1月 30

第872話【市境を歩く】川崎市境1

市境の基本は
・川筋
・尾根筋
・道路筋
※横浜市境を歩くと横浜が見えます!
今回は川崎・横浜 市境その1

ポイント1
<川崎市下麻生3丁目>
<青葉区寺家町> ●川筋
鶴見川の市境はごく一部です。
横浜市域の北部を流れ東京湾に至る<鶴見川>は一級河川ですが、市域を分ける”境川”となっているのはごく一部に限られています。
何故、暴れ川鶴見川が市域を分けないのか?
一方で、横浜市域の西部は二級河川<境川>によって多くの部分で分かれています。
このエリアを流れる鶴見川上流は恩田川との合流点までを「谷本川(やもとがわ)」とも呼ばれています。

ポイント2
<川崎市麻生区早野>
<青葉区寺家町> ●「寺家橋」
横浜市の西北部に広がる寺家(じけ)は、都市部に貴重な里山が維持管理されているエリアです。寺家エリアの多くは「東京都町田市」と接しています。(別レポートで紹介します)
このエリアは寺家ふるさと村(じけふるさとむら)と呼ばれていますが、
鶴見川に架かる寺家橋は「じげはし」と知って、少し驚きでした。

ポイント3
鶴見川「河内橋」(かわちはし)付近
横浜あおば霊苑 ●尾根筋
短い<川筋区間>に終わりを告げ、長い尾根筋市境ルートに入ります。
横浜市市域と川崎市域の境目の多くが<尾根筋>です。途中、一部を除いて港北区の日吉エリアあたりまで尾根歩きが可能です。
横浜と川崎の<境>がどのような自然条件で決定したのか、地理学的にも面白いルートと言えるでしょう。

ポイント4
●尾根筋
★★★ ここは ちょっとマニアックですが、おすすめです。
横浜市境ルートで最も”ケモノミチ”のような尾根筋ポイントがここです。
横浜の市境には南部に公田や朝比奈エリアがありますが、
この道も負けず劣らず ハイキングコースになりそうな<縦走>体験ができます。

ポイント5
●尾根筋 かなりブッシュを掻き分けないと前に進めない道でした。
草刈りの予定でもあるのか、白いビニルテープが市境に張られていました。
地面の市境道標は
まるでヘンゼルとグレーテルの<パンくず>ような感じでした。

ポイント6
●尾根から道路へ ここは川崎市と横浜市にまたがって開発された住宅地。
川崎側 虹が丘
横浜側 すすき野
1970年代〜1980年代に開発・分譲され、両市で土地区画整理事業が進められました。
横浜市青葉区すすき野は、
鉄町、黒須田町、元石川町から新設されたエリアです。
最寄駅は東急田園都市線あざみ野駅または小田急線柿生駅で、エリア中央に東急SCがあります。

ポイント7
●市境の奇妙 このポイントには不思議な段差がありました。
市境にある「すすき野二丁目北公園」(すすき野二丁目8−5)
面積5,000m2
公開1984年1月25日(S59年)
公園横に隣接して 広い道路があります。
この道路には車止めがあり車両は侵入できません。
これは良くある道路使用のスタイルですが
一般道とつながる交差点に段差がありました。

(川崎2につづく)

Category: 横浜の橋, 横浜の水辺, 横浜の道, 路上観察 | 第872話【市境を歩く】川崎市境1 はコメントを受け付けていません。
1月 22

第871話 【絵葉書の風景】大山公爵夫人

神奈川高等女学校展覧会 松屋鶴屋の裾模様実演説明
正面 大山公爵夫人
来観者18,000人 昭和四年十一月二・三日
●撮影場所:松屋鶴屋
●撮影時期:1929年(昭和4年)11月2日〜3日
この絵葉書のように描かれた風景が明確に示されていることは珍しい。
絵葉書を<記録メディア>として利用した典型事例の一つといえるでしょう。
ここに登場する「神奈川高等女学校」
現在、沢渡にある神奈川学園高等学校の前身と考えられます。
昭和初期の<神奈川高等女学校>は少々紛らわしいので推定に苦労します。

<神奈川高等女学校>か<神奈川県高等女学校>か?
<神奈川高等女学校>は
1914年(大正3年)に「横浜実科女学校」として創設されます。
創設の地は南吉田にあった<リンネル工場>跡地の仮校舎だったそうです。
1915年(大正4年)に「横浜実科高等女学校」となり
1921年(大正10年)から「神奈川高等女学校」と改名します。
戦後の新学制で「神奈川高等学校」
その後「神奈川学園高等学校」として現在に至ります。
http://www.kanagawa-kgs.ac.jp
http://touyoko-ensen.com/syasen/kanagawa/ht-txt/kanagawa18.html
ここで勘違いし易いのが<神奈川県高等女学校>
1900年(明治33年)10月10日に創立。
翌年に神奈川県立高等女学校となり
1930年(昭和5年)4月1日には
「神奈川県立横浜第一高等女学校」となり「第一高女」と呼ばれました。
絵葉書発行の昭和四年の時点では
「神奈川高等女学校」(沢渡)
「神奈川県立高等女学校」(平沼)
の二校が近くにあり間違いやすかったと思います。
ちなみに平沼の第一高女は
1900年(明治33年)10月10日創立  神奈川県高等女学校
1901年(明治34年)5月7日  神奈川県立高等女学校
1930年(昭和5年)4月1日  神奈川県立横浜第一高等女学校
1948年(昭和23年)4月1日  神奈川県立横浜第一女子高等学校
1950年(昭和25年)4月1日  神奈川県立横浜平沼高等学校
もう一つ
似た女学校がありました。
程谷町立実科高等女学校
1926年(大正15年)11月30日認可
校名 程谷町立実科高等女学校
1927年(昭和2年5月)横浜市立実科高等女学校
1934年(昭和9年4月)横浜市立高等女学校
1945年(昭和20年4月)横浜市立第一高等女学校
1948年(昭和23年4月)横浜市立桜丘高等学校

(会場)松屋鶴屋      <昭和7年>
この神奈川高等女学校展覧会が開催された松屋鶴屋は
昭和4年時点で推測すると
伊勢佐木通り入口の「鶴屋(呉服店)」と思われます。
翌年の昭和五年に「松屋(呉服店)」に名称変更されました。
ここが現在の< MATSUYA GINZA>です。
No.30 1921年1月30日 MATSUYA GINZAのDNA
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=593

横濱デパート物語(MATSUYA編)
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=5499
この絵葉書の主題にあたる
大山公爵夫人
私にとって 劇的出会いでした。
詳細は資料ツッコミ中につき別で紹介します!

Category: 【資料編】, 横浜の学校, 横浜絵葉書 | 第871話 【絵葉書の風景】大山公爵夫人 はコメントを受け付けていません。