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No.426 横浜で学ぶ(神社編1)

近年、歴女から発展し神社ファンが急増中とか。
神社検定も始まりました。
横浜の神社で「神社」を学んでみましょう。
体系的ではありませんが、ちょいネタで
横浜の神社をお楽しみ下さい。

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伊勢山皇大神宮

【横浜の神社】
神社といえば?
全国で最も多いといわれている神社は
「お稲荷様」「八幡様」だそうです。
神社と一言で表現しますが、神社も色々分類できます。
※合祀(いっしょに祀られる)等で実数値は確定できにくいのですが
 ネット、マップ等で集めたリストを原資料にしています。

八百万(やおよろず)の神が神社に祀られていますが
横浜市内では「杉山神社」
五十猛神(スサノオの子)を主祭神とする神社
が一番多いのが特色です。

nnP7021518

No.380 1月14日(月)川鎮 

ここで少し紹介しました。
別に改めて神社探索の一環として
「杉山神社」を紹介する予定です。
今回は 一般的な“じんじゃ”から横浜を眺めてみましょう。

●稲荷神社(いなりじんじゃ)
→「稲荷神社の総本社は伏見稲荷大社とされている。元々は京都一帯の豪族・秦氏の氏神」
主祭神は宇迦之御魂神(うかのみたま)
赤い鳥居が多いので目立ちます!!

nnP8200868


→横浜のお稲荷様
多数!!!あります。ざくっと100ありました。
小さな地域の「お稲荷さん」も入れるともっと増えるでしょう。nnP6252015
●八幡神社(はちまんじんじゃ)
→「八幡宮は、八幡神を祭神とする神社。八幡神社、八幡社、八幡さまとも表記・呼称される。全国に約44,000社あり、大分県宇佐市の宇佐神宮を総本社とする。(Wiki)」稲荷神社と並んで全国で最多の神社です。(実数不明)
主祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)
→横浜の八幡様
富岡八幡宮(とみおかはちまんぐう)金沢区富岡東4ー5ー41

戸塚区に「八幡様」が多く点在します。理由は追求していません。
→舞岡八幡宮(まいおかはちまんぐう)戸塚区舞岡町946
 村の鎮守という原風景を持っている神社が「舞岡八幡宮」です。

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八幡神社(はちまんじんじゃ)戸塚区下倉田町宮谷470
八幡大神(はちまんだいじん)戸塚区吉田町1263
冨塚八幡宮(とみづかはちまんぐう)戸塚区戸塚町3828
八幡社(はちまんしゃ)戸塚区秋葉町343
子之八幡社(ねのはちまんしゃ)戸塚区上倉田町978
八幡社(はちまんしゃ)戸塚区上矢部町1949
八幡社(はちまんしゃ)戸塚区矢部町辻1003
※私のリストでは40社あります。
この他
●神明社(しんめいしゃ)
→「神明神社」(しんめいじんじゃ)は、天照大神が主祭神です。
総本社は伊勢神宮内宮(三重県伊勢市)です。お伊勢様とも言います。
横浜市内では、杉山神社に次いで多い?
「神明神社」リストには50あります。

●お伊勢様(おいせさま)
横浜の神社といえば
横浜の総鎮守「伊勢山皇大神宮」(いせやまこうたいじんぐう)
横浜市西区宮崎町64
ここは「神明神社」の分類に入ります。

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伊勢山皇大神宮の雪景色

●浅間神社(せんげんじんじゃ)
浅間神社は
「富士山に対する信仰(富士信仰、特に浅間信仰)の神社」
祭神は多数ですが
源 頼朝、木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)という女神
が祀られています。

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横浜市西区 浅間神社

浅間神社(せんげんじんじゃ)西区浅間町1ー19ー10

次回は横浜で学ぶ鳥居入門を!

