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第973話 【駅から路上観察】京急神奈川駅から白楽まで。

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今回の狙いは、私が世話人をしている「横浜路上観察学会」の例会レポートをアップします。基本参加時のリアリティを大切にしているのであまりレポート系はしないようにしていますが、街を紹介する良い情報源でもありますので
いくつか紹介していくことにしました。
□2018年10月に開催しました京急神奈川駅から白楽ルートから

今回のルート図

谷戸にひだ状に広がる横浜の典型的な稜線越えを楽しみます。横浜の地形は、俯瞰してみると鶴見エリアを除き、多くが襞のような凸凹の連続、小河川が葉脈のようになっているのが判ります。この葉脈の一つの<稜線>を歩きました。

横浜の水系

出発駅は京急「神奈川駅」です。
神奈川駅は、京急全駅中、最も乗降客数の少ない駅で2017年統計では一日あたりの乗降客数が4,637人、お隣「横浜駅」が堂々の第一位で323,668人規模ですので
神奈川駅は70分の一の規模です。距離も近くすぐに<廃止・合理化>対象駅ですが、それでも駅を統廃合しないのは、この駅が京急にとっても、東海道の歴史を語る上でも重要な<鉄道遺産>だからでしょう。

その証として神奈川駅の外観はなかなかの風情です。
早速
神奈川駅前で路上観察的不思議発見???
沿線上 最下位の乗降客数にもかかわらず、しかも時代が電話ボクス廃止傾向の中、駅前には公衆電話ボックスがなんとWで設置。共に現役です。

さあ、ここから丘陵を越えてみましょう。
“小河川”は丘陵地から小さなわき水などが集まり少しずつ水量を増やしながら川に成長していきます。都市化された小河川はかつての<林>を失い、宅地化されることで水量を一気に減らします。横浜のように水源地から河口までが短い河川は、雨が降ると暴れるきまぐれ河川が集中しています。
小暗渠も集中しているので 観察場所としては魅力たっぷりです。
「神奈川駅」から東海道本線を越える「青木橋」を渡ります。
そこには、幕末にアメリカ領事館があった青木山「本覚寺」があります。この青木山一帯は高台を表す”台町”と呼ばれ、かつては神奈川湊を見下ろす景勝地として高島嘉右衛門の邸宅があったことでも有名です。
この丘の下をトンネルで東京急行電鉄「東横線」が走っていましたが、地下化にともない使われなくなった<トンネル>を活かした「フラワー緑道」として遊歩道になっています。
ここでは音の響きが心地よいです。

フラワー緑道

(滝の川)
神奈川区には「滝の川」という準用河川があります。現在は東海道線の橋脚より下流部分しか見えませんが、かつてはこの地域の重要な産業河川でした。河口域は中世から重要港であった「神奈川湊」となり、水運は勿論、大きな漁業拠点でした。江戸時代は「滝の川」河口東海道の「神奈川宿」であり、幕末期には開港を求められた湊です。
地形図を眺めると一目瞭然ですが、
今回のコース
栗田谷・旭ケ丘・二本榎・斎藤分・中丸・六角橋エリアは、大きく二つに別れた「滝の川」の分水嶺であることが判ります。
仮に北滝の川(六角橋方向)と南滝の川(三ツ沢方向)と分けておきます。
この二つの流れは、東神奈川スケートリンクあたりで合流します。ここにはかつて「境橋」が架かっていました。橋の名残が残されています。

二つの滝の川が合流する境橋
境橋から上流が暗渠化。右が六角橋方向、左は三ツ沢方向へ

南滝の川<暗渠>道路です。川の雰囲気が残されています。
ここから丘陵を登っていきます。
横浜市立栗田谷中学校が右手上に見えてきます。
壁際に穴を埋めた痕跡が。レンガや大理石も混じっています。震災時の瓦礫を埋めたのでしょうか?
栗田谷中学校は1949年(昭和24年)にこの場所に移転したようです。

