ホーム » 番外編 (ページ 2)
「番外編」カテゴリーアーカイブ
【番外編】横浜マークハンティング
世界中のどの町を歩いても“つまらない”とか
“見るところがない”と感じたことがありません。
仕事先、用事先では時間があれば周辺を散策し
私独自のマークハントします。
![]() |
内務省地理寮水準点(全国的にも希少価値です) |
マークハンティング項目の一部を紹介しましょう。
①クレーン→関連「今無い風景」消える風景
②ベンチ(座るところ)→The 座
③すかしブロック探し→絶滅危惧系消える風景
④古い石積み
⑤道標、看板、告示パネル
⑥トマソン→今は役に立たない?
⑦橋いろいろ
形、色、構造、名前
⑧神社仏閣をちょこっと参拝
→杉山神社、左馬神社、変わり名神社
⑨分水嶺ツアー 街の尾根筋を歩く
⑩今無い風景
空き地編、工事中編、解体・建替編…→絶滅危惧系消える風景
という視点で
⑪季節によっては「正月飾り」「門松」
⑫配管芸術も横浜で堪能できます。
改めて確認しますが
あくまで「ついで」ですので
まず本命の「わざわざ」があって、
「ついで」に「ぶらり」する中で得られるマークの愉しみです。
敢えて追いかけることはしていません。
①クレーン→関連「今無い」
90年代の初め、ある大手企業の横浜支店長をインタビューした時に
「横浜の第一印象はクレーンです。」と言われて以来気になって仕方がありません。
「港湾はクレーンが欠かせません。ビル工事にも欠かせません。変わりゆく横浜にクレーンは風景です。」なるほど。
クレーンのあるところは風景が変わりつつある「目印」です。
②ベンチ(座るところ)
ベンチは街中 至る所に設置されています。しかもデザインは色々です。
時折 気になるベンチを発見した時には“記録”しておきます。
たかがベンチと侮らないでください。
題して The 座
③すかしブロック探し
透かしブロック探しは、圧倒的に横浜以外の大正昭和に栄えた街に行くのが良いでしょう。横浜の「すかしブロック」はほとんどが「浜千鳥」で変わり種に出会うことは滅多にありません。があるんですね時々。
![]() |
最もスタンダードタイプ「浜千鳥」 |
神奈川区、南区、鶴見区、中区が狙い目です。
変わったものも点在しています。
古い住宅街の記号です。
④古い石積み
城下町、寺社町には良い“石積み”(江戸時代)が残っています。
横浜開港場付近は幕末からの街ですが、
![]() |
上部は今新しいマンションに変わっています。 |
ブラフ積、イギリス積他近代産業資産として石積みが多く残っています。
⑤道標、看板、告示パネル(別の機会に)
![]() |
トップの写真の説明看板です |
⑥トマソン→今は役に立たない?(別の機会に)
⑦橋いろいろ
形、色、構造、名前
![]() |
東京の水道橋ではありません! |
→領域広いです。かじる程度です。
⑧神社仏閣をちょこっと参拝
→杉山神社、左馬神社、変わり名神社
→領域広いです。かじる程度です。
⑨分水嶺ツアー 街の尾根筋を歩く
→最近凝ってます。
谷戸の多い横浜、意外な風景に出会えます。
![]() |
羽沢の尾根筋からみなとみらい方向、一面のキャベツ!! |
⑩今無い風景
空き地編、工事中編、解体・建替編…
街中で“無くなった風景”は 意外と思い出せないものです。
⑪季節によっては「正月飾り」「門松」
昔ながらの多品種少量生産の街中アートです。
⑫配管芸術も横浜で堪能できます。
特に夢中になって調べるというスタンスではなく
歩いているゾーンの「空気」を感じる時のマークとして
上記の「しるし」を探し楽しんでいます。
【番外編】その資料危険につきご用心!
