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第983話【横浜路上観察】バス停考古学

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路上観察の愉しみ方は街の片隅に残されている<記憶>を探ることにあります。
暗渠・マンホールは川と街の関係を知る<標(しるし)>です。
文字系の街の記憶の代表は<バス停><電柱プレート><道標>です。
今回は「バス停考古学」を紹介しましょう。
「考古学」とは若干オーバーですが、マチナカで街の記憶に出会う最高の<標(しるし)>です。
[バス停解読法]
路線運行バス会社によってフォームは異なりますが、
フルスペック!のバス停解読法を紹介しましょう。

情報満載のバス停

 ・停留所名と読み方(ふりがな、欧文)
 ・次のバス停名。
 ・路線バス会社名
→共同使用もあれば、会社ごとにバス停を分けているケースもあります。
 さらには会社でバス停名が微妙に異なるものもあり不思議です。
 
 ・簡単な路線図(行先案內)

■会社の事情?
同じ場所なのに営業会社でバス停名が異なるところを探してみました。
市営36系統途中に「道路碑前」
相鉄バスでは「道路碑」でした。
バス会社の事情なのか?
→会社違いバス停はなぜか「横浜線」沿線のバス停名に多い!のです。
「十日市場駅(神奈中)」「十日市場駅前」
「中山駅(神奈中・東急)」「中山駅前」
「長津田駅(神奈中・東急)」「長津田駅前」
「小机駅(東急・相鉄)」「小机駅前」
「新横浜駅」「新横浜駅前(神奈中・市営)」

「泉谷寺前(東急・市営)」「泉谷寺入口(相鉄)」
「屏風浦駅」「屏風浦駅前(神奈中)」
「駒岡」「駒岡十字路(東急・臨港)」
「綱島駅前」「綱島駅(東急・臨港)」

→その他「前」「入口」の表記も多いバス停名の一つですが会社でバス停名が異なるのは珍しいですね。
「鶴ケ峰駅前」「鶴ヶ峰駅前(相鉄)」これ最高です!
 横浜市営は鶴ケ峰表記の大きいケ、相鉄は鶴ヶ峰表記の小さいケと分けて使っています。(2018年夏現在)
「鶴ヶ峰小前」「鶴小前(相鉄)」

「港北年金事務所前」「港北年金事務所入口(臨港)」
「稲荷通」「稲荷り(神奈中)」
「山内中(東急)」「山内中前(小田急)」
「桐蔭学園(小田急)」「桐蔭学園前(東急)」
「ストアー前(京急)」「汐見台ストアー前」
市内のバス停をすべて確認したわけではありません。
他に
気になったバス停を幾つか紹介します。
まず、横浜市内で一番長い文字数のバス停は何処に?
その前に「一文字バス停」を
「浜」超レトロ<浜マーケット>のある磯子区にあります。
「峰」山中にある<峰>です。大岡川水源地近くです。
「西」都筑区にあります。「東」「南」「北」は見つかっていません。
「境」緑区の分水嶺頂上にあります。まさに村境だったなごりではないでしょうか。
「原(港南区)」「表(戸塚区)」「島(神奈中青葉区)」
以上7つが”まち歩き”で見つけた一文字バス停です。

かつては区役所前で賑わった「浜」

では一番長い!名前は何処かと これまでのバス停写真とマップを捜索したところ
10文字程度の長い名前が結構ありました。
特にカタカナバス停は長いものが多いようです。
※まず直感で一番はこれか!
新山下・ダイワコーポレーション前(16文字)
と思っていました。
ところがもっと長いバス停を時折通過していたことにガックリ
いつも散歩していた「国際橋・カップヌードルミュージアム前」(18文字)があるではないですか。

では一番長い!名前は何処かと これまでのバス停写真とマップを捜索したところ
10文字程度の長い名前が結構ありました。
特にカタカナバス停は長いものが多いようです。
※まず直感で一番はこれか!
新山下・ダイワコーポレーション前(16文字)
と思っていました。
ところがもっと長いバス停を時折通過していたことにガックリ
いつも散歩していた「国際橋・カップヌードルミュージアム前」(18文字)があるではないですか。

今の所 ここが一番長いバス停です。
前段が長くなりました。
では本題の「バス停考古学」
現在無いものがバス停にだけ残されているケースが市内に多数あります。
簡単に判るのが無くなった、暗渠化した川に架かる「橋」の名です。

西区「雪見橋」「花咲橋」
南区「横浜橋」「阪東橋」「千歳橋」
磯子区「芦名橋」「聖天橋」
語れば一つの物語になるのが
磯子にある「温室前」です。もちろん現在「温室」はありません。磯子の歴史を紐解くと戦前、昭和10年ごろから現在の磯子区栗木に温室が作られ、販売・輸出用の花が作られました。戦後宅地化に伴い温室は無くなりますが「温室前」は撤廃されること無く使い続けられています。
 磯子は花卉園芸が盛んに行われました。その歴史は幕末にまでさかのぼります。開港後の日本から輸出されたのは絹やお茶が主力、有名でしたが「ユリの花」も外国人の虜となり百合=リリイの生産地となったのが磯子です。

近くに温室がありそう

鶴見区「新興駅前」
このバス停はJR貨物線の駅が国鉄時代の1934年(昭和9年)に鶴見の海岸線工場地帯に開通し分割民営後の2010年(平成22年)に無くなってしまった駅名がバス停と交差点名にそのまま残っています。

鶴見区「自動車鋳物前」
 鶴見の自動車工場群の歴史を物語るバス停です。鶴見市場近くにあった自動車工場の関連企業がかつてあった名残です。現在は運送会社の物量センターとなっています。