希望橋橋脚

(希望橋 橋脚)
栗田谷中学校は 道路を挟んで校庭があったので生徒たちの安全を考えて谷間部分に橋を架けました。希望橋と呼ばれ、つい最近までありましたが、耐震構造上の理由からか、廃止され、橋脚のみ残っています。
路上考古学的にはとても興味ある残骸です。
(通信用鋼管柱)
電柱と聞くと一般的にコンクリート製のものが思い浮かびますが、地域によっては金属製の電柱もよく見かけるようになりました。道路が狭かったり、傾斜地には最近良く使われるようになっています。電柱を<路上観察>するだけでも色々発見があります。
ほとんど無くなったクラシックタイプの<木製電柱>も探しどころです。

金属製の軽量電柱

(昭和の香り)
路地裏を歩いていると、昭和に出会います。戦後横浜が急膨張した時期に、住宅街や商店街が数多く完成しました。この急膨張時代の名残が、路地裏に残っています。
神奈川区は戦前戦後を通して住宅街として成長してきた街なので、一軒一軒の住宅の佇まいを観察するだけでも、戦後個人住宅史を垣間見ることができます。
(ノラ)
野良猫の生態も地域特性を表しています。賛成反対いろいろあるでしょうが、この地域ではノラがのんびり過ごしていて、ビクついていません。地域に馴染んでいる証拠です。

(善龍寺)
宿遠山善龍寺、この地域に古くからある浄土真宗のお寺。元々は真言宗でしたが、建長5年(1253年)に浄土真宗寺院として中興されました。
新編武蔵風土記稿では
「斉藤分にあり。浄土真宗西本願寺の末寺なり。宿遠山と号す。開山のこと詳ならず。古は真言宗なりと云。本堂七間に六間半、巽向なり、本尊阿弥陀を安ず。木の立像にして長二尺五寸なり。
鐘楼、門を入て右にあり。鐘に正徳年中の銘文あり。」
この浄土真宗寺院として再興した人物が<斎藤兼実>という人物で、この斎藤さんの<知行地>を 斎藤さんの”分”ですという地名が現在でも残っているという説があり、もう一方で斎藤式部入道なる武士がこの地を治めたところから斎藤分となった!

というなかなかの時代(中世)を実感できる場所です。(それぞれ根拠不詳)
この善龍寺には「五代目一龍斎貞丈」の墓碑があります。講談と横浜の関係を知る上でも重要な人物です。
(神奈川大学付近)
少し歩くと、神奈川大学キャンパスが見えてきます。ここは隠れ通学路(東神奈川駅)らしく学生が多く歩いています。
神奈川大学と付近に関しては 色々面白いネタがあり、別テーマで紹介したいところです。
ちょっと飛ばして、
一山越えて、
「北滝の川」に出ます。ここからは細いけれども実に暗渠らしい遊歩道が、六角橋商店街の裏まで続きます。途中、暗渠ならではの階段、マンホール、壁があるので、路上観察的には発見の多い場所です。
さて、終着点六角橋に到着しました。
ここまでの行程で約4キロくらいでした。

六角橋周辺は路上観察の宝庫。路上博物館ともいえる空間です。
変な発見がたくさんあります。
スタート時のツイン公衆電話が なんと!ゴールの六角橋にも。
ここではボックスではなく、据置型でした。まだまだ需要があるんですね。

