山下昌彦氏(UG建築設計)

「みなとみらい駅」は早川邦彦氏
「馬車道駅」は内藤廣氏
終点「元町・中華街駅」は伊藤豊雄氏が担当しました。

途中「日本大通駅」は鉄道施設・運輸施設整備支援機構※が担当しました。
※みなとみらい線の工事を担当した組織です。
それぞれ異なる設計者ではありますが、全体的に吹き抜けのある大空間を活かした開放的なデザインは横浜らしい雰囲気をかもしだしています。「駅」自体が観光の重要な空間になる楽しい路線となっています。

1月 31

No.31 1月31日 さよなら路線廃止に沢山のファン

1月31日はこのテーマしかありません。路線廃止です。
平成16年(2004年)のこの日、71年の歴史に幕が降ろされました。
廃止決定に当たっては、様々な騒動も起きました。
高架線下の名物落書きも消えました。廃線後の線路道はまだ再利用されていません。
本日はこれにて終了、にしようと思いましたが、この日もう一つ廃止になった交通機関があります。1972年(昭和47年)横浜市電がこの日全線廃止となりました。
市電について少し調べてみました。東横線はyoutubeをご覧ください。

「さよなら東横線桜木町横浜」
http://www.youtube.com/watch?v=4hm6BujSBkc
http://www.youtube.com/watch?v=PPuG953IZyc&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=acm8d67gWEk&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=7Lt0Gmteo_k&feature=related
【横浜市電】

 
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(市電保存館より)

「さよなら東横線桜木町横浜」
関連

No.394 フラワー全開!

横浜電気鉄道)

1904年(明治37年)7月15日民間会社の横浜電気鉄道が市内初の路面電車営業を開始しました。区間は神奈川〜大江橋(現在の青木橋から桜木町)です。1921年(大正10年)に横浜市が横浜電気鉄道路面電車を買収します。横浜市電気局の誕生です。1946年(昭和21年)に横浜市交通局になります。
路面電車は軌間(線路の幅)が標準軌で1,435 mmです。関東大震災後、多くの車両が焼失し、不足に陥りました。そこで、現在の京王線(京王電気軌道)から車両を購入します。当時京王線からどうやって車両を運んだか?
京王線の新宿追分駅までまず車両を移動し、市電(都電)との連絡線を経由し、品川まで移動。京浜電鉄経由で生麦まで運んだということですから驚きます。
規格は統一しておくとコストダウンにつながる良い例ですね。運んだ時間帯は不明です。
昭和30年代に最盛期を迎えます。

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市電保存館HPより

1966年(昭和41年)に生麦線、中央市場線を廃止したのを皮切りに廃止路線が増えて行きます。そして1972年(昭和47年)市電とトロリーバスが全廃されその姿を消しました。

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最終日には「花電車」が走行し、かつての車両もデモで走ったそうです。省エネ時代どこか可能な所を復活させても良いのでは?と思います。

1月 20

No.20 1月20日 鶴見線「73型電車サヨナラ運転」

「オタク」最近では「熱中人」という名の不思議な人たちがいます。私もその一人かもしれません。興味外の者にとって「そこが好き、夢中になる」理由が全く分からなりません。
1980年(昭和55年)の今日
鶴見線「73型電車サヨナラ運転」があり別れを惜しむ多くの「鉄男君」に見送られました。鶴見線自体もかなりマニアックな路線ですが、ここに最後の姿を求めて鉄道ファンが押し寄せました。

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まず鶴見線を紹介しておきましょう。
「鶴見線」普段はまず乗ることの無い路線です。ここ20年は鉄道ファンの人気路線となっていますが、最近では現代アート展が行われたり、廃止となった旧式車両の展示会を行ったりしています。
鶴見線のおすすめは超有名な「国道駅」そして「海芝浦駅」です。国道駅も海芝浦駅も駅ごとに語りだしたら止まらないほどエピソードたっぷりの駅です。
「海芝浦駅」の敷地は元々“東芝”(東京芝浦電気)の私有地で、改札から外には社員、関係者以外降りることができません。それでも一般客(マニア)が絶えないのは、駅構内に海芝浦駅に隣接する私設公園「海芝公園」があるからです。東芝京浜事業所が敷地の一部を使用し、東芝によって「海芝公園」が運営・管理されています。
入園無料、開園時間は9:00〜20:30でここから見る風景はすばらしいので未体験の方は必見でしょう。(特に工場夜景で人気沸騰、夕景もおすすめ)