「森鴎外から「武鑑」に関心が出てきて数冊「武鑑」を入手した。」と
“歴史学”の専門家に話したら
危険だ!と言われてしまった。冗談で「幕末で止めておきなさい」
![]() |
掃部山にその名が残る幕末の大老 井伊掃部頭 |
横浜に関係する歴史的な話題を探す際、概ね幕末からの資料が中心になります。
横浜の歴史はついつい 近世末期からスタートしてしまいます。横浜が脚光を浴びた時期が幕末「開港」の時代だからです。
一般的に安土桃山時代から江戸時代を近世
明治維新以降を近代と呼びます。
歴史の範囲を「江戸時代」まで遡ると
一気に守備範囲が等比級数的に拡がっていきます。江戸時代はこれまた面白い時代です。しかも資料をコレクションし始めたら
たしかに危険な匂いがします。
(武鑑に夢中)
文豪で思想家でもあった森林太郎(鴎外)は武鑑コレクターでもあり研究家でもありました。
彼は「伊沢蘭軒」「渋江抽斎」他を書くにあたって武鑑をフル活用しました。
彼自身の「武鑑コレクション」は有名です。
「伊沢蘭軒」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/2084_17397.html
「渋江抽斎」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/2058_19628.html
池波正太郎、司馬遼太郎、松本清張 他多くの時代小説作家も「武鑑」を資料にしながら作品を残しています。
「武鑑(ぶかん)は、江戸時代に出版された大名や江戸幕府役人の氏名・石高・俸給・家紋などを記した年鑑形式の紳士録。」(Wiki)
「武鑑とは江戸時代に民間の書肆(しょし=本屋)が営利のために刊行した大名・幕府役人の名鑑である。江戸時代初期寛永頃の『大名御紋尽(ごもんづくし)』や『江戸鑑』を経由して1687年(貞享4年)『本朝武鑑』で始めて武鑑の名前が冠された。『正徳武鑑』に至り体裁が整い、明和元年(1764)の武鑑で形式が定まって、幕末に終刊する。」(伊従保美)
http://www.kawara-ban.com/daimyouNO13.html
私が入手したのは、
「袖珍武鑑(シュウチン ブカン)」と
「袖玉武鑑(シュウギョク ブカン」という対の武鑑です。
「珍」と「玉」いささか語弊のある文字ですが?!
「袖珍武鑑」はイロハ別大名図鑑で諸藩大名を名前から探ります。
一方
「袖玉武鑑」は役職別幕府役人図鑑で、大名以下の細かな役職担当者も記載されています。江戸時代の組織が見えてきます。
図版からわかるように家紋や槍などの道具印は図も丁寧に描かれ、ほぼ毎年発行されています。
この武鑑を手にして驚くのは、
ハンディタイプであること。大きいサイズもあるとのことですが、手元に置いておくなら手頃な大きさです。この中に
徳川御三家から國主大名、外様大名、譜代大名の
氏名、官位、御所号、本國、家紋、石高、さらに江戸より居城までの里程などが記載されています。さらに
江戸城中の詰所の別とか、大名行列の槍の形(どこの大名か見分けるのに便利だった)など 小さいながらも事細かに記載されています。
ユーザーは
江戸屋敷在勤の武士が日常政務の際、他の武家屋敷との折衝や交際の基礎資料として購入したそうです。
頻繁に使用したのは出入り商人や街道筋の役人、商店、旅籠なと宿場町関係の人々でビジネスの必需品となりました。
余裕が出てくると 参勤交代の下級武士のお土産、町人の大名行列の見物資料とになったそうです。
なんとも優雅な世界というか、この一冊だけでも江戸時代の成熟度を感じます。
(何が危険か)
集めたくなる衝動にかられるからです。特に「袖玉武鑑」は
時代と共に変わっていく役職の面白さを探す