No.425 川の交差点、都橋界隈

川に交差点がある?
ぶっちゃけていえば運河ってことですが
地図を眺めていると 河と運河が交わる
川の交差点
惹かれるものがあります。

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横浜の古い地図を眺めていると
都橋周辺に目がいきます。
都橋周辺は何度も紹介していますが、お気に入りの空間です。
特に川に交差点があった都橋、柳橋あたりの風情を想像するのが
好きです。(残念ながら今は激変しています)
※中村川にも堀割川との十字路がありました。
 (別の機会に紹介します)

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図柄からもかなりの混雑が見てとれます。
絵でも優先(川)は「大岡川」です。
川沿いの「柳」は残っていませんが、緑は残っています。

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右側が昔の柳があった河岸
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水の道は変更が難しいのですが、
現在、横浜の運河の多くが“埋立”てられています。
かつての川を想像しながら散策する愉しみも良いですね。

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※昔桜木町駅(旧横浜駅)に噴水があったんですね。

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都橋界隈の風景

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これなんでしょう?
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【番外編】 1月29日 謎解き都橋 

【番外編】吉田町雑景

No.321 11月16日(金)吉田くんちの勘兵衛さん

No.424 琉球バル

2012年2月1日にバジルドミノという一文を限定配信した。
以下は2012一部更新したものだ。
以前から野毛を歩いていて書きたかったことがある。
タイトルは「バジルドミノ」。

Tipping Pointの好事例だ。
ある一定の閾値を越すと一気に全体に行き渡ることを「ティッピングポイント(Tipping Point)」という。
もう一つ別な表現では、ドミノ現象がある。
小さなきっかけを起点として、大きな範囲に影響が及ぶ現象のことだ。
連鎖反応という表現のほうがぴったりかもしれない。このドミノ倒しの最初の一枚を倒すことを「ファーストタッチ」という。
この話しは、横浜市中区野毛に起ったドミノ現象のファーストタッチの話しである。

(序章)
10年以上の時間をかけてドミノは静かに並べられていた。
1989年の横浜博YES89を皮切りに現在の「みなとみらい」地区が新しい職住地域として開発が始り、ビジネスゾーンであると同時に横浜最大の観光スポットとしても多くの若者を吸引するパワーを持ち始めた。
一方、横浜の下町「野毛」は東横線桜木町駅が無くなることで飲食街の危機と叫ばれた。
はたしてそうだったのだろうか?


結果は既に出ているようだ。
10数年前野毛の近くに移ってきた頃、私は違和感のある光景を目にするようになってきた。
それは夜11時過ぎに
若者が暗くなった野毛界隈を右往左往している姿だった。
その姿は次第に増え始めていた。
単なる一過性、みなとみらいで遊んだ連中がその勢いで夜を彷徨っているに違いない。いずれどこかに消えて行くだろうと見ていた。
(チーズケーキブーム去る)
野毛の一角にチーズケーキの店が突然現れた。light_6070578 そしてすぐに消えた。
その後にオープンしたのがイタリアンバル「バジル」である。
2007年5月ごろのオープンと記憶している。
ワインの立ち飲みができる。
元気なスタッフがいる。
宅配ではないピザが食べられる。
なんといっても夜遅くまで開いている。
これはイケルと思った。
前の通りはちょっと交通量が多すぎるが、オープンな感じが良い。
(第二次立ち飲みブーム)
1999年(平成11年)頃に第一次立ち飲み(大)ブームが起こり、一過性のように下火になった。生き残っている店は固定した。
この時に多くの立ち飲み業態が淘汰されたが、平成17(2005)年頃、第二次立ち飲みブームが起こる。
第一次のときとは一変して、スペインバルやイタリアンバル、昭和レトロ風をねらった立ち飲み屋などコンセプトがしっかりしたお店が登場してきた。
これらの新立ち飲み店は、おじさんではなく、女性や若者客などをターゲットにしたオシャレ系なお店が次々と登場する。
しかも若者と女性に従来の「おじさん」までオシャレ系に吸い寄せられてきたのだ。
こじんまりとしたスペース、オープンキッチン、カウンター。
腰を据えないがゆえの「気軽さ」に軽く寄ることができる空間がこの時代にマッチした。


(野毛もこれを待っていた)
野毛のバジルは快進撃を続けている。
この野毛エリアのドミナント戦略で攻めている。
一方、野毛交差点周辺は一気に競合の出店ラッシュとなった。
みなそれぞれに個性的である。
野毛で新しい飲食スタイルがティッピングポイントを超えたのだ。
このバジルドミノは花咲あたりまで波及し、宮川町、日の出町にまで広がっている。
要因はさまざまある。吉田町も元気になった。

 

隣接する黄金町にアート拠点ができ多くのアーティストが集まるようになったこと。
ドンキホーテの出店も大きい。
紅葉坂近辺に大型マンションもいくつか建った。
ワンルームマンションの勇、グリフィン銀座でもある。
円高(ワインが手頃、輸入食材が豊かになった)もあるだろう。