保土ケ谷区「遊園地前」
 近くに小さな公園があります。遊園地がそのことを指すのか、かつて遊園地があったのか不明です。
 
ダブルバス停
103系統の本牧車庫行きには同じバス停名が2つ並んでいます。
「本牧市民公園前」の次も「本牧市民公園前」で、実際乗車すると一ヶ所しか使われていません。行先案內版にも二箇所掲示されている理由を知りたいところです。

同じバス停名が連なる不思議

[不思議な名前]
金沢区「イガイ根公園前」
意外ね!ではなく「貽貝根」のイガイです。貽貝の意味!調べてみましょう。
市営294系統 金沢区並木にあります。この場所ならではの命名です。

難読バス停
バス停には難読、読みが難しいバス停もあります。
■下車ケ谷(かしゃげと)
環状2号線のバス路線には道は新しくバス停名は中世の名が残っています。
馬洗橋、永作、そして下車ケ谷。さらには日限地蔵入口、水田
「下車ケ谷」は市内屈指の難読バス停でしょう。

■内路(うつろ)
普通は(うちろ)でしょう。ここでは(うつろ)と読み、古くからあった地名で、交通の重要な十字路となっています。

No.702 【横浜バスめぐり】バス停に見る街の記憶
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=6380

ざくっとバス停名をめぐる話でした。別な機会にそれぞれの背景に迫ってみることにします。

第980話【横浜の隅っこ話】東名横浜町田インター バス停

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東名横浜インターバス停

東名高速道路横浜町田インターと国道16号線が交わるところにポツーンとバス停があります。神奈中「南01」系統で、「若葉台中央〜南町田駅」を結ぶ短い路線です。
この路線
2018年(平成30年)11月現在 一日 しかも休日昼頃に1便だけ運行している不思議な路線です。俗に言う路線維持赤字路線かもしれません。東名インターとバス停に関して古い資料を少し探ってみました。
<東名横浜町田インター>
元々バス停名は写真の通り「東名横浜インター」でしたが登録バス停名は表題の通り
「東名横浜町田インター」と改名されています。東名高速を使った高速バスのバス路線がありインター出口に高速バスの「東名横浜」停留所があり、ここから在来の連絡路線が「若葉台中央〜南町田駅」南01系統です。

2017年春
1日1便

2015年(平成27年)では平日1本、土曜1本、休日1本の計3本運行を確認できました。
2016年(平成28年)では平日1本、休日1本の2本に。
そして現在は 休日の1本のみとなっています。廃線直前の路線ですが、路線を維持する理由があると思われますが、不明です。
このバス停
横浜市緑区長津田と東京都町田市鶴間の境目に位置しています。

国交省DBより

横濱界隈ブログですので
「東名横浜町田インターバス停(東名横浜インター)」の位置は横浜市内か東京都町田市内かという疑問を調べてみました。
[結論]横浜市緑区長津田 国道16号線保土ヶ谷バイパス上り線
 横浜市内の一日一便路線であることがわかりました。これで他にもあるのか、俄然調べてみたくなりましたが歩いて偶然発見していく方法で他の極少路線と出会うことが愉しみです。

営業中の中華飯店「東名台」駐車場に車は無かった

このバス停を含め近辺の歴史も調べてみました。
この路線が誕生した背景には東名高速道路の開通があります。
東名高速道路横浜町田ICが1968年(昭和43年)4月25日に開通します。
翌年、高速道路を使った
東名ハイウェイバスが運用開始し、「東名横浜」バス停が設置されますが、周辺にアクセス手段が全く無く、バス連絡を必要としたのではないか、と推察できます。

ここは最寄り駅「南町田駅」まで約1kmです。途中厚木街道「東名入口」交差点にもバス停が無く”不便さ”は拭えません。一方、1979年(昭和54年)に分譲が始まった若葉台団地は始発本数の多いターミナル機能を持ったところです。若葉台中央乗換で横浜線「十日市場」、相鉄線「三ツ境」に出ることが可能ですが、ハイウェイバス開業から10年の時間差があり、また乗換の不便さが残ります。なぜ若葉台経由路線が組めなかったのか不思議ではあります。
東名ハイウェイバス「東名横浜」バス停は1999年(平成11年)に廃止されます。
廃止された要因は横浜インターの恒常的渋滞と最寄り駅へのアクセスの悪さと思われますが、逆によくぞ99年まで継続したとも言えるでしょう。

東名ハイウェイバスが運用時には、古い航空写真・明細地図等から「待合室」があったようです。
バス停周辺は近郊農業の耕作地とインター名物のラブホが林立し、工場・倉庫がある程度です。
未完成の環状4号線、保土ヶ谷バイパスの立体化の遅れなどが重なり、インターチェンジ機能がフルに発揮できなかったこともこのエリアが孤立化してしまった要因といえるでしょう。
現在保土ヶ谷バイパスの二期立体化も進み、瀬谷の米軍用地返却で環状4号線も潤滑化され、今後10年で予測すると大きな変化が起こる可能性がでてきました。

環状4号線
周辺に広がる耕作地

<関連史>
■大和バイパス
1968年(昭和43年)3月 開通。4月25日運用開始。
東名高速道路との接続幹線道路、国道16号のバイパス道路として大和市つきみ野から上川井ICが開通。
1968年(昭和43年)4月1日
田園都市線 「長津田駅〜「つくし野駅」延伸開業。
1969年(昭和44年)6月10日
東名ハイウェイバス「東名横浜」バス停供用開始。同時に東名江田バス停も供用開始。
■保土ヶ谷バイパス
1970年(昭和45年)着工
1974年(昭和49年)9月 
狩場IC〜上川井IC間が全面4車線開通
1976年(昭和51年)10月15日
東急田園都市線「南町田駅」開業
1979年(昭和54年)
県営「若葉台団地」分譲開始。計画当初「市営地下鉄」計画があった。
1997年(平成9年)
横浜町田立体完成供用および下川井I.C~上川井I.C間6車線化供用
4月1日 新設の横浜青葉インターチェンジとの区別のため横浜町田インターチェンジと改称
1990年代 間05系統 鶴間駅東口 → 東名横浜インター → 鶴間駅東口 廃止
1999年(平成11年)1月31日
東名ハイウェイバス「東名横浜」バス停廃止
2015年(平成27年)
環状4号線、公田交差点から南河内交差点までの4車線化が完了し、整備地区全線で4車線化供用開始。
2016年(平成28年)3月
環状4号線未整備区間(上瀬谷地区)が開通。