いったい何だろう?と思う役職探し他
読み出したら 別な世界に入り込んでしまう“危険”が確かにあります。
現在16冊で幕末が殆どです。先輩のアドバイスに従って
幕末より遡るのは止めておくことにします。
【雑談】秋田雨雀の横浜
横浜の様々な情報やシーンをネタにブログを約500話書いてきました。
2012年1月1日から今日までで【番外】を含めて500話目です。
最近、事実の掘り起こしだけではなく
横浜を舞台にしたフィクションも書いてみたくなっています。
といってもそういった文才があるわけでも無く、
願望・妄想に近い。
何が書きたいか?というと ラブストーリー。
意欲だけで 全く手つかずの状態です。
当分無理そうです。
ブログの中でもラブストーリーにぴったりのネタが幾つかありますので紹介しておきます。
No.94 4月3日 横浜弁天通1875年
これなんか 素敵な素材です。
切ない 明治初頭の国際的なラブストーリーになりそうです。
というより
ラブストーリーです。
一方 壮絶な愛の姿もあります。
No.225 8月12日 (日)太夫 打越に死す
芸に生きながら、一世を風靡した義太夫師夫婦の物語に仕上がりそうです。
(秋田雨雀の横浜)
日本の劇作家・詩人・童話作家・小説家として戦前戦中戦後を生きた秋田雨雀という人物がいます。
1883年(明治16年)1月30日青森県に生まれ、1962年(昭和37年)5月12日に亡くなります。
文学者であるとともに社会運動家、エスペランティストとして活躍します。彼が交流のあった人たちにはエロシェンコ、神近市子、相馬黒光、有島武郎、島崎藤村、小山内薫、島村抱月、永井叔他多くの創作者に影響を与えました。
No5 1月5日(木) 漂泊の詩人 永井叔
秋田雨雀にとって横浜は?
三渓園にインドのタゴールを訪問したり
「日陰茶屋事件(元恋人神近市子が、アナーキストの大杉栄に切り掛かる)」の裁判を傍聴するために横浜裁判所に何度か通うなど日常活動の延長線に横浜を訪れることが何度かありましたが、
彼にとって 忘れられぬ思い出が 横浜に残っています。
愛する娘を看取った街でした。

秋田雨雀の娘でロシア文学者の上田進と昭和7年結婚した“千代子”が、昭和十二年四月長い闘病生活の末、横浜の久保山にあった横浜病院(横浜市立療養院、戦後に国立横浜東病院となり現在は民間病院の聖隷横浜病院となっています)で看病の甲斐なく亡くなります。
娘の看病のために何度も横浜を訪れます。
※写真は秋田夫妻とロシア文学者上田進(演劇評論家尾崎宏次の実兄)に嫁いだ娘千代子の子供(雨雀の孫)静江
【番外編0424】区の順位
(役に立たないランキング)
横浜市には十八の区があります。
今日は役に立たないランキングを紹介しましょう。
人口順や、面積順といったランキングは“少し”役立ちますが
全く?役に立たない「区の順位」です。
注意:ここでのランキングは
区の優劣とは全く関係がありませんのでご了承下さい。
さて!最初のQ
このランキング基準はわかりますか?
第一位
西区→195
第二位
中区→107
第三位
神奈川区→79
第四位
南区→56
第五位
鶴見区→52
第十四位
戸塚区→28
第十五位
瀬谷区→26
第十六位
緑区→24
第十七位
港南区→21
第十八位
泉区→19
※18区を一覧にすると
西区(195)→中区(107)→神奈川区(79)→南区(56)→鶴見区(52)→都筑区(47)→青葉区(46)→金沢区(45)→旭区(45)→保土ケ谷区(43)→港北区(35)→磯子区(33)→栄区(33)→戸塚区(28)→瀬谷区(26)→緑区(24)→港南区(21)→泉区(19)
※ヒント 何かの数量です。
ランドマークタワーのおかげかな?
