第937話【市境を歩く】川崎市境0その2
■今回は川崎・横浜市境パート2 かつての日本橋を起点に横浜港に至る国道一号線、現在の国道15号線を越え いよいいよ「京浜運河」に入ります。国道15号線の市境には、恐らく大正時代に改修された時に建てられた<東海道>の道標が… 続きを読む »
■今回は川崎・横浜市境パート2 かつての日本橋を起点に横浜港に至る国道一号線、現在の国道15号線を越え いよいいよ「京浜運河」に入ります。国道15号線の市境には、恐らく大正時代に改修された時に建てられた<東海道>の道標が… 続きを読む »
街には国境ほどではありませんが行政の境界があります。 地域民にとって境界は別段関係ありませんが時にこの境界が市民生活に影響してきます。 街は何故ここに境界を設定したのか、 謎解きをしながら市境を歩くと、横浜が見えてきます… 続きを読む »
肥料工場は日本工業化の代表産業でした。 肥料の歴史は、農業の歴史でもあります。かつて人類は、移動する狩猟生活から定住する農業にシフトするキッカケを得ます。これによって農業生産による食料の安定確保が可能となりカロリー量の高… 続きを読む »
この画像は、伊勢佐木から山手方向を撮影したものです。 撮影時期を推理してみます。 風景の左に横浜市役所が見えます。 歴代の歴史から画像にある市役所は 二代目市庁舎(1911年~1923年)と思われます。 (三つの橋) 市… 続きを読む »
1,000話までカウントダウン70の節目なのでちょっと頑張ってみました。帷子川河口域を調べている過程で、明治38年発行の地図を改めて見直していたらそれまで全く意識していなかった情報が目に飛び込んできました。万里橋近くから… 続きを読む »
戦前の絵葉書が多彩・多用な画像メディアとして活躍していた事はブログ内でも何回かお伝えしているところです。 さらに付け加えると、 時折 絵心というか<写真心>を感じる絵葉書に出会います。風景撮影だけではなく、そこに<アクセ… 続きを読む »
1930年(昭和5年)の暮、横浜市が震災復興に一つのメドがついた頃 市電社内刷りPRとして「市電ニュース」が発行されました。 ちょうどこの頃、横浜市内の市電網が最も精力的に整備され、市域トラフィックの軸となっていきます。… 続きを読む »
滝ノ川に架かる「大清水橋」 かな表記は「だいしみずばし」だが市の橋梁台帳では「おおしみずはし」となっている。読みが全く異なるもの珍しい。理由は近所に60年暮らす方に聞いても解らなかったが、その方は「おおしみずばし」だと思… 続きを読む »
これまでのブログが殆ど整理されていないこと、気にはなっていましたが、 気になり始めた時にすでに500話を越え、諦めました。 できる範囲で 索引的なものも作りました。(自分の確認用!) 2017115時点 更新していきます… 続きを読む »
かつて、幕末から明治にかけて居留地には外国人経営によるホテルが数多く誕生しては消えて行きました。その中で、明治・大正時代の開港場を代表するホテルが幾つかありましたが、その一つがクラブ・ホテルです。1884年(明治17年)… 続きを読む »