ようやく野毛が「眠らない街」になったのだ。

野毛ラーメン銀座といわれたピークも過ぎたが、淘汰は一通り終わった感がある。
いち早くデニーズもこの流れを読んだが少し客層を誤り早々に撤退して行った。


この先、野毛バジルドミノはどのような模様を見せるのか。
ブームからこの街の顔としてどこまで勝負できるのか?
期待は大きい。新しい野毛の店。現在私が確認(飲んだ)店は9店。
他にまだ4、5店あるらしい。
野毛は確実に新しいゾーンに変身しつつあるようだ。

■良く行く花咲町のバジル→ここはスクラップ・アンド・ビルドか?撤退。
音楽通りに良い刺激が走っている。
さすがバジルは、スタッフが訓練されている。
味も価格も野毛の相場観を見事にリードしている。
◎BASIL
2007年5月:1号店「イタリアン バル バジル」
2008年9月:2号店「チーズ& ワイン バジル」
2010年9月:3号店「アメリカンバー バジル」
2011年5月:4号店「カフェ バジル」
2012年2月:5号店「トラットリア バジル」
2013年3月15日
 6号店「琉球バルBASIL」オープン→10月に閉店!早ッ!

【番外編】桜咲く

今年の梅開花は少し遅めでしたが、桜は一気に開花してきました。
花見ポイントをざくっと集めてみました。ほんの一部です。
今年は春休みにタイミングが合いそうですね!
※マナーは守りましょうね。(写真は昨年が中心です)

三渓園(さんけいえん)
http://www.sankeien.or.jp
三ツ沢公園(みつざわ)
http://www.city.yokohama.lg.jp/kankyo/park/yokohama/mitsuzawa.html
三ツ池公園(みついけ)
http://www.kanagawaparks.com/mitsuike/
掃部山公園(かもんやま)
http://www.city.yokohama.lg.jp/nishi/miryoku/kouen/kamonyamakoen.html
幸ヶ谷公園(こうがや)
http://www.natsuzora.com/may/park/kogaya_sakura.html
野毛山公園(のげやま)
http://park.hama-midorinokyokai.or.jp/park-details/nogeyama-park
弘明寺公園(ぐみょうじ)
http://www.city.yokohama.lg.jp/minami/70minamiru/71spot-route/713park/713002.html
八聖殿(はっせいでん))※三渓園近く
http://www.rekihaku.city.yokohama.jp/shisetsu/hasei/
本牧山頂公園
http://sancho-yokohamaueki.com
保土ヶ谷公園
http://www.kanagawa-park.or.jp/hodogaya/
根岸森林公園
http://hanami.walkerplus.com/detail/ar0314e25877/
清水ヶ丘公園
豊顕寺市民の森(ぶげんじ)※三ツ沢公園隣接
http://www.city.yokohama.lg.jp/kankyo/green/shiminnomori/shimin-bugenji.html
山手公園
横浜市児童遊園地
久良岐公園
大曽根第三公園
大岡川プロムナード
http://river-sakura.com
本牧通り・桜道
港南桜道
http://kanagawa87.web.fc2.com/sakura_sakuramiti.htm
http://www.city.yokohama.lg.jp/konan/town/sakuramiti/sakuramiti-history.html
http://www.city.yokohama.lg.jp/konan/town/sakuramiti/iinkai.html
外国人墓地
英連邦戦死者墓地
谷戸坂
関内桜通り

 

No.423 Up down鉄道

1985年(昭和60年)3月14日(木)
横浜市営地下鉄の横浜〜新横浜間と上永谷〜舞岡間が開業します。

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今日3月14日は昨年、
No.74 3月14日 東京に近過ぎ、横浜中心部に遠い駅の物語

で「新横浜」を話題にしましたが
この日に合わせて市営地下鉄1・3号線の一部が開通し、
「舞岡〜新横浜間」が開通します。

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上永谷〜舞岡・戸塚
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上大岡〜上永谷

※上記図は工事に伴う断面図ですが、
 「上大岡〜上永谷〜舞岡間」かなりの高低差があることに驚かされます。
 上永谷で地上に出ますが、上永谷駅までかなり上ります。
 かなり強引に地上へ出たことが判ります。
 起伏の成り行き上地上にでるのか?
 と思っていました。意外でした。