(答えは末尾に)
ちなみに横浜市が一般書式に使用する区表記の順は
鶴見区→神奈川区→西区→中区→南区→港南区→保土ケ谷区→旭区→磯子区→金沢区→港北区→緑区→青葉区→都筑区→戸塚区→栄区→泉区→瀬谷区
となっています。
※横浜市市域拡大の年代から順位を設定しています。
戸塚区からいち早く分区した「瀬谷区」が
いつもラストになってしまうので
瀬谷区はかわいそう!ですね。
![]() |
Wikiより |
では?この順は国政レベルでも同じか?
調べてみました。総務省の決めた
全国の市町村区にはコード番号があります。
JIS地名コード、地方自治体コード、都道府県コード、市町村コードとも呼ばれています。
鶴見区のコードは141011
全6桁の上2桁が都道府県、残り4桁が市区町村コード
その順でいくと神奈川県横浜市のヘッドコードが141で
鶴見区が01で末尾一桁がチェックディジットとなっています。
鶴見区(01)→神奈川区(02)→西区(03)→中区(04)→南区(05)→保土ケ谷区(06)→磯子区(07)→金沢区(08)→港北区(09)→戸塚区(10)→港南区(11)→旭区(12)→緑区(13)→瀬谷区(14)→栄区(15)→泉区(16)→青葉区(17)→都筑区(18)
※横浜市が使用している順位と比較すると
南区まで一緒ですが六番目から大きく変わります。
瀬谷区は最下位から脱出していますね。
Wikiでは 区の順表記をこの市町村コードに従っています。
Q2
ではこの順は?
中区(224)→西区(320)→保土ケ谷区(334)→瀬谷区(367)→神奈川区(411)→鶴見区(510)→港北区(540)→南区(743)→磯子区(750)→金沢区(788)→泉区(800)→港南区(847)→戸塚区(866)→栄区(894)→緑区(930)→都筑区(948)→旭区(954)→青葉区(978)
※ヒント小さい順に並べました。量ではありません。
Q3
さらにこの順位は?
西区(220)→神奈川区(221)→港北区(222)→都筑区(224)→緑区(226)→青葉区(227)→鶴見区(230)→中区(231)→南区(232)→港南区(233)→磯子区(235)→金沢区(236)→保土ケ谷区(240)→旭区(241)→戸塚区(244)→泉区(245)→瀬谷区(246)→栄区(247)
※これも数量ではありません。
■■こたえ■■
Q1→郵便番号の数です。西区はランドマークタワーがフロア毎に
郵便番号がふられているからです。
中区が第2位?その訳は?
http://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?pref=14&city=1141040&cmp=1
何故か?
町別に丁寧に番号が割り振られています。
中区には136の町名があります。
136分の107ですから約79%に郵便番号が振られています。
→ちなみに神奈川区は134の町名があり79の郵便番号ですから
58%になります。どうしてでしょう?
郵便番号の設定基準調べは今後の課題ですね。
Q2→区役所の電話045の次ぎにくる3桁番号です。
昔は、局番でおおよそのエリアが判りましたが、
最近は全く地域とは関係なくデジタル回線が割り当てられています。
Q3→郵便番号
これもどのような基準で番号が振られたのか?
よくわかりません。おいおい調べてみます。
**************
ということで全く役に立たない調査はひとまずお終いです。
探しを始めたか?
郵便番号や電話番号、市町村コード なんでバラバラなのか?
