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第862話 【絵葉書の風景】番外編<子守という仕事>

【傘を差す子守女】
この風景を紹介するにあたり、かなりの時間を要しました。14463223_1300541403323294_2839478932620437198_n少女が二人、和傘を差しながら歩く姿として紹介すればそれだけのことなんですが、この風景を絵葉書にした<意図>は何だったのか?
写真家は外国人なのか?日本人なのか?
絵葉書には画像しか無く、何時の時代の何処の風景か推測するには情報が少なすぎます。傍証から撮影時期は大正初期と推察できましたが確証はありません。
少なくとも この風景から想像できるのは
この二人の少女は<子守>を仕事として働いているだろうということです。
服装から、季節は寒い時期で秋から初冬と思われます。
手前の少女は「叶田」と書かれた傘を差していますが、屋号でしょうか。
◆児童労働としての子守
子守が労働であった時代があります。現代の<ベビーシッター>ではなく、10歳前後の少女が労働として子供を子守することが江戸時代から普通に行われてきました。
子守の労働歌としては「竹田の子守唄」が有名です。
 守りもいやがる 盆から先にゃ
 雪もちらつくし 子も泣くし
 盆がきたとて なにうれしかろ
 帷子(かたびら)はなし 帯はなし
 この子よう泣く 守りをばいじる
 守りも一日 やせるやら
 はよもいきたや この在所(ざいしょ)越えて
 むこうに見えるは 親のうち
統計的に見ると
大正9年の国勢調査によればたとえば12歳から14歳までの年齢層で男女の有業率(職についている率)はそれぞれ30.6% 28.8%に達していました。
昭和13年神奈川県中郡成瀬村における農家児童の労働時間分析では
女子の子守は
尋常5年 36.25(時間.分) 総労働時間78.23(時間.分)
尋常6年 7.24(時間.分) 総労働時間72.43(時間.分)
高小1年 8.10(時間.分) 総労働時間96.17(時間.分)
高小2年 0.56(時間.分) 総労働時間114.50(時間.分)
といった数字が出ています。
◆では「児童労働」は問題だったのか?
子守奉公という児童労働が一般化したのが江戸時代後期で、明治以降も前述の数字も出ているように、子守労働が女子児童の大きな役目でした。
では、この幼児労働が過酷な労働であったかのかどうか?
これに関しては資料を読み漁った結果、子守が<女工哀史>的なステレオタイプな労働像として良いのかも検討が必要だということに帰結しました。
事実、竹田の子守唄の背景にあるような被差別部落における<子守労働>もあります。現在の<子供の権利>という視点でも問題点を多く含んでいますが、地域の役割分担と通過儀礼的な役割も担っていた側面もありました。確かに就学年齢の女子がこの時期に<子守労働>を強いられることで義務教育が維持できない現実が起こってきます。地域によっては女子就学率が極端に下がっています。
ここには「子守学校」という女子の就学奨励も過渡的なものながら女子就学向上に大きな役割を果たした試みもありました。
※一部では男子も子守労働に多くの時間を割いている地域もあります。
◆ジェンダー・バイアス
現代の視点で、この時代の子守労働を論じるのは無理があるように思えます。
女子が子守・家事、男子が農作業等を担う近代までの農村部においては、地域の役割分担として、子どもたちが年齢に応じて様々な労働に就いていたからです。
戦前絵葉書には子守をしている子供が登場するものも多くあります。日常の風景だったようです。
一枚の絵葉書から少し大風呂敷を拡げてしまいました。