南01系統 車内は私一人でした。

第876話【時折今日の横浜】3月24日

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1985年(昭和60年)3月24日の今日、
三菱銀行人質たてこもり強盗事件が横浜で起こりました。
<毎日新聞>

「本町4丁目の三菱銀行横浜支店に、警察官の制服等を着装して警察官になりすました2人の男が、野毛場外馬券売場から車両で搬送される売上金等を狙って押し入り、同銀行員とガードマンにけん銃を突きつけて脅迫し、人質にして立てこもった事件である。警察本部長以下500余人の警察官を動員し、人質の救出を最重点に犯人の説得工作等の捜査を実施した結果、立てこもりから12時間後に主犯格が自らの頭部をけん銃で打ち抜いて自決。もう一人が説得に応じて非常口扉の施錠を開けたため捜査員が突入して被疑者を逮捕し、目と口にガムテープを張られ後ろ手錠をかけられて金庫室に押し込められていた4人の被害者を救出した。」(加賀町警察)

この事件以前にもう一つの<人質事件>が同じ三菱銀行で起こっていました。
1979年(昭和54年)1月26日
三菱銀行北畠支店(現三菱東京UFJ銀行北畠支店)に猟銃を持った男が押し入り、客と行員30人以上を人質にした銀行強盗および人質・猟奇殺人事件が起こります。
「三菱銀行人質たてこもり強盗事件」を記憶されている方?
日本の犯罪史に残る銀行強盗事件として
その後の犯罪心理学の授業に良く登場するのが
この三菱銀行北畠支店人質事件です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/三菱銀行人質事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/ストックホルム症候群

この事件から6年後
1985年(昭和60年)3月24日の今日、上記の通り
三菱銀行横浜支店で人質たてこもり強盗事件が起こります。
当時 三菱銀行横浜支店は横浜市中区本町4丁目41、本町三丁目四丁目の交差点の一角にありました。このあたりは、戦前から金融街で多くの銀行、證券、保険関係の本店・支店が建ち並んでいました。絹取引の中心地であった北仲エリアがあったからですが、戦後もしばらく<銀行街>はここに残りました。
上記地図は昭和39年ごろの本町四丁目近辺です。10以上の金融機関がここ本町通りに集中している様子が良くわかります。

その後、三菱銀行横浜支店は1996年(平成8年)に東京銀行と合併し、旧東京銀行横浜支店に移動します。
この人質強盗事件は「元警官の短銃強盗」として6年前の<梅本事件>とは異なった意味合いで大きなニュースとなりました。

「横浜市の三菱銀行横浜支店に二人組短銃強盗が押し入り、行員とガードマンの四人を人質に立てこもった。翌3月25日 約12時間後に犯人の一人が短銃自殺を図り、警官隊が突入、人質を救出、犯人を逮捕した。(毎日新聞)」

自殺を図った犯人は元神奈川県警鶴見署の巡査部長小沢弘(40歳)、その後病院で亡くなります。
もう一人の犯人は小沢の友人で自動車金融会社社員の平尾則人(現行犯逮捕)43歳でした。
二人は警察官の制服等を着装して警察官になりすまし野毛の場外馬券売場から車両で搬送される売上金等を狙って押し入り銀行員とガードマンの計4人を人質に立てこもった事件でした。神奈川県警は警察本部長以下500余人の警察官を動員し説得を中心に人質の救出を行った結果、立てこもりから12時間後に主犯格だった小沢弘が自らの頭部をけん銃で打ち抜いて自殺。もう一人の共犯平尾則人が説得に応じて非常口扉の施錠を開け、捜査員が突入し被疑者を逮捕しました。
目と口にガムテープを張られ後ろ手錠をかけられた状態で金庫室に押し込められていた銀行関係者4人は無事に救出されます。
事件当日、現金輸送車で5億6千万円も現金が野毛から銀行に運び込まれることを調べた上、主犯格の元警官が<在職中の制服・制帽>を使い行員を騙して犯行に及んだことで神奈川県警に動揺が走った事件でした。
この事件は国会でも元警察官の事件として何回か取り上げられ、議論になりましたが
犯行そのものは稚拙で衝動的なものだったためその後の報道から<元警察官>の表記が消えていきます。
冒頭の加賀町警察の事件簿にもこのことは触れられていません。

■私の勝手な推測
もしこの事件が無かったら
「東京三菱銀行横浜支店」は現在旧東京銀行横浜支店の場所ではなくこの事件のあった本町4丁目になったのではないか?
本当のところはわかりません。
ただ、この三菱銀行は歴史的建造物で、売却後の保全をどうするかいろいろ議論があった建造物です。
現在も繰り返し議論されている歴史的文脈をどう残すか?
この銀行、表向きの理由は<手狭・保全コスト>だったような記憶もありますが、ファサードの一部がマンションの一角に残されています。

※東京三菱銀行横浜支店
1934年(昭和9年) 旧川崎第百銀行横浜支店として建てられました。
設計者はストロングビル・日本興亜ビル(旧川崎銀行横浜支店)も設計した矢部又吉です。