(市営地下鉄ブルーライン年表)
1972年(昭和47年)12月16日(土)
 伊勢佐木長者町駅〜上大岡駅間(1号線)が開業します。
 大通り公園となった運河と鎌倉街道を活用しています。

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 1000形が営業運転開始。
1976年(昭和51年)9月4日(土)
 上大岡駅〜上永谷駅間(1号線)と
 伊勢佐木長者町駅〜関内駅〜横浜駅(1・3号線)間が開業。
1985年(昭和60年)3月14日(木)
 上永谷駅〜舞岡駅間(1号線)と
 横浜駅〜新横浜駅間(3号線)が開業します。
1987年(昭和62年)5月24日(日)
 舞岡駅〜戸塚駅間(1号線)が開業します。
1993年(平成5年)3月18日(木)
 新横浜駅〜あざみ野駅間(3号線)が開業します。
1999年(平成11年)8月29日(日)
 戸塚駅〜湘南台駅間(1号線)が開業します。

これでブルーライン全線が開通します。
市営地下鉄の初期延伸プランは、環状線の充実でした。

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No.422 【舞台の横浜】妙蓮寺と野毛

1968年(昭和43年)横浜を舞台にした人気テレビドラマ「三人家族」が放映されました。
高視聴率となったこのドラマは、いろいろな意味で横浜を知るには興味深い作品です。

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ドラマ3人家族

三人家族のシーンとテーマからどうぞ
http://www.youtube.com/watch?v=u6EZ4o107ns
http://www.youtube.com/watch?v=LVdZQmllvJ8
(やっぱり著作権でクレームがつきましたか…)ビジネス的に30秒とかイントロだけでも許諾していただけると 逆にDVDの購入に結びつくとおもいますが。

https://www.youtube.com/watch?v=mNHP-qstGYI

https://www.youtube.com/watch?v=tH2XWh6XlhM

まず上映された時代
団塊世代の先輩世代、高度成長の入口の時代です。

1968年(昭和43年)横浜市の人口が200万人を突破した都市です。
首都圏では急速にベッドタウン化が進みつつありました。
さらに、
「ブルーライトヨコハマ」と「伊勢佐木町ブルース」のダブルヒット

そしてこのドラマをはじめ
横浜が全国に音楽と映像でPRされ続けた年でもあります。

(正確には1968年1月に「伊勢佐木町ブルース」12月25日に「ブルーライトヨコハマ」がリリースされました)
「ブルーライトヨコハマ」
「伊勢佐木町ブルース」

テレビドラマ「三人家族」
山田太一が「これが当たらなかったら職がえだ」と背水の陣で臨んだ作品だったそうです。

おそらく山田太一自身、十分に調査・ロケハンをしたに違いありません。
ここに登場する家族、横浜の風景の多くは山田太一が指定したものでしょう。
「早春スケッチブック」でも脚本には詳細な情景指定をしています。

No.421 ふぞろいの隣人たち?
簡単な概要を紹介しましょう。

TBS系列日産火曜劇場 木下恵介アワー というシリーズ作品の
「おやじ太鼓」の後に放映されました。
放送期間は
1968年(昭和43年)10月15日〜1969年(昭和44年)4月15日

まさに「ブルーライトヨコハマ」リリースとシンクロしています。
放送時間は21:00〜21:30で全26回でした。
制作は松竹をバックに「木下恵介プロダクション」
(妙蓮寺と野毛)
横浜を舞台に独特な対比構造を構成しています。
急激に変化する戦後の日本、郊外化する横浜

そこに象徴的な二つの地域

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旧東横線とその後の新線

妙蓮寺の一軒家に暮らす「柴田家」男三人家族
野毛の新築マンションに暮らす「稲葉家」女三人家族
現在のスピードでは<じれったい恋愛>をベースにした家族物語です。
柴田家長男 雄一(竹脇無我)
東急東横線「妙蓮寺駅」から横浜駅経由で新橋駅で乗り換え<西新橋(田村町)>にある商社に通うビジネスマンの設定(三井物産か?)。
社内ではテレックス担当の通信部員ですが花形の営業職を希望しています。

稲葉家長女 敬子(栗原小巻)
国鉄「桜木町駅」から「新橋駅」乗り換えで<霞が関ビルディング>の旅行代理店(たぶん日本交通公社)に通うOLの設定。
当時はビジネスガールと言ったかもしれません(渡航時に問題となり変更されましたが)。