路上観察を始めると
普段は見逃しているものが<見えてくる>
路上が気になって気になって仕方なくなります。
くれぐれも事故のないように!
今回はこれでおしまい。

第942話【謎解き】吉田橋広場

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今年は馬車道150年です。
1867年(慶応3年)に「吉田橋」から関内を通り抜ける広い道路が整備されたことに因みます。
この「吉田橋」から続く<広い通り>は地元の人たちに通称「馬車道」と呼ばれるようになり、その後区画整理を経て現在の「馬車道通り商店街」となりました。 この吉田橋を渡ると伊勢佐木町の繁華街が日枝神社近くまで続きます。
もう一つ
「吉田橋」袂から斜めに「吉田町商店街」が野毛へと続きます。 この吉田橋際に立ってみると、馬車道側に不思議な空間があります。
かつて
「丸井横浜関内店馬車道館」があった場所でした。 1980年(昭和55年)に開店
2000年(平成12年)に閉店しその後高層マンションとなっています。
当時、この広い空間は丸井馬車道の敷地だと思っていましたが、その後丸井が撤退しマンションが建つ計画が公表された時に、この空間が公共の土地であることがわかりちょっと驚いた記憶があります。

一方、伊勢佐木口側は昔、馬車道側より広く長い広場(広い空間)がありましたが今は無くなってしまいました。この広い空間には一時期運河沿いに「警察署」が建ちその後デパートが伊勢佐木のシンボルとなった時代があります。この<不自然な>広場は共に、関内に街路が整備された頃から他の道路とは異なり、誕生しました。なぜ?ここに広場のような空間が存在したのでしょうか?
私の結論から先に紹介します。
吉田橋<関門>あたりはかつて関内外の主要関門であったため、交通量が多く関門周辺に<滞留空間>が自然と出来上がったのだと推理しました。

場所を馬車道側に戻します。
この空間について資料を調べるキッカケとなったのは一枚の写真でした。
最初に紹介しましたように、馬車道側に明治期から現在まで不思議な広場が存在していたことは、過去の風景写真によって明らかです。明治期の地図でも明確にこの空間が示されています。慣れとは恐ろしいもので、何度となく見ていたはずの<この空間>の不自然さに全く気が付かなかったのです。

偶然入手したこの一枚の写真、裏面のメモから1953年(昭和28年)頃に撮影されたと思われます。
街路樹のエッジに白い像が建っています。ロダンの考える人をイメージさせる腕を曲げ顎を支えているかのようなポーズです。
戦前の風景には見当たりません。
終戦直後の米軍進駐時の写真にもありませんでした。
戦後復興期に短期間設置されたようです。
何故短期間かというと、1958年(昭和33年)5月8日の写真にはこの白い像が別のものに変わっていたからです。この年、開港百年祭が行われ、その時の様子が広瀬始親(ひろせもとちか)氏が記録していた写真集に収められていました。ここにはトーテムポールようなものが設置されています。
再度、白い像のある写真を拡大してみると背後に石燈籠のようなものも二基設置されています。
馬車道の老舗で伺っても記憶に無いとのこと。
まだ この謎は解けていません。

第941話【路上観察】よこはま雨枡10景

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横浜限定の路上観察を楽しんでいます。
路上観察には様々なテーマがありますが、
道路の<蓋>探しは横浜が最高!と勝手に思っています。
路上の蓋、一般的には丸型と角型があります。

角型消火栓

NTTハンドホール

港湾局丸型

昔は地下設備に人が入り点検や修理を行うための<穴>を人孔=マンホールと言いました。今もマンホールという単語は使われますが、路上のインフラ用の蓋全般をマンホールと言っている場合もあります。
人が入ることを想定していない<蓋>はマンホールに対しハンドホールと呼ばれ多くは<角型>です。
では何故<人孔>人が出入りする穴の蓋は丸いのか?
ホールキャップが丸いと作業中間違ってキャップが穴の中に落ちることが無いからです。
これ 飲みネタ 朝礼ネタにナリませんかね!

路上の蓋で気になるとすぐに発見できるのが雨水桝です。
市内至る所にある雨水枡には「市章ハマ菱」がデザインされています。

市章

雨水枡は一般道路に設置されています。
<雨水>を地下の下水溝の集めるための装置で、都市生活には欠かせないインフラ部品です。この穴に上を人や車が通れる安全上の蓋をします。これを<雨水桝>といいます。
横浜オリジナル雨水枡を紹介しましょう。
上の二種類、同じように見えますが、その違いわかりますか?枠の太さが異なります。上は細く下よりも古いバージョンだと思われます。

上の二種類は横の支棒が三本と四本で、大きさも異なります。

雨水桝色々あるでしょ!