第838話 1989年(平成元年)7月3日ミッドナイトアロー号

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1990年代の初め、JR新宿駅南口脇にあったバスターミナルから「深夜急行バス」を良く利用したことがあります。最近は、めちゃくちゃわかりにくかった様々な長距離・深夜バスがほぼまとまりました。
「バスタ新宿」
http://shinjuku-busterminal.co.jp
私の利用した「深夜急行バス」は東京駅から新宿経由で湘南に向かう系統で、運行会社は小田急か神奈中か記憶は曖昧です。
当時、新宿発の深夜急行バスにはかなり制限があり横浜駅近くに停車する路線がありませんでした。新宿を出発すると最初の停車が横浜新道の保土ケ谷区今井町で、唯一自宅に近く(新道上の)「今井町」バス停から一般道に降り、そこからタクシーを拾わなければ自宅には辿りつけませんが重宝しました。
この「深夜急行バス」は
1990年代初めから徐々に拡大した新しいサービスで、
“70年代”から始まった「深夜バス」とは異なります。
「深夜バス」は首都圏の郊外に大型団地が急増した60年代、通常の路線バス運行ルートを使って終電に近い時間帯で運行が求められた結果始まったサービスです。
当時の運輸省も検討に入りますが、1970年に神奈川中央交通が独自の判断で日本最初の「深夜バス」を町田で運行します。この年の暮れに運輸省から深夜枠の路線バス運行に関してガイドラインが出され、1971年から一気に深夜時刻の「深夜バス」運行が全国に拡大します。
これに対して、

1989年(平成元年)7月3日の今日、

終電後の交通手段としてターミナル駅から自社の営業路線まで新たにバス路線を開く「深夜急行バス」<ミッドナイトアロー号>が日本で初めて運行されました。

運行会社は東急バス、運行区間は「渋谷〜青葉台間」です。この路線は現在も運行されています。1897000_1011467408897363_203686569932617223_n 11140044_1011469408897163_1978038056709377104_n

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神奈中深夜急行バス

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京急深夜急行バス

深夜運行なので正確には<7月4日>未明ということになりますが、運行上の日付は7月3日出発となるそうです。
前述の通り、初期の運行はかなりルート設定に制限があったようで、新宿駅から横浜駅ルートはありませんでした。しかも途中のバス停設定も自社の路線が運行されているエリアに限られました。
※この原則は現在も変わっていないようです。
この<ミッドナイトアロー号>を皮切りに、全国で終電後の都心部と郊外、そしてターミナルとターミナルを結ぶ「深夜急行バス」が多く運行されるようになりました。

(過去ブログ7月3日)
No.185 7月3日(火) 実録「居留地警察」
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=422
1877年(明治10年)7月3日の今日、
神奈川県は居留地の各国領事に対し6月30日付けで横浜外国人居留地取締役(居留地警察のトップ)Edward.S.bensonを解傭(雇用解除)した旨を居留地各国領事に通知しました。

第820話 1998年(平成10年)6月15日Yカード新設

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ちょっとなつかしい姿から

マリンYカード

My collection マリンYカード

1998年(平成10年)6月15日
「地下鉄バス共通カード500円Yカード新設」(横浜市営交通八十年史)
廃止が2010年(平成22年)7月31日ですから12年の活躍、短かったのか長かったのか。
停止後、払い戻し期限は平成27年7月31日まででした!
そういえば交通系の磁気カードはいろいろ出ました。交通系磁気カード パスネット
オレンジカード
バス共通カード
マリンカード
Yカード
ファミリー環境一日乗車券※(現役)
一日乗車券※(現役)

(Yカード)
Yカードは「横浜市営地下鉄」と「横浜市営バス」のみで使用できるプリペイドカードです。
500円券と1,000円券と3,000円券がありました。

(マリンカード)
マリンカードも横浜市交通局が発行した磁気式のプリペイドカードです。
横浜市営地下鉄及び横浜市営バスを始め周辺地域の一部バス事業者で共通に使用できました。
※マリンカード及びYカードは、平成22年7月31日をもってすべてのサービスを終了
※払戻しは、平成27年7月31日で終了。
※バス共通カードの払戻も平成27年7月31日まで。

◎一日乗車券
最近は 一日乗車券を常備。市内全域の総てのバスルート(現在は市営バス)に乗る!ことに挑戦中、というほどがむしゃらではありませんが機会を見て、数回バスに乗る用事の時には この一日乗車券を駆使しています。

(過去の6月15日ブログから)
No.167 6月15日(金) 自然、単純、直裁、正直、経済的
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=443
1960年(昭和35年)6月15日(水)、元町公園の一角に移築された
エリスマン邸の開館式が行われました。

【横浜の橋】№10 残った紅葉橋(陸橋)

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横浜に初めて鉄道を敷設する際、野毛浦・伊勢山・鉄道山沖の海辺を埋立て鉄道用地を確保する。その際に埋立地と陸部の狭間に排水路(運河)を作った。スクリーンショット 2016-04-21 13.20.00 スクリーンショット 2016-04-21 13.17.52 最初は「桜木川」と呼ばれ、後には「桜川」と呼ばれた。
明治に誕生した「桜川」は次第にその役割を終え、水量の少ないドブ川に変身、昭和20年代には空堀となりそこに戦後の闇市が建ち並び立ち退き訴訟にまでなった。
その後「桜川新道」(新横浜通り)が誕生し橋は無くなることになる。lightP2240166大岡川と石崎川(帷子川)を繋ぐ桜川に架かっていた橋の数は少し変わるが、
「錦橋」「緑橋」「瓦斯橋」「紅葉橋」「雪見橋」「花咲橋」「戸部橋」「桜橋」と八つありその中で市電の停留所だった「雪見橋」「花咲橋」が現在もバス停として残っている。スクリーンショット 2016-04-21 14.51.27そして唯一残った橋が紅葉坂と桜木町・内田町を繋ぐ<紅葉橋>である。まさに過去と(みなと)みらいを繋ぐ橋だ。
「紅葉橋」
この橋は、坂の橋である。橋が急傾斜しているのだ。傾斜角度を測ったことは無いが、自転車での登攀は電動でない限りかなり厳しい。降雪時は徒歩でも危険な傾斜角である。
light_1040816 急な紅葉坂を下った先に「紅葉橋」が架かっているのだが、坂の下が出っ張った崖っぷちになっているために、坂の橋で繋ぐしか無かったのだろう。