霞が関ビルディングは放映された1968年(昭和43年)の4月12日にオープンしたばかりの当時はじめての高層ビルとしてこれまた話題になりました。

<商社と旅行代理店><一戸建てと新築マンション>
<家庭用電話がまだないがテレビはある家庭>
<全てが洋風(死語?)スタイルの家庭>
あえてステレオタイプな対称軸の設定で構成しています。

内容に関して詳細な情報は下記のサイトに掲載されています。
http://syowa40stvdrama.com/kinoshitatv_ipn/page043.html
※一部閉鎖されていますが この情報で十分に「三人家族」の概要を知ることができます
ここでは地元ならではの切口で補足しておきます。
妙蓮寺の一軒家に暮らす「柴田家」男三人家族は
1968年は戦後23年の時間が流れています。
長男の年齢設定が26歳なので
恐らく、出征前に結婚し 戦中に長男が生まれたのでしょう。
※妙蓮寺は疎開先だったかもしれません。弟がお祭りに参加するなど、
地元(地域)とのコミュニティがしっかり形成されています。
*余談 妙蓮寺とは妙仙寺と蓮光寺が合併してできたお寺です。
 1908年(明治41年)に「横浜線」建設のために移転を迫られ蓮光寺と合併します。
 ところが、1926年(大正15年)に今度は東急が転地を申し出るが
 再度移転することを嫌った妙蓮寺側が門前を駅にすること選択します。
 駅前が門前となります。

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一方、
野毛の新築マンションに暮らす「稲葉家」女三人家族は
父親が13年前に(海外へ)蒸発した設定になっています。
女性家族が自立していく姿が背景にあります。
野毛のロケに使われたマンションは現在もあります。(ということは築40年)
マンションの予測はできていますがここでは内緒にしておきます。
<2017年1月位置も再度確認してきました>

桜木町はもう過去ネタになってきましたが、東急東横線の終着駅でしたね。
二人のデートにも程よい距離でした。
このドラマに映された横浜
昭和30年代から昭和40年代前半の良き時代の一断片だったようです。
港の“やくざ映画”イメージからも脱却しつつある横浜でもありました。
ドラマには時折ピンキーとキラーズの流行曲が流れたり、崎陽軒のシウマイが登場したりします。

横浜はこの蜜のような時代から 急激な人口爆発都市となっていきます。
横浜の商店街もこの時の“賑わい”残照から脱却しなければいけないのですが
No.337 12月2日(日)日本最大級の人口爆発都市 

No.334 11月29日(木)歌の横浜 

No.421 ふぞろいの隣人たち?

「鋭い電車の警笛。
下り急行電車から見た天王町駅前のスカイビル第一第二第三と続くアパート群、みるみる角度をかえていく。」

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山田太一作品、フジテレビで1983年(昭和58年)に放映されたテレビドラマ「早春スケッチブック」の冒頭シーンです。
視聴率としては苦戦をしましたが、視聴者から大きな反響を呼び山田太一代表作『ふぞろいの林檎たち』へと繋がっていきます。

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早春スケッチブック

この「早春スケッチブック」の舞台となったのが、相鉄線「希望ヶ丘駅」。
登場人物の設定には実在の会社、学校等が使われ不思議なリアリティに包まれた作品でした。


望月家四人
父は八千代信用金庫瀬谷支店
長男は神奈川県立希望ヶ丘高等学校
異父兄弟の長女は横浜市立南希望が丘中学校
母は希望ヶ丘商店街にある花屋でパート勤め
といった家族構成が登場します。
あらすじはここでは紹介しませんが、80年代の家族の姿を山田太一流に料理した秀作として評価されています。

脚本家山田太一は、倉本聡と並ぶ80年代90年代を代表する作家ですが
(現役で現在も両者、時代への問いかけ作品を書かれています)
脚本家“山田太一”のドラマデビューは木下恵介アワー「三人家族」です。
この作品の舞台は60年代の横浜です。
DVDを見直してみると、様々な横浜エピソードを掘り起すことができます。
→「三人家族」については次号で紹介します。