路上観察横浜学(マンホール編)
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?page_id=5376

第939話【番外編】横浜のクリスマス

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以前、”クリスマスツリー”の歴史に関して少し調べたことがあります。
日本でクリスマスツリーが飾られたのはいつ頃か?
調べると意外に難しく、ネット上の出典なしネタが多くあり、本腰を入れて出典を調べる必要に迫られましたが、諦めました(笑)。
簡単にまとめると
クリスマスツリーのルーツは諸説ありドイツから始まったのが有力でした。

1.ボニファチウス説
「8世紀のドイツ、樫の木を崇拝する人たちが子どもを生け贄に捧げていました。ドイツの使徒と呼ばれた聖ボニファチウスはこの風習を止めさせるためにオークを切り倒すとき、奇跡が起こりキリスト教の神の力が彼らの神よりも強力であることを示してイエスキリストこそ真の神であることを説いたことに由来。
2.三位一体=三角=樅の木
キリストの三位一体の象徴
3.ユール原型説
北欧に住んでいた古代ゲルマン民族の「ユール」という冬至の祭で使われていた樅の木
は冬でも葉が枯れない生命の象徴。
4.「旧約聖書」の創世記の舞台劇
「中世のドイツでは、イヴに教会の前でキリスト降誕祭の序幕として、楽園におけるアダムとイヴの堕罪の物語を演じる神秘劇が行われていた。」
この<禁断の果実>がなる木を舞台に立てたことに由来。

キリスト教伝来の頃はおそらくツリーは無く江戸時代には長崎の出島ではオランダ商人によって密かに「唐人冬至」を模した「阿蘭陀冬至」としてクリスマスを祝ったそうです。 
時代を近代からとすると幾つか文献がでてきました。
(ドイツ流)
1860年に通商条約締結のために来日していたプロイセン王国使節であったオイレンブルク一行が公館で飾った記録が残っています。

オイレンブルク一行

残念ながら横浜ではなく江戸の赤羽根のプロイセン王国公館でのことでした。
「随員の中の二、三人のクリスマスの準備を依頼した。何よりもクリスマスツリーを立てることが先決だったが、日本で木を一本切り倒すのはいつでも難しいことであった。しかも本当の樅の木は江戸にめったにない。それでも木はぜひとも必要である。(中略)ついに馬にまたがり、何マイルも先まで乗り回してありとあらゆる植木屋を探してやっとすばらしい一本をみつけてきたのである。」
これからが大変だったようで、準備の様子も細かく描写されていますが略します。
「準備そのものがまるで祝典だった。五人の水兵がそのために働いた。(略)すばらしいクリスマスツリーは天井まで届くほどで、オレンジや梨がたくさんそれにぶるさがっていた。」
※冬に梨がたくさんあった?のはいささか疑問ですが
当時、クリスマスツリーで飾り、抽選会などを行いお菓子を振る舞うドイツ流スタイルはゲストとして招かれた英国の将軍ホープ・グラント、領事オールコック、駐日アメリカ総領事館のヒュースケン他のゲスト達も驚きの様子が記されていました。
「オイレンブルク一日本遠征記」より
では、日本人によってクリスマスパーティが行われたのは何時ごろかというと、
1874年(明治7年)に実業家の原胤昭(たねあき)が築地にあったカロザースの妻ジュリアの女学校で開かれたクリスマスパーティーで日本最初のサンタクロースが登場、飾ったのが最初と言われています。
横浜が舞台となったクリスマスツリーの登場は、
1886(明治19)年12月7日
現在クリスマスツリーの日となっている12月7日のこの日
明治屋が横浜で外国人船員向けにお店でクリスマスツリーを飾りつけたそうです。
この日が1886年が日本初の「クリスマスツリー」だ とする説もあるようです。