もう一つの特徴は上下線が分かれている双橋であることだ。スクリーンショット 2016-04-22 02.43.45lightimg紅葉橋界隈183<赤い線が丘稜線>
実は、この紅葉橋は、乱暴な表現だが「架け足し」た橋である。拡張ではなく、旧橋の横に新橋を加え、上下分離線となっている。
手元の神奈川県資料によると
1982年に旧紅葉坂(幅員9m)が架け替えられ現在に至っていて
2001年に新紅葉坂(幅員6m)が横に架けられている。lightPA135075ただ 見る限り共に2000年の工事で取り替えらたような仕立てなので旧紅葉坂はリフォームされているのだろう。
lightFH000028紅葉橋

上の写真と比べるとJR高架橋下の道路が拡張されていることは判る。

lightFH000029<1990年ごろの紅葉坂・紅葉橋>

このあたりは歴史の<ネタ>が満載。
キーワードだけも紹介しておこう。
近代日本で最初に国賓が泊まった横浜離宮・鉄道山・高島嘉右衛門・井伊直弼・伊勢山皇大神宮・ユースホステル・税関宿舎(大平正芳、福田赳夫)・前川國男・金星・神奈川奉行所・米軍倶楽部
2014年(平成26年)7月1日に北改札が完成したことで大きく人の流れも変わりつつある。light紅葉坂14 まもなく旧東横線高架橋の遊歩道も出来上がるとこの橋を上から眺めることができるだろう。

散策におすすめのエリアだ。
追々これらのテーマも紹介していきたい。

【市電ニュースの風景】№22

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目下1930年代の短期間に発行していた「市電ニュース」の風景を読み解いています。22号

1931年(昭和6年)5月・6月
五月
29日 ’Sturdy’号にて Edward Miles Lone sailor crosses Pacific
Edward Miles 氏香港から到着、出発は7月14日で、9月9日にハワイ到着。

三十、三十一日 保土ケ谷家政女学校記念展覧会(電車及バス保土ケ谷終点下車)
三十一日 高工對高商 定期野球戦(電車花園橋下車)
=午前九時半開場 午後二時半試合開始ー横濱公園球場にて=
=六月二日第二回戦挙行ー時間及場所は総て前同様=
31日 花月園少女歌劇団 解散。
31日 神奈川区の浅間神社の復興成りその遷宮祭が行われた
六月一日 浅間神社大祭ー新社殿竣成(電車浅間下 下車)
一、二、三日 厳島神社(弁天社)大祭(電車及バス羽衣町一丁目下車)
一日より五日まで 第十二回開港記念祝賀バザー(横浜公園及日本大通にて)
二日 第二回商工祭(十時公園音楽堂にて)広告仮装大行列挙行
一日より十日まで 最近欧州各国ポスター展示会(電車及バス本町一丁目下車)
=日本大通商工奨励館にて開催ー観覧随意=
四日 むし歯予防デー 映画と満談の会(伊勢佐木町又楽館にてー入場無料)
懸賞標語
満員の電車の次に空が来る (当選者 鈴木 哲次郎 君)
※アラビア数字は別の年表から同時期の出来事を追記したものです。

【キーワード】
■Edward Milesの単独横断
史上4番目に<単独航海世界一周>の成功者で米国NY出身です。
米国のアーカイブには登場しますが日本では検索しましたが皆無でした。
※ちなみに1962年(昭和37年)堀江謙一が日本初の太平洋単独横断に成功し世界一周は1974年に成功、世界ランキング36番目です。37番目も38番目も日本人でした。
36番目
Kenichi Horie – Japan
“Mermaid III” – 1973/1974 – First Japanes
37番目
Hiroshi Aoki – Japan
“Ahodori II” – 1971/1974
Smallest yacht co circumnavigate – 20’8″
38番目
Ryusuke Ushijima – Japan
“Cingitsune” – 1973/1974
■保土ケ谷家政女学校
1912年(大正元年)10月  程谷町立女子実業補習学校
1927年(昭和2年)4月  横浜市立程谷家政女学校※
1928年(昭和3年)4月  横浜市立保土ケ谷家政女学校
1935年(昭和10年)4月  公立青年学校神奈川県横浜市保土ケ谷家政女学校
1936年(昭和11年)4月  横浜市立高等家政女学校
1942年(昭和17年)3月 廃止
※保土ケ谷に30年間存在した女学校で横浜市立高等女学校(現在の桜ヶ丘高校)の家政学校として併設される形で開校。

■三十一日 高工對高商 定期野球戦(電車花園橋下車)
1929年(昭和4年)以来休止していた定期戦が復活した試合です。

■花月園少女歌劇団
京浜急行に「花月園駅」があります。少し前には競輪場があったので花月園というとギャンブル!というイメージを持つ方も多いでしょう。ここはかつて東洋一の遊園地でした。
No.52 2月21日 東洋一の遊園地(加筆修正)
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=569
この「花月園」の花形だったのが「花月園少女歌劇団」
当時、関西の「宝塚」に匹敵する人気だったそうです。
時代の流れに運営が追いつかず解散の憂き目に合います。