もう一つ、
60年代の相鉄線を舞台にしたドラマがあります。
1967年(昭和42年)10月29日放映の連続テレビドラマ「泣いてたまるか」の一作です。
タイトルは「ある日曜日」
脚本は映画監督木下惠介が担当しています。
監督は大槻義一
出演者は渥美清、市原悦子、新克利、清水良英、中村美代子、野中マリ 他
「ある日曜日」はこのシリーズでは珍しくシリアスな社会批判で、悲劇として描かれています。
相鉄線で横浜駅まで出る!シーンがありますが 駅はどこか?
未確認ですが鶴ケ峰と天王町間あたりの感じがします。
作品では家族揃って「横浜駅前」のデパート(たぶん髙島屋)にショッピングに出かけ、そこで悲劇の事件に遭遇するという筋立てです。


シリーズ「泣いてたまるか」は
野村芳太郎、橋田壽賀子、早坂暁、山田洋次、清水邦夫、橋本忍、山中恒、佐藤純彌、深作欣二、木下惠介、山田太一、内田栄一

戦後日本を代表する脚本家・映画監督が名を連ねる実験ドラマでした。
TBS系列で1966年(昭和41年)から1968年(昭和43年)まで放映され、1話完結形式の連続テレビドラマで渥美清、青島幸男、中村嘉津雄が主演を務めます。
このドラマから渥美清と山田洋次のコンビが生まれ、「寅さん」に繋がったドラマでもあります。

「泣いてたまるか」の中で、渥美清が先生を演じるシリーズがありました。
「先生ラブレターを書く」(橋田壽賀子)
「先生ニッポンへかえる」(深作欣二)
「先生海で溺れる」(佐藤純彌)
「先生勇気を出す」(家城巳代治) 他

ここに登場する高校が、開通したばかりで造成真っ盛りの田園都市線「青葉台」を舞台にしていました。

(さらに舞台としての横浜)
1980年(昭和55年)にフジテレビ系列で放映された事件モノに
『87分署シリーズ・裸の街』

警視庁(東京管内)87分署が都内設定で横浜青葉台が舞台として使われました。
昔の記憶なので曖昧ですが 確か警察署が「横浜加田町署」で(加賀町警察)を想定?していたような気がします。TBSと横浜は縁が深く

No.76 3月16日 東京放送と横浜市

1981年(昭和56年)の3月16日
横浜市青葉区緑山に(株)緑山スタジオ・シティ(MSC)が竣工しました。
ここで「ふぞろいの林檎たち」「金曜日の妻たちへシリーズ」が生まれました。
※横浜ドラマといえば 「あぶない刑事」ですがここでは触れませんでした。

【番外編】の番外編

そろそろ桜の芽が膨らんできました。

時折 臨時テーマという感じで【番外編】をアップしてきました。
その中から幾つかセレクトしてみました。

番外編 重箱の隅の快楽
番外編 幕末明治の年号って苦労します。
番外編 目利き見立て見切り
【番外編】市のマークの番外編

【番外編】生麦、旧東海道を歩く
【番外編】(ざくっと横浜その1)村は川に沿って生まれる
【番外編】横浜の橋物語
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No.420 3月10日(日)横浜三塔に思う

今日は、横浜三塔の日です。
ベイエリアでは様々なイベントが繰り広げられます。
2007年から、
毎年3月10日を三塔との語呂合わせで「横浜三塔の日」としました。

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2002年頃の三塔

(三塔は)
■横浜市開港記念会館「ジャックの塔」
竣 工 1917年(大正 6年)
塔の高さ – 36m

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■神奈川県庁本庁舎「キングの塔」
竣 工 1928年(昭和3年)
塔の高さ – 49m

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■横浜税関「クイーンの塔」
竣 工 1934年(昭和9年)
塔の高さ – 51m

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昭和初期横浜港から見える三つの塔は「キング」「クイーン」「ジャック」と呼ぶようになりました。入港の際、外国船船員は、この塔を見て航海の安全を感謝し
出港の時は、これからの航海の安全を願ったといいます。
その後、時間が現代になるまで、三塔は戦災を生き残り静かにそれぞれの役割を担ってきました。
一部の人が
「三塔が一望できる場所があるの知っている?」
と囁くようになり、三塔を一望できるスポットが注目を浴びました。
さらにこのスポットをすべてまわると願いがかなうということでイベントが始まります。
No.70 3月10日 310
2012年には

http://www.osanbashi.com/santou/index.html
2013年には
http://cgi.city.yokohama.lg.jp/common/event2/event_detail.html?id=38559
〜三塔を知ろう・語ろう・楽しもう!〜