本町通り明治屋

1900年(明治33年)に明治屋が東京銀座に進出すると、銀座のお店でもクリスマス飾りが広く行われるようになり、広く商店などのデコレーションに繋がったようです。
少し遡ると
1868年(慶応4年)に出された運上所の取り決めの中で、
開港場の休日が、4月7日、5月15日、7月7日、7月15日、8月1日、9月9日の他に、西暦の日曜日そして クリスマスの日が設定されました。
1879年(明治12年)12月には
海岸教会で日本人初のクリスマスの儀式が行われたという記録が横浜市史稿にあり、いち早く教会が建てられた横浜でも”クリスマスミサ”が積極的に行われたようです。
さらに横浜歴史年表でひろった<クリスマス>
1951年(昭和26年)12月19日
日米合同でクリスマス・デコレーションのコンクールを開催する。
1970年(昭和45年)12月23日
横浜公園体育館で市民クリスマスフォークダンス開催。

No.413 あるドイツ人の見た横浜
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=164
【番外編】今日はクリスマスツリーの日?
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=245
<クリスマス風景 クリッピング>

第937話【市境を歩く】川崎市境0その2

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■今回は川崎・横浜市境パート2
かつての日本橋を起点に横浜港に至る国道一号線、現在の国道15号線を越え
いよいいよ「京浜運河」に入ります。国道15号線の市境には、恐らく大正時代に改修された時に建てられた<東海道>の道標がひっそり建っています。国道を越え、平安町(横浜側)と池田町(川崎側)を進み、市境にある京町小学校脇から南下、このあたりはかつて大きな船溜まりがあり、「京浜運河」として日本鋼管他近隣の産業運搬船が利用していました。
現在、河口域の白石橋まで暗渠化しなごりは<電信柱>に残されています。
京浜運河の歴史は古く、
1910年(明治43年)に京浜運河の発起人会が作られ
1917年(大正6年)に京浜運河株式会社が設立されます。
代表は川崎の工業化を推進した浅野総一朗で、周辺埋立に伴う河川や工場用水の排水路及び運搬水路として整備されました。 排水路でもあったため周辺の海苔養殖事業者からは湾岸汚染を抗議する運動も起こりましたが1936年(昭和11年)に「京浜運河」埋立計画が発表されるなか、
内陸部の京浜運河は暗渠化し、
現在は、遊歩道(京町緑地)として整備されています。
途中には横浜市と川崎市が共同で設置した市境モニュメントがあります。
かつて運河だった遊歩道(京町緑道)の両側は工場が密集していましたが、移転・廃業等の跡地は大型のマンションとなり、住宅地へと変貌し続けているようです。
京浜運河は、途中大東町から横浜市側になり末広橋近くで開渠化し旭運河となります。
高速道路「横羽線」と下を走る「産業道路」の通るあたりには
「汐入」「寛政」「新田」といった江戸時代の海岸線を想像させる名前が残っています。
横浜市鶴見区寛政町の寛政は江戸時代の寛政年間に湾岸干拓が完成し年貢を収めることができたことからこの名が付いたといいます。
川崎市川崎区田辺新田は
田辺家により天保年間に開拓が行われ、このエリアのあざなとなり現在の地名になった場所です。市境の橋は白石橋。
市境に架かる「白石橋」から海へ続く「境運河」の先は大工場地帯となっています。市境のゴールは湾岸沖です。この先簡単に市境は歩くことができませんので
市境歩きはこれにて終了。

第936話【市境を歩く】川崎市境0

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街には国境ほどではありませんが行政の境界があります。
地域民にとって境界は別段関係ありませんが時にこの境界が市民生活に影響してきます。
街は何故ここに境界を設定したのか、
謎解きをしながら市境を歩くと、横浜が見えてきます!
市境の基本はおおよそ地勢の影響を受けています。
・川筋
(主に境川あたり)
・尾根筋
(北部と南部)
※隣接自治体は
川崎市・東京都町田市・大和市・藤沢市・鎌倉市・逗子市・横須賀市