から始まりました。
無駄の排除はまだまだあると思いますね。
【番外編】横浜サウンド特集リンク集
横浜市内のオリジナルサウンドショップを集めてみました。
★ハマ楽器
http://www.hama-gakki.co.jp
〒231-0045
神奈川県横浜市中区伊勢佐木町2丁目8-7
※関連
No.109 4月18日 品川の名人濱に死す
ハマ楽器本社は 元「新富亭」という横浜でも大型劇場だったそうです。
☆株式会社 横浜日本屋楽器
http://www.yngakki.co.jp/
1958年(昭和33年)創業
横浜市神奈川区反町1-6-7
Tel:045-322-6388
オンラインショップ
http://onlinestore.yngakki.co.jp
★ピアノ修理工房 有限会社クラビアハウス
http://www.klavierhaus.co.jp
横浜市保土ヶ谷区上菅田町417
045-382-8322
★セントラル楽器
東白楽にある管楽器専門店で、日本国中からお客様が来られるそうです。
〒221-0822
横浜市神奈川区西神奈川1-15-2
TEL 045-324-3111(代)
FAX 045-324-4025
http://central-gakki.jp
★ノナカ
http://www.nonaka.com
No.272 9月28日(金)横浜の中の世界のノナカ
☆横浜ジャム音楽学院
1978年(昭和53年)に開設され2001年(平成13年)現在の桜木町に移転
〒231-0063
横浜市中区花咲町2-62-8 ジャムビル
http://www.yokohama-jam.com
☆横浜音楽院
http://www.yokohama-music.co.jp
〒220-0004
横浜市西区北幸1-2-13 横浜西共同ビル
株式会社 横浜アオバ楽器
インターネット上の仮想資料館が面白い!
※ビクトロンの歴史
※オルガン・コンクールの歴史
☆GRINNING DOG® studio (グリニング・ドッグ工房)
Custom Pickupの製作&PickupのRewind, Rebuildなど
Pickupに関するあらゆる作業のプロショップ
http://greens.st.wakwak.ne.jp/904354/menu2.html
横浜市南区白妙町1丁目1番地
TEL/FAX: 045-251-6433(9:30〜19:00)
☆elmore
ギター&ベースに関する
製作・修理・改造・点検・コンポーネント・販売
http://elmore.boo.jp/profile.html
〒231-0846
横浜市中区大和町2丁目32番地
TEL / FAX 045-625-6517
【番外編】善悪の彼岸
歴史上の人物評価は難しいものがあります。
歴史の多くが“勝者”の描いた史実を重ね合わせた結果です。
近年、敗者の歴史と言う視点で新資料を元に新しい人物像が描かれています。
横浜を舞台にした人物像にも評価の分かれる人が
意外と多いことに気がつきました。
特に
明治維新前後に登場する多くの重要人物は歴史的政変に関わっているため、評価は立場によって大きく変わってきます。
徳川政権から明治政権に劇的な政権交代の狭間で、歴史に埋もれてしまったり善悪の評価が二分されてきた時代です。
横浜に関係が深く評価が分かれた人物として良く知られている人物は
「井伊直弼」でしょう。
安政の大獄で多くの要人を処刑、処分等を行い「桜田門」で元水戸浪士達に暗殺されました。
薩長出身者には“親の敵”、水戸徳川家には攘夷破りで“目の敵”
明治維新後も井伊直弼支持者と薩長明治政府派とは反目し合います。
その象徴が「掃部山の井伊直弼像」です。
井伊に関しては別のコーナーで一部紹介していますが、
より鮮明に 横浜の直弼騒動を追いかけていますのでまとまり次第紹介します。
「幕末悲運の人びと」で石井孝さんは四人の悲運な人物を紹介しています。
■岩瀬忠震
■孝明天皇
■徳川慶喜
■小栗忠順
中でも「岩瀬忠震」「小栗忠順」は特に横浜と深く関わる人物です。
目下「小栗上野介忠順」に挑戦しています。
小栗忠順は実に興味深いキャラの持ち主です。
まとまり次第 紹介します。
(新田義貞)
突然時代は14世紀に遡ります。
偶然目に止まった本から 鎌倉武将「新田義貞」に関心が湧いてきました。
鎌倉 稲村ケ崎で剣を差し出したパフォーマンスで有名です。
群馬県人には郷里の英雄「歴史に名高い新田義貞」とうたわれています。
上野国新田荘に拠点を持つ関東の御家人で
鎌倉幕府倒幕で「かまくら攻め」のため
南下し 鎌倉道を経由し稲村ケ崎まで一機に攻めくだります。
このとき 横浜市域を通り
「瀬谷」にその足跡をみることが出来ます。
その後、最終的に 福井県(越前国)で最後を遂げます。
評価の分かれる「新田義貞」に関しても
目下 実際に鎌倉道散策中です。
戦後も評価の分かれた人物の一人に
神奈川県知事「内山岩太郎」がいます。
横浜市と神奈川県の仲の悪さ?の原点となった
戦後自治体の制度設計を巡って激しい論争を行います。
少し紹介しましたが
No.399 神奈川都構想で抗争
彼についても目下 下調べ中ですが 中々面白い!
