商店街に未来はあるのか?
今、日本中の商店街の多くが“瀕死”“瓦礫”状態です。
生き残るには何が必要なのか?
消え行くのみか?
方法論は異なるでしょうが、過去に生き残りをかけた商店街戦略が従前の常識を打ち破りました。一つの事例を紹介します。
1978年(昭和53年)11月11日(土)の今日、イセザキ・モールの完成記念式典が挙行されました。
イセザキイルミネーション |
(屋根のある商店街)
現在全国各地に見られるようになった「ショッピングモール」(アーケードの無い買物公園)は1970年代では特異なスタイルでした。
賑わう商店街は、店の軒先に屋根を架けるか、道路に“がさっと”アーケードを重ねるのが現在でも主流です。
雨の多い、夏の日射しが強い日本では商店街に「屋根」は悲願の集客設備です。
伊勢佐木町商店街も、戦後長らく軒先アーケードの商店街でした。
この「アーケード」いざ造ろうとすると、極めて不自由な建築基準法における道路制限を乗り越えなければなりません。道路に突き出して構造物を設置してはいけないからです。アーケードは「商店街のステイタス」でもありました。
(空のある商店街)
イセザキショッピングストリートには屋根がありません。
一丁目から七丁目まである伊勢佐木町商店街がまとまってアーケードと電柱を取り去り、歩行者専用(一部優先)道路にする方針に舵を切るには大変な決断を必要としました。
この決断が、地盤沈下していたこのエリアを救う大きなインフラになったことは間違いありません。「ショッピングモール」(アーケードの無い買物公園)化が全ての課題への回答ではありませんが、結果として伊勢佐木がイセザキになり多くの老舗が生き残ることになります。
(中心地シフト)
開港以来横浜の商業中心地だった「イセザキ」を含む関内・元町エリアは、横浜駅の発展によりその座を失います。
No.274 9月30日 (日)巨大資本の東西戦争
横浜市中区にある「伊勢佐木町通り」に連なる商店街は、開港に伴い居留地を中心とした関所内“関内”の日本波止場から馬車道を通じ、吉田橋から関所外“関外”の居留地バックヤードとして発展します。
No.85 3月25日 日本の運命を変えた男横浜に入港
1906年(明治39年)に横浜を訪れた銀行家Jacob Henry Schiffは、夕食後伊勢佐木に繰り出し、人の多さに驚いています。
鉄道は、隣町桜木町(初代横浜駅)まで。そこからは「横浜電気鉄道」後の「市電」が都市部を縦横に連結した機動性のあるコンパクトシティが形成されていました。
ザキでの買物は 横浜人の“ハレ”でもありました。野澤屋で買物し博雅亭で食事といった図式は、東京銀座に匹敵する当時の流行でもありました。
しかし、横浜駅が東西が競うように発展するに従い、商業の中心部は横浜駅に移っていきます。1966年(昭和41年)から市電路線の廃止が始まり人の流れは大きく変化していきます。根岸線が桜木町以降大船まで延伸することで、関内エリアはさらに空洞化していきます。
(個性化)
横浜市と地元商店街が危機意識を持ち、個性ある商店街への道を模索し始めたのは「馬車道商店街」が最初でした。
1975年(昭和50年)4月に馬車道商店街街づくり協定が締結されます。
市営地下鉄関内駅が開業するにあたって、海からの重要な軸線(当時はまだみなとみらい線計画は協議の遡上に上がっていませんでしたが…プランはあった)を活かす馬車道モール計画が提案され、地元の推進で一気に完成します。
「歩くことが楽しい通り」という現在の常識が実現します。
電柱埋設は当時、強固な障害を幾つも乗り越えなければなりませんでした。この馬車道プランに強く影響された伊勢佐木1・2丁目商店街が多くの反対を説得し最後には全会一致でモール化に踏み切ります。
1978年(昭和53年)11月11日(土)の今日となります。
1982年(昭和57年)11月に3・4丁目のモールオープン
5・6丁目は平成に入って1991年(平成3年)オープン
7丁目のモールがオープンし一丁目〜七丁目までモールでつながったのが1994年(平成6年)のことです。
果たして 効果が上がったのか?イセザキは個性的になったのか?
時間がかかりすぎ タイミングを逸したという意見もあります。
まだこの通りには可能性がある と頑張っている人たちもいます。
1968年(昭和43年)横浜市の人口は驚愕の増加で200万人を突破し、「ブルーライトヨコハマ」と「伊勢佐木町ブルース」が大ブレークし、横浜認知度が急上昇します。
伊勢佐木通りの戦後の黄金時代となります。
時代の当事者は中々、次への舵を切ることが出来ません。
馬車道、イセザキの場合、そこに情熱と未来を見据えたリーダーがいたことが成功の道筋でした。
今イセザキは 「ゆず」の登場でその認知度を高めています。
青江三奈からゆずへ 自力の個性化はどこへ?
その次の一手が 後手後手になっているように感じるのは私だけではないでしょう。
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