山手警察の歴史を中心に
※手元の資料で簡単に整理してみました。
神奈川県警察全体の項目も含んでいます。
●山手警察 現在の所在地
横浜市中区本牧宮原1番15号
【略年表】
1870年(明治3年)1月
神奈川に取締見廻役設置
横浜居留地に居留地取締役を置く
山手に屯所(取締局)を設置。
1871年(明治4年)
8月〜10月
陸奥宗光、神奈川県令就任により警察制度改革。横浜関内外の関門・見張所全廃。
県兵に代え階級制度による取締役(ポリスマン)を配置。
※取締役・邏卒・巡査 いずれもポリスマンの訳
12月
居留地の警察権回復「邏卒」制度完成(陸奥宗光)
神奈川県に邏卒課を設置。取締区域を五区に分け、会所詰邏卒を配置。
※陸奥宗光は神奈川県初代県令(明治4年〜明治5年)在任短期間だったが警察制度の大改革と行った。
その片腕となったのが大江卓(陸奥の後任、二代目神奈川県令)→大江橋
1872年(明治5年)
3月 東京府 神奈川県の「邏卒」制度に準拠。以後、全国基準となる。
※日本の警察制度の基本となる「邏卒」制度は神奈川(横浜)モデルだった?
1874年(明治7年)6月
邏卒本営設置(堺町二丁目)
1875年(明治8年)3月
行政警察規則 発布。
1875年(明治8年)11月
山手居留地に、山手警察署の前身である警察出張所が設置
1877年(明治10年)
警察出張所を警察署、屯署を分署と改称。
第一号警察出張所→横浜堺町警察署
第二号警察出張所→山手警察署
第三号警察出張所→横浜松影町警察署
第四号警察出張所→横浜長者町警察署
第五号警察出張所→横浜戸部警察署
第六号警察出張所→横浜高島警察署
1879年(明治12年)
山手居留地・山元町の所管、松影町警察署から山手警察署に変更。
1882年(明治15年)
7月1日
松影町・長者町・戸部町の三警察廃止、堺町警察署に統合。
堺町警察署を横浜警察署(後の伊勢佐木警察署)と改称。
横浜警察署に居留地警察署(後の加賀町警察)を設置
→山手警察署は居留地警察署 山手分署となる。
1884年(明治17年)
横浜警察署、堺町二丁目から伊勢佐木町25番地の新築庁舎に移転。
居留地警察署、堺町二丁目から加賀町通203番地に移転。
1893年(明治26年)12月
居留地警察署 山手分署 山手警察署の名に戻る
1895年(明治28年)12月
伊勢佐木町警察署 横浜市伊勢佐木町1丁目
戸部分署 横浜市戸部町一丁目
加賀町警察署 横浜市居留地加賀町
水上分署 横浜市西波止場岬
山手本町警察署 横浜市居留地山手本町
石川町警察署 横浜市石川町四丁目
日下分署 久良岐郡日下村笹下
神奈川警察署 橘樹郡神奈川町青木
川崎分署 橘樹郡川崎町新宿
高津分署 橘樹郡高津村溝口
都田警察署 都筑郡都田村川和
以下 略
1897年(明治30年)
山手町に木造平屋の庁舎が完成(山手本町警察署)
1909年(明治42年)
山手本町警察署、煉瓦造りの2階建てに改築
1911年(明治44年)
4月10日「(タイトル)遠乗会寄贈品、自動車と衝突 八日午前十一時市内松影町四ノ一三五馬淵宇平が自転車に乗じて山元町一ノ一先街路に来かかりたり所前方より来りし外人四人乗りの自動車と衝突し自転車は滅茶苦茶に破壊されしより宇平は直ぐに外人を捕へて山手署へ同行を乞ひたるに外人は自分の名刺を同人に渡し自分は山下町二〇グランドホテルに投宿し居るなれば若し用があればホテルに来れよと云い捨てし儘立去りたるより宇平は直ちに山手署へ訴へ出でたり(横浜貿易新報)」
1923年(大正12年)
9月山手本町警察署、関東大震災で全壊、仮庁舎を本牧に置く。
11月山手本町警察署八幡橋分署(後の磯子署)設置。
1925年(大正14年)
10月1日山手警察署 本牧町に新設。
1926年(大正・昭和)
八幡橋分署が八幡橋警察署(後の磯子署)となる。
1945年(昭和20年)
山手警察署、横浜大空襲での全焼などによる幾度からの移転
大鳥国民学校→本牧国民学校→横浜授産所
1965年(昭和40年)
5月新庁舎完成。現在の場所に移転。
1994年(平成6年)
山手警察署 新庁舎竣工。