■又楽館(ゆうらくかん )
又楽館は横浜の人気劇場 映画館の一つでした。
場所は長者町6丁目57番地で明治45年※に開業。洋風4階建て2、430人収容の常設活動写真館で横浜有数の規模を誇りました。建物の設計は矢部又吉です。
(大正元年〜 後にオデオン座と合併)「市民とオルガン P29」
※明治45年は7月30日から大正元年となるため 正確な月日が不明な場合明治/大正併記としておきます。

【市電ニュースの風景】第一号その1

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1930年(昭和5年)12月25日
「市電ニュース」第一号が発行されました。
横浜市が震災復興に一つのメドがついた昭和5〜6年、
横浜市電が路線網を広げた時期です。
震災後の横浜で 元気を取り戻す原動力として横浜市の復興計画の柱に<市電網の充実>がありました。
市電網が拡充され利用者も増加する中
「市電ニュース」は毎週木曜車両内に掲示されました。
この「市電ニュース」アーカイブから昭和初期の風景を読み解いていきます。

市電ニュース1■第一号
1930年(昭和5年)12月25日発行
<1930年(昭和5年)12月〜1931年(昭和6年)正月>
二十五日(木) 納の岡村天神詣(天神道假停留所下車)
二十八日(日) 神戸市(電車バス保土ケ谷終点下車)★
同 日 電車久保町延長線開通(予定)
三十日(火) 「郵船」大洋丸出港(午後三時桑港へ)
=二十九日午前中 四号岸壁着=
三十一日(水) 福引付全市聯合大売出最終日
=一月七日より景品引換(於市役所勧業課)=
一月
二、三、四日(金土日) 羽田穴守稲荷神社臨時出張
=於伊勢佐木町四丁目(電車曙町下車)
「人は人道 車は車道 注意一瞬怪我一生」
※( )曜日は今回追加したものです。また便宜上旧字と新字が混じっています。
★二十八日(日) 神戸市は
「ごうどいち」で現在復活して 保土ケ谷駅近くの会場で定期的に開催されています。

■■■解説■■■
1930年(昭和5年)の暮れから「市電ニュース」はスタートしています。
この「市電ニュース」が始まった1930年(昭和5年)暮れを振り返ってみます。
(※翌年1931年(昭和6年)正月は特記事項がありませんでした)
当時の市長は有吉忠一です。
12月27日
★市電・市バスの連絡乗車券を発売する(電車からバスは8銭、バスから電車又はバスは5銭の連絡券をそれぞれの車内で販売)
★横浜・シアトル両市交歓のバラ(2,000本の内1,000本)三島丸で到着。
12月28日
保土ヶ谷線(道上〜保土ヶ谷駅間)開通
これによって市電の震災復興事業が完了します。
12月30日
横浜・シアトル両市交歓のバラ(2,000本の内残り1,000本)日枝丸で到着。
12月31日
閉鎖中の横浜電気館が復活しました。

(シアトルのバラ)
1930年9月、シアトル航路の初航海に向かう「日枝丸」には、高さ約4 メートル、重量約8.5トンもある巨大石灯籠(いしどうろう)が積まれていました。これは、関東大震災(1923年)で大きな被害を受けた横浜市が、米国の見舞金をはじめとするたくさんの支援へ感謝の意を込め、日米親善のシンボルとしてシアトルに贈ったもので、シアトル在住日本人会の提案が発端となったといわれています。この石灯籠は大変喜ばれ、日本人会がその数年前に寄贈した桜500本(※1)が植えられたシアトルのスワード公園入り口の最も目立つ所に設置されました。
そのお礼にと、シアトルから横浜市に送られたのが、50種2,000株(※2)にも及ぶバラでした。「三島丸」と「日枝丸」で運ばれたバラは、山下公園、野毛山公園、保土ヶ谷児童遊園地などに植えられました。太平洋戦争によって、一時は横浜から姿を消しましたが、戦後再び親善のシンボルとして復活します。80年以上を経た現在も、横浜市こども植物園にはシアトルから贈られたバラの子孫が、そしてシアトルのスワード公園には石灯籠が残っています。
※時期と数量に関しては諸説あるようですが、日本郵船旅の雑誌『THE TRAVEL BULLETIN』の情報を優先しました。

(1930年略年表)
1月11日 濱口内閣の主導で日本が金本位制に復帰(金解禁)
1月20日 梅蘭芳来日
1月21日 ロンドン海軍軍縮会議開催、衆議院解散
1月25日 省線桜木町・高島町間が高架線になった
2月5日 京浜電鉄が横浜駅に乗り入れ
2月20日 第17回衆議院議員総選挙
3月2日インドで、マハトマ・ガンディーが、市民的不服従による抗議運動開始
3月15日 横須賀線が電車に切換え
4月1日 湘南電気鉄道の黄金町 浦賀間と金沢八景 湘南逗子間が標準軌 (1435mm) にて開業。
4月10日 銀座三越開店
4月22日 ロンドン海軍軍縮会議終結。米英日の3国で軍備制限条約締結
4月24日 鉄道省が国際観光局を開設
6月10日 加藤寛治軍令部長が天皇に辞表を提出
7月10日 明治神宮プール公開
7月13日 第1回FIFAワールドカップ開催
8月21日 逓信省が東京・大阪間で写真電送開始
9月5日 浅間山爆発 (東京まで降灰)
9月14日 独総選挙でナチ党が躍進
10月1日 東京・神戸間に特急燕運転開始(8時間55分)
11月1日 名古屋市で市営電気バス登場
11月14日 濱口首相遭難事件: 濱口首相が東京駅で佐郷屋留雄に狙撃され重傷
11月16日 富士瓦斯紡績川崎工場争議で煙突男が出現
11月20日 最初の国立癩療養所長島愛生園開設
11月24日 警視庁がエロ演芸取締規則を各署に通達
11月26日 伊豆地方大地震(死者行方不明者331名、全壊4317戸)

