No.397 横浜「座・樓・亭」探し

ブログを書くために資料を探していると
横浜市内の「会場」が多く出てきます。
幕末から大正あたりまで、横浜の輝きを示す傍証として
劇場、料亭の存在は重要になってきます。
今日は、ざくっと 横浜の「座・樓・亭」探しの
中間報告をします。

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横浜の「座・樓・亭」探し
最初は簡単にリスト化する程度で済ませよう
と軽く考えていました。
ところがどっこい、重要な役割を演じた会場がかなりありました。

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(開港と共に料亭政治開始)
横浜に限った事ではありませんが、
横浜開港と共に新しい「談合場所」が登場します。
横浜は元々半漁半農の小さな村でしたから、城下町や門前、宿場のように
宿泊施設も食事、会合場所もありませんでした。
そこで、劇場・料亭・旅館・会館が開港後、多く開業します。
教会や寺院も会合、講演場所に使われました。
「談合華やかに」
幕末明治の政商、高島嘉右衛門は、
現在の尾上町近くに旅館『高島屋』を開業し、
要人の料亭政治の場を提供し情報力を得ます。
※百貨店「高島屋」とは全く関係ありません。
もう一人
「お倉」なる女将も同様に「富貴楼」を舞台に料亭政治の中心となります。
No.255 9月11日(火) 謎多き尾上町の女将

明治に入り、盛んに料亭政治が行われますが
一方で
お寺、教会、劇場、料亭等が
“市民メディアの役割”を果たすようになります。
世の中の出来事が芝居や義太夫、講談で伝えられます。

代表的人物は横浜でデビューした川上音二郎です。

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No2 1月2日(月) ニュース芝居、最先端劇場で上演

日清戦争をいち早く戦争劇に仕立てた「壮絶快絶日清戦争」「川上音二郎戦地見聞日記」は空前のヒットとなります。
このように
報告会、時勢講演会等が頻繁に開催されます。
No.208 7月26日 (木)ザ・みなとの劇場

No.176 6月24日(日) 関内の粋といやーー、ね。

名料亭も生まれます。伝説の
割烹料亭「千登世」や現在も現役の料亭「田中家」

芝居小屋は現在の伊勢佐木界隈に集中して開業します。
羽衣座・相生座・粟田座・勇座・太田楼・喜楽座・雲井座・佐野茂・蔦座 他
例えば、
羽衣座は関外の大門外(現在の関内駅前国道16号線の並び、東京ガス営業所辺り、羽衣町バス停近く)にありましたが1915年(大正4年)に廃止されます。

No18 1月18日(水) 三度あることは四度ある

No.293 10月19日(金)Citizen of No Country

新富亭
No.109 4月18日 品川の名人濱に死す

(教会も情報発信基地)
芝居小屋はビジネスですが、
政治運動や社会運動のプロパガンダに
教会も多く利用されました。教会というと保守的に感じますが
どっこい かなり過激な講演会も開催されています。
→今年中に在る程度まとめてみたいと思っています。
■羽仁もと子(46)横浜に行き、尾上町の指路協会で開かれた、日本基督教会婦人伝導会社主催の基督教婦人大講演会で、「十字架を負う者は誰」を講演する。植村正久も「十字架周辺の婦人」を講演する。
■島田三郎(68)横浜に行き、尾上町の指路教会で開かれた、横浜文化学会主催第一回講演会で、「内外の形勢とその政治策」を講演する。
■荒畑寒村(17)横浜の海岸教会牧師館で横浜平民結社
 (7月25日結成)の茶話会を開く。
■武者小路実篤(36)横浜に行き、蓬莱町のメソジスト教会で開かれた「新しき村」横浜支部の講演会で講演する。

教会はコンサート会場にもなっています。
No.332 11月27日(火)おやかた、濱で一振り。

日本のオーケストラにとってパイオニア的存在といわれた音楽家、近衞 秀麿が1926年(大正15年)11月27日の今日、横浜市の指路教会で新交響楽団の指揮を執りました。

今日はランダムに 
横浜の「集会場」を紹介しました。
おいおい この中から 時代の現場となった 物語を紹介していきたいと思います。

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