渡辺福三郎とその妻 たま。
(素案レベルです。今後加筆修正される予定です) 1901年(明治34年)と1904年(明治37年)1月25日に 市議会議長に渡辺福三郎が選出されたと「横浜市会の百年」の年表に記載されていました。 (渡辺福三郎の議長任期は… 続きを読む »
(素案レベルです。今後加筆修正される予定です) 1901年(明治34年)と1904年(明治37年)1月25日に 市議会議長に渡辺福三郎が選出されたと「横浜市会の百年」の年表に記載されていました。 (渡辺福三郎の議長任期は… 続きを読む »
「一寒村に過ぎなかった横浜が〜」 枕ことばとして使われる横浜開港のフレーズです。 小さな村でしたがそれを<寒村>という枕詞で形容するのは止めよう派です。 <小さな村>たしかにその通りですが、横浜村が小寒村であれば、日本の… 続きを読む »
1903年(明治36年)2月23日 「保土ケ谷の歌人荒波孫四郎(66)が没した(横浜歴史年表)」という記事に出会いました。荒波孫四郎という人物、初めて聞く名前でした。いかなる人物なのだろう? 歌人とあるので、文学で作品を… 続きを読む »
目下1930年代の短期間に発行していた「市電ニュース」の風景を読み解いています。 1931年(昭和6年)5月・6月 五月 29日 ’Sturdy’号にて Edward Miles Lone sai… 続きを読む »
1891年(明治24年)6月5日 「有限責任横浜船渠会社が設立認可」と資料から発見!日本鋳造(株)『日本鋳造50年史』や 『石川島重工業株式会社108年史』他に表記されていました。 横浜船渠(よこはませんきょ)と読みます… 続きを読む »
時折断片的な史実がつながり始めることがあります。 点が線に線がある形になっていく時に背中がゾクゾクッとします。 これまで900話位の史実をさがす横浜ブログを書いていますが、ゾクゾクッとすることは中々ありません。 今日のネ… 続きを読む »