ということで これも時期をみて紹介します。
No.350 12月15日(土)横須賀上陸、横浜で開化。
No.324 11月19日(月)広田弘毅に和平を進言した男像
※もっと、改めて 評価していく人物も多いようです。
今日は 今関心のあるテーマの紹介のみとします。
【番外編】桜咲く
今年の梅開花は少し遅めでしたが、桜は一気に開花してきました。
花見ポイントをざくっと集めてみました。ほんの一部です。
今年は春休みにタイミングが合いそうですね!
※マナーは守りましょうね。(写真は昨年が中心です)
三渓園(さんけいえん)
http://www.sankeien.or.jp
三ツ沢公園(みつざわ)
http://www.city.yokohama.lg.jp/kankyo/park/yokohama/mitsuzawa.html
三ツ池公園(みついけ)
http://www.kanagawaparks.com/mitsuike/
掃部山公園(かもんやま)
http://www.city.yokohama.lg.jp/nishi/miryoku/kouen/kamonyamakoen.html
幸ヶ谷公園(こうがや)
http://www.natsuzora.com/may/park/kogaya_sakura.html
野毛山公園(のげやま)
http://park.hama-midorinokyokai.or.jp/park-details/nogeyama-park
弘明寺公園(ぐみょうじ)
http://www.city.yokohama.lg.jp/minami/70minamiru/71spot-route/713park/713002.html
八聖殿(はっせいでん))※三渓園近く
http://www.rekihaku.city.yokohama.jp/shisetsu/hasei/
本牧山頂公園
http://sancho-yokohamaueki.com
保土ヶ谷公園
http://www.kanagawa-park.or.jp/hodogaya/
根岸森林公園
http://hanami.walkerplus.com/detail/ar0314e25877/
清水ヶ丘公園
豊顕寺市民の森(ぶげんじ)※三ツ沢公園隣接
http://www.city.yokohama.lg.jp/kankyo/green/shiminnomori/shimin-bugenji.html
山手公園
横浜市児童遊園地
久良岐公園
大曽根第三公園
大岡川プロムナード
http://river-sakura.com
本牧通り・桜道
港南桜道
http://kanagawa87.web.fc2.com/sakura_sakuramiti.htm
http://www.city.yokohama.lg.jp/konan/town/sakuramiti/sakuramiti-history.html
http://www.city.yokohama.lg.jp/konan/town/sakuramiti/iinkai.html
外国人墓地
英連邦戦死者墓地
谷戸坂
関内桜通り
【番外編】の番外編
そろそろ桜の芽が膨らんできました。
時折 臨時テーマという感じで【番外編】をアップしてきました。
その中から幾つかセレクトしてみました。
番外編 重箱の隅の快楽
番外編 幕末明治の年号って苦労します。
番外編 目利き見立て見切り
【番外編】市のマークの番外編
【番外編】生麦、旧東海道を歩く
【番外編】(ざくっと横浜その1)村は川に沿って生まれる