(海芝公園)
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(海芝浦駅はまさに海の中にある駅のようです)

もともとJR鶴見線は私鉄でした。
「鶴見臨港鉄道株式会社」が経営する路線で戦前、京浜工業地帯の鶴見川崎エリアの工場に貨物や人を運ぶために開かれました。1943年(昭和18年)に戦時買収され、保有する鉄道路線が国有化となり現在に至ります。
その時にこの「鶴見臨港鉄道株式会社」は<鉄道部門>を切り離したまま事業を継続し不動産を中心にした事業で現存しています。
もう一つ、鉄男君系エピソード。
この臨港鉄道の系列会社だった「鶴見川崎臨港バス」は1938年(昭和13年)12月に合併し「川崎鶴見臨港バス」と社名が入れ替わるという面白い社名変更をしました。現在は京急の系列会社になっています。

鶴見線のマップを下記に紹介します。駅名に注目してください。

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(路線図)

「鶴見小野は地元大地主の小野信行、浅野は浅野財閥の創設者で、鶴見臨港鉄道の設立者でもある浅野総一郎、安善は安田財閥の安田善次郎、武蔵白石は日本鋼管(現在のJFEスチール)の白石元治郎、大川は製紙王の大川平三郎から取ったものである。扇町も浅野家の家紋の扇に因む。また、国道15号が近くを走るから「国道」、昭和電工扇町工場が近くにあるから「昭和」、石油精製所の近くにあったことから「石油(後の浜安善)」、曹洞宗の大本山である総持寺の近くにあったことから「本山(廃駅)」など、あまりにそのままな命名がされた例もある。」(wikipedia引用)

若干前置きが長くなりましたが
表題の「73型電車」がなぜファンの心をつかんで離さないのか紹介しましょう。
73型とは“モハ73(後のクモハ73)、中間電動車に改造されたモハ72型”を総称して73型電車といいます。
モハ?クモハ?
鉄道車両には製造番号と型式番号がついています。
これがまたファンにはたまらない。
いろいろ詳しいものがあるがこれが簡単で分かりやすいので
http://asuzuki.la.coocan.jp/hp3/train41/tetumame.htm参照してください。

この73型は戦争直後の旧型通勤電車を代表する型式で、限られた資材と設備の中で最大限に効率的な電車を量産するために設計された車両です。
73型製造のキッカケは1951年(昭和26年)に起きた桜木町事件(4月24日)です。桜木町構内で起った車両火災事故が原因で死者が106名、負傷者96名という多くの犠牲者を出した鉄道事故史に残る大事故となったことと人災でもあったため事件と称されています。
この教訓として急いで改造が行われたのが72系です。
戦後の復興期を代表する車両でした。高度成長が進むに連れて、新規車両が登場します。運ぶ機能から快適を指向し始めます。したがってどんどん廃車になって行きます。
そして、鶴見線で走っていた「最後の車両72型」が消える!
ということで鉄道ファンを集めました。

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(表情がちょっと可愛い、食パンのような窓)

72系引退そして新101系の投入を記念して、鶴見線全線と南武線浜川崎支線が乗降自由となる「鶴見線フリー乗車券」が発売されました。
価格は大人200円・小人100円で、乗車券は発売日当日のみ有効。鶴見駅・浜川崎駅・川崎新町駅・尻手駅で発売されたそうです。
冒頭にも紹介したように
現在鶴見線は昭和を感じる観光路線にもなっています。
日曜日には臨時電車も出ているようなのでレトロ路線の旅、ぜひ一度お試しあれ!

No.177 6月25日(月) 出られない出口