次回は 「市電ニュース」に登場した横浜の風景を追います。

【横浜の国道】133開港の道物語  

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目下横浜市内の国道を巡っています。横浜市内の国道は
1号、15号、16号、133号、246号、357号、466号があります。
かなり昔ですが自動車では市内全て走破しました。通過しただけですが。
さらに自転車では246号・357号の一部を除いて全て踏破しました。357号は厳密に言うと自転車では走行できない専用道が含まれているからです。466号は第三京浜なので自動車のみです。
246は自転車走行には適さない!道ですね。
今日はこの中から「国道133号」を紹介します。

スクリーンショット 2015-04-07 13.31.57

(国道133号)
全国数ある『国道』の中で、横浜市内に起点と終点のある超短い国道が133号線です。
総延長は1.4 kmで、歩いても2〜30分
「国道133号」一般国道の路線を指定する政令に基づく起点が横浜港なんです。
横浜港といっても横浜市内における横浜港といったら?
「大さん橋」です。
「国道133号」はこの大さん橋に入る交差点「開港広場前」が起点になります。

133起点

そして終点ですが、住所では横浜市中区桜木町一丁目(桜木町一丁目交差点)にあたります。
「開港広場前」から「桜木町一丁目交差点(JR根岸線鉄橋下)」までが国道133号線。
全国ランキングでもベスト5に入る短い国道の一つです。
国道174号(0.187km)
国道130号(0.482km)
国道198号(0.6km)
国道177号(0.7 km)
国道133号(1.4 km)
これらの短い国道に共通するのが、港から基幹(主要)国道まで繋がっているということです。港国道(みなとこくどう)と呼ばれています。
「国道133号」の歴史は古く、
1876年(明治9年)6月8日に出された太政官達第60号「道路ノ等級ヲ廢シ國道縣道里道ヲ定ム」という<お達し>から始まります。
■國道
一等 東京ヨリ各開港場ニ達スルモノ
二等 東京ヨリ伊勢ノ宗廟及各府各鎭臺ニ達スルモノ
三等 東京ヨリ各縣廳ニ達スルモノ及各府各鎭臺ヲ拘聯スルモノ
□縣道
一等 各縣ヲ接續シ及各鎭臺ヨリ各分營ニ達スルモノ
二等 各府縣本廳ヨリ其支廳ニ達スルモノ
三等 著名ノ區ヨリ都府ニ達シ或ハ其區ニ往還スヘキ便宜ノ海港等ニ達スルモノ
◯里道
一等 彼此ノ數區ヲ貫通シ或ハ甲區ヨリ乙區ニ達スルモノ
二等 用水堤防牧畜坑山製造所等ノタメ該區人民ノ協議ニ依テ、別段ニ設クルモノ
三等 神社佛閣及田畑耕耘ノ爲ニ設クルモノ

「國道」は一等から三等に分けられ、
一等は幅七間 二等は幅六間 三等は幅五間と決められました。
※一間は約1.818m
現在の「国道133号」は、かつて「一等 東京ヨリ各開港場ニ達スルモノ」にあたりました。
といっても当時は<道路>より<鉄道>の時代でした。本格的に道路整備が始まったのが1885年(明治18年)のことです。
1885年(明治18年)1月6日 太政官布達第壹號
「今般國道ノ等級ヲ廢シ其幅員ハ道敷四間以上並木敷濕抜敷ヲ合セテ三間以上總テ七間ヨリ狹少ナラサムモノトス   但國道路線ハ内務卿ヨリ告示スヘシ」
1885年(明治18年)2月24日  内務省告示第六號
1月6日の太政官布達第壹號を受けて「國道表」が作られ、明確な路線が確定します。
その中で第一号が
「壹號 東京ヨリ横濱ニ達スル路線」
日本橋・品川・川崎・神奈川・横濱  となり国道整備が始まりました。
現在の道路整備の骨格となったのが大正8年に公布された
「法律第五十八號」最初の(道路法)です。
例えば
第二條
左ニ掲クルモノハ道路ノ附屬物トシ道路ニ關スル本法ノ規定ニ從フ但シ命令ヲ以テ特別ノ定ヲ爲スコトヲ得
一 道路ヲ接續スル橋梁及渡船場
二 道路ニ附屬スル溝、竝木、支壁、柵、道路元標、里程標及道路標識
三 道路ノ接スル道路修理用材料ノ常置場
四 前各號ノ外命令ヲ以テ道路ノ附屬物ト定メタルモノ
道路に関係する「橋梁及渡船場」「溝、竝木、支壁、柵、道路元標、里程標及道路標識」「道路修理用材料ノ常置場」等も道路法の下で管理されると明記されます。
区分も
國道、 府縣道 、郡道、市道 、町村道の5つに分けられます。明治の「里道」がより細かく市道 、町村道に分けられることになりました。
国道1号線は
一號 東京市ヨリ神宮ニ達スル路線
經過地
横濱市 神奈川縣足柄下郡箱根町 靜岡縣田方郡三島町 靜岡市 濱松市 豐橋市 岡崎市(八丁橋經由) 名古屋市 四日市市 三重縣三重郡日永村 津市(宇治山田市宮川町通經由)
となり現在の東海道(国道1号)に近くなります。
その後
「三十六號 東京市ヨリ横濱港ニ達スル路線」(現在の国道15号と国道133号)
国道の名称は戦前戦後で何回か変更になりますが、
1965年(昭和40年)4月1日
道路法改正により一般国道133号として現在に至ります。
現在の「国道133号」を紹介しましょう。
(ルート133)
開港広場: 起点となった開港広場はペリーが上陸し、日米交渉が行われた場所です。税関桟橋(大さん橋)の入口でもあります。
「国道133号」はある意味開国の道ですね!