【番外編】横浜の橋物語
【番外編】横浜のボクシングジム
今日番外編で咸臨丸
昨年の「暦で綴る今日の横浜」2月3日で咸臨丸を紹介しました。
No.34 2月3日 ポサドニック号事件で咸臨丸発進
「咸臨丸」は何回か取上げました。
今日は簡略版でご容赦ください。
簡単に「咸臨丸の一生」を紹介しておきましょう。
※全て西暦 和暦は( )で
時代に翻弄されながら、何度も座礁し修理を重ね航海した「咸臨丸」
1857年(安政4年)3月
オランダで誕生。
幕府が注文した木造3本マストの蒸気船で、納品時は「ヤーパン号」
日本に納品され長崎に投錨されたのが9月22日(火)です。
1858年(安政5年)
築地の軍艦操練所所属になり練習船として活用されます。
1860年(安政6年)
咸臨丸太平洋横断が決定します。
当初太平洋横断の予定はありませんでした。
2月4日(土)品川を出帆し横浜着
3月18日(日)サンフランシスコ入港
6月23日(土)浦賀に帰着
1861年(文久元年)
ロシア軍艦対馬占領事件(ポサドニック号事件)が起こり
外国奉行・小栗忠順が咸臨丸で対馬に急派されます。
1862年(文久元年)
幕命による小笠原派遣。輸送・客船として活躍
1868(慶應4年)
4月6日(月)江戸無血開城、五箇条の御誓文
旧幕府脱走軍の船となる。
浦賀沖で座礁
回天丸の曳航で浦賀沖を出発
回天丸との曳航綱が切れて漂流状態にメインマストを切り倒して安定確保。
下田入港
清水を目指して下田出港するが、悪天候で下田に戻る。
蟠竜丸曳航で清水入港
新政府軍の脱走艦隊追捕艦隊の富士山丸が
白旗を掲げた咸臨丸を砲撃し乗員全員死亡。
新政府軍に曳航されて浦賀へ。
1869年11月19日(明治2年)
咸臨丸、浦賀番所での修理が終わり、兵部省管轄から開拓使に移管される。
開拓使運搬船(北海道間定期航路)として活躍
1871年(明治4年)
上総国興津沖で暴風雨により座礁・損傷 修復
片倉小十郎家臣団401名を乗せ、小樽へ向けて寒風沢出帆
航海中に妊婦死亡の為、函館へ進路変更し函館寄港後
11月7日(火)更木岬(木古内釜谷村)沖の暗礁に乗り上げる
咸臨丸、水没/開拓使、咸臨丸を放棄。
No.262 9月18日 (火)咸臨丸の真実!
No.359 12月24日(月)咸臨丸始末記2
No.396 【番外編】今に残る歴史の跡
二日ほど都合で手抜きします。
ご容赦ください。
地図や航空写真を見ていると不思議な場所を発見することがあります。
調べてみると、ある歴史がそこにこめられています。
また、後から資料がでてきて ああこうなっていたんだという場所もあります。
今日はこれまでに紹介したものを中心に
地図に見る不思議な横浜を紹介します。
(野毛のカーブ)
No.88 3月28日 京浜湘南電鉄連結地点
野毛の鉄道用地のなごりについて紹介しました。
【番外編】1月29日 謎解き都橋
(短くも長く続く道)
大正時代の名残です。
No.140 5月19日 ねぎしへいそご!
(余談)石崎川路線
野毛の湘南鉄道予定路線だった街区のなごり同様に
高島町(二代目横浜駅)から保土ケ谷駅に繋がっていた旧東海道本線のなごりがまだ残っています。
(とにかくストレート)
水道道
現在も現役です。
地図で直ぐにわかるまっすぐな道発見!
No.152 5月31日(木) もう一つの近代水道発祥の地
![]() |
野毛山動物園脇からまっすぐ続く水道道。かなり起伏がありますが、サイフォンの原理です。 |
(歩く線路)
新しく生まれ変わった工業遺産です。
開港の道
No.62 3月2日 みらいと歴史をつなぐ道
「山下臨港線プロムナード」