(提案です)
以前、東京に四代暮らす友人から指摘を受けました。
「3月10日を江戸っ子は喜べない。」
この日は「東京大空襲の日」だからです。
5月29日には横浜も空襲が行われ、
「横浜大空襲」で横浜は焦土化します。
そしてさらに311は震災の日となりました。
これらの記憶に少し寄り添っていく310にシフトしてはどうでしょうか。

だから 三塔の日を無くすというのではなく
三塔が
「震災復興を見続けてきた歴史的建造物」と呼ばれているように
また今回も横浜市中区が掲げているように
絆を基本に
「三塔絆の日」
良いネーミングは思い当たりませんが、今後
新しい意味合いを抱合しながら今日のこの日を
楽しんでいくのはいかがでしょうか?

(国際都市 横浜の要)
この三塔にはそれぞれ歴史的役割を担ってきました。
■横浜税関「クイーンの塔」
三塔の中で最も海(港)に近く、日本の国際化の道先案内人として重要な役割を担ってきました。
■神奈川県庁本庁舎「キングの塔」
開港場「横浜」の行政を司り、居留地を舞台に国際都市の要となってきました。
■横浜市開港記念会館「ジャックの塔」
現存する塔の中では最も歴史があるものです。
関東大震災も経て現在に至ります。
この「横浜市開港記念会館」は、まさに横浜を舞台とした市民の言論の発信基地でした。
三塔は「国際都市 横浜の要」の役割を担ってきました。
しかも、焦土化した横浜大空襲にも生き残り、戦後横浜復興のシンボルともなったランドマークでした。
例えば
■横浜税関「クイーンの塔」には安寧を
■神奈川県庁本庁舎「キングの塔」には再生を
■横浜市開港記念会館「ジャックの塔」には希望
といった意味合いを重ね合わせていくことができると思います。

ここに横浜マリンタワー、横浜ランドマークタワーを加え
5塔物語へと拡大していくことも可能なのではないでしょうか?
横浜は復興 再生の街です。

(余談)
今年は 崎陽軒の「三塔弁当」がありません。残念です。

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方針変更のお知らせ。

2013横浜わが街シリーズ 方針変更のお知らせ。
今年に入ってからは2月までフリーテーマできましたが
Facebookで紹介がてら昨年の内容を再度確認していると
さらに修正・加筆の必要性があるものも多いので
2012年版をベースにしてさらに充実させていくことにしました。

スタイルは3月中に模索して4月には安定させたいと思います。
例えば今日3月5日
No.65 3月5日 サルビアホール一周年(修正版)

鶴見区民の花サルビア(平成3年11月15日制定)から付けられた区民文化センター「サルビアホール」が2011年の今日、オープンしました。
と紹介しています。

改めて市内文化施設というものを調べてみましたが
一時期、箱もの箱もの!と批判された割に増えていますね。
採算がとれているのか?調べていませんが
区民文化センター以外にも 横浜市内は
劇場・ホール・スタジオ系で言えば
ボス格の
■横浜みなとみらいホール
■横浜アリーナ
KAAT 神奈川芸術劇場

吉野町市民プラザ
岩間市民プラザ
関内ホール
横浜にぎわい座(地下ののげシャーレは多目的ホール)
横浜市教育会館
横浜市社会福祉センターホール
横浜市青少年育成センター
横浜人形の家
横浜市大倉山記念館
大さん橋ホール
新都市ホール
横浜情報文化センター
かながわアートホール
かながわ県民センターホール
かながわ労働プラザ
地球市民かながわプラザ(あーすぷらざ)
神奈川県民ホール
神奈川県立音楽堂
神奈川県立青少年センター
はまぎんホール ヴィアマーレ
(いちいちリンクは付けませんでした)
規模、特性も異なるので一概にいえませんが、
ありますね。

他に3月5日は
1854年(安政元)
吉田松陰、海外渡航を狙って保土ケ谷宿にくる
※新暦か旧暦か未確認ですが面白いネタ!ですね。

1937年(昭和12年)
商工奨励館増築工事竣工披露式を挙行する。


1950年(昭和25年)
フライヤージムで日米初の女子バスケットボール大会開催。
1972年(昭和47年)
旧米軍フライヤージム取り壊し


No.190 7月8日(月)パブリック・ディプロマシー