ペリー上陸の図3

歴史的な建造物を抜けていきます。
起点の標識は開港資料館の前に建っています。

133日本大通り

(日本大通・本町通)
次の「開港資料館前」交差点の信号を左に曲がり「日本大通り」に入ります。

133神奈川県庁133昭和20年代

右手に神奈川県庁本館が建っています。ここから横浜三塔が見えます。<横浜三塔の見える国道>ですね。右手に日本最初の外国郵便を取り扱った「港郵便局」

この「港郵便局前」交差点を右に曲がり本町通りに入ります。次の信号で「開港記念会館」となり、さらに本町通りを進むと左右に銀行が立ち並び、横浜の中心街であった(?)ことを感じます。

※「日本大通」「日本大通り」二種類の表記が使われていますね。

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133銀行会館

(馬車道)

「国道133号」は<本町通>と重なり馬車道駅のある交差点で左に曲がりますが、この道はかつてはみなとみらいに向かう道がありませんでしたので道なりに桜木町方向に曲がっていました。

133馬車道から

この馬車道交差点界隈も横浜開港史の原点となる施設が集中していた<北仲エリア>に沿って日本最初の鉄道駅「初代横浜駅」に向かいます。

light_初代横浜駅前822

(弁天橋)
弁天橋は1871年(明治4年)に吉田橋など開港に伴う関内外を結ぶ橋として架けられました。最初は木造の<桁橋>でした。

1873年(明治5年)橋台と橋脚がレンガ巻の鉄筋コンクリート製、上部に木造のアーチ構造の橋に掛け替えられます。四隅の橋柱にはガス灯が設けられていました。
1908年(明治42年)9月にプレートガーダー橋に架け替えられ
1923年(大正12年)の関東大震災で被災しましたが落橋は免れ、
1928年(昭和3年)10月に復旧工事が完了しました。
1976年(昭和51年)鋼材の腐食により鋼床板鋼鈑桁3連ガーダー橋に架け替えられ現在に至ります。

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(初代横浜駅)

明治5年5月7日〜大正4年8月15日まで初代横浜駅として開設、営業していました。

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(国道16号)

「国道133号」の終点は、桜木町駅前の国道16号線との合流点です。現在の位置で根岸線高架線の真下にあたります。

133終点

横浜史を巡る<国道133号>のウォーキングは如何ですか?

No.702 【横浜バスめぐり】バス停に見る街の記憶

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地名からその土地の歴史を読み解くことができますが、バス停の名からもその土地の様子がうかがえることがあります。その時々の土地の記憶が「バス停」に残されたケースを追いかけてみましょう。
まずは市内には失われた(暗渠化した)川に架かっていた「橋」の名からいきましょう。
■名残橋
「阪東橋」「横浜橋」「千歳橋」
バス停橋 吉田新田の真ん中にあった水路「吉田川」に架かっていた橋の名残です。
関内外エリアは運河の街だった歴史から「橋」の名が残っているバス停が多い地域です。
「吉浜橋」「東橋」、旧桜川に架かった「雪見橋」「花咲橋」も川のない橋ですね。
神奈川区片倉に近いところには「六角橋」「日枝橋」というバス停があります。現在はまったく川の面影がありません。
この他 磯子16号線には
「芦名橋」「境橋」「聖天橋」といった<橋>の名が残っていますね。
「芦名橋」は橋梁の名残を残しています。

light_芦名橋13.16.52 light_芦名橋名残■数え歌「バス停」なんていうのもあります。
旭区今宿には「ニュータウン第一」〜「ニュータウン第七」まで繋がります。
瀬谷では「細谷戸第一」〜「細谷戸第五」と続きます。

■バス停名称いろいろ
→企業名
「高周波前」「松下通信」「明治製菓研究所」このほか多数ありますね!!

→ちょっと微笑む
港北区の「吉田新田」そして次のバス停が「神隠」
「新羽営業所庚申堀」も面白いですね。江戸時代の庚申塚と営業所の名が合体しているなんてユニークです。

→ダブり?
103系統の本牧車庫行きには同じバス停名が並んでいるんです。
「本牧市民公園前」→「本牧市民公園前」ですね。
light_ブログ二つのバス停09

■会社の事情?
同じ場所なのに営業会社でバス停名が異なるところもかなりあります。
先日足を運んだ市営36系統途中に「道路碑前」バス停は相鉄バスでは「道路碑」でしたこれをきっかけに調べてみたらあるは あるは
バス会社の事情なのか?逆に迷わないための<区別>なのか?
→「駅・駅前」の違いを明確に出しているのがなぜか「横浜線」沿線のバス停名です。
「十日市場駅(神奈中)」「十日市場駅前」
「中山駅(神奈中・東急)」「中山駅前」
「長津田駅(神奈中・東急)」「長津田駅前」
「小机駅(東急・相鉄)」「小机駅前」
「新横浜駅」「新横浜駅前(神奈中・市営)」
「泉谷寺前(東急・市営)」「泉谷寺入口(相鉄)」
「屏風浦駅」「屏風浦駅前(神奈中)」

→その他「前」「入口」の表記も多いバス停名の一つですが会社でバス停名が異なるのは珍しいですね。
「港北年金事務所前」「港北年金事務所入口(臨港)」
「鶴ヶ峰小前」「鶴小前(相鉄)」
「稲荷通」「稲荷り(神奈中)」
「山内中(東急)」「山内中前(小田急)」
「桐蔭学園(小田急)」「桐蔭学園前(東急)」
「ストアー前(京急)」「汐見台ストアー前」

【横浜風景巡り】一文字バス停
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=4973

No.467 なんでここにこんな?(戸塚編)
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=63

No.449 横浜18区路線バスの旅
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=112

No.442−2 Mitio君の愉しみ(2)
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=120

バス停名を巡る話はまだまだありますが、今日はこんなところで失礼します。