■今回は川崎・横浜市境
スタートは尻手駅です。

尻手駅

尻手

ここから川崎市境を湾岸まで南下します。
横浜と隣接する自治体は川崎市です。
ちょっと余談から、
市境際のJR南武線「尻手」駅は川崎市で、
お隣の「矢向」駅は横浜市に位置しています。
横浜市域に南武線の駅があることちょっと意外ですね。
■拡張競争
横浜市と川崎市の<領土獲得>はドラマのような歴史があります。
元々、明治期までは広く橘樹郡でした。その後川崎市と横浜市が拡大するにつれて周辺村域を合併し市域拡大を繰り返し最終的には二分します。
今回歩くのは
橘樹郡田島村→1927年(昭和2年)4月1日に川崎市
橘樹郡町田村(潮田町)→1927年(昭和2年)4月1日に横浜市
この境です。
前述の通り、JR南武線「尻手駅」は横浜市に食い込むように<川崎市>です。
資料を精査していないので憶測の域をでませんが、
南武線尻手駅の開業は
1927年(昭和2年)3月9日で、
同年の
1927年(昭和2年)4月1日に市境が確定します。

昭和18年尻手駅界隈

駅をめぐってもやり取りがあったとしても不思議ではないでしょう。
鉄道は地域にとっても重要なインフラですので、駅際の<境>を正確に線引していくなかで、我が市に駅を!という作用もあったと思います。
尻手駅の<尻手>の名も
橘樹郡鶴見町大字市場字尻手の”尻手”から採っていますので、横浜市に編入された市場村・矢向村の字名でした。<尻手>命名にも当時はいろいろあったのかもしれません。
<市境>も<いさかい>のネタであることは間違いありません。
川崎市とは大騒動になった日吉村顛末もありました。
No.91 3月31日 自治体国取り合戦勃発
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=526
尻手あたりから、海岸にかけてかつて<用水路>だったので、正確には川筋境に市境が生まれたといえるでしょう。古い地図では尻手駅脇に川筋があり最終的には京浜運河に流れ込んでいた(いる?)ようです。(上図)
尻手近辺にはいたるところに水路や池、沼地を確認することができます。
今回の市境旅もある意味
<暗渠旅>といえるでしょう。
尻手駅界隈は東西で表情が変わります。東側は川崎市幸区、駅前の西口通り東方向に900mで、川崎駅に出ます。川崎駅西口は東芝などの企業が集中するエリアでしたが、西口ラゾーナなどが登場し一気に商業集積地に変貌しました。
一方、西エリアは南武線に並行してJR貨物線(現在横須賀線)と鶴見川があり、住宅地と中小事業所が密集する地域です。
南武線(本線・支線)に沿って流れていた用水路に沿って市域となっています。
南武線本線と支線、東海道本線の挟まれた三角地帯には
川崎市堤根処理センター(川崎市堤根処理センター発電所)があり、ゴミ焼却エネルギーの再利用が図られています。予熱は隣接する「ヨネッティー堤根」に供給されています。市境はJR東海道(並木踏切)を越えます。用水路は全て暗渠化していて、一部名残が残っているだけです。さらに南下し京浜急行を越えるあたりで少し市境が複雑に変化します。京急の踏切近辺には横浜市と川崎市、両市境を示す道標が設置されています。

横浜市側

川崎市側

一本で両市を示している珍しいの道標の一つです。
市境は第一京浜、国道15号線に向かいます。
第937話【市境を歩く】川崎市境0その2
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=11168
につづく

第914話【横浜路上観察】の手引

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私は横浜の路上を意識的に観察し始めて10年、
一昨年からは仲間を集めて横浜路上観察学会なるものも始めました。
このブログでは殆ど紹介していなかったので、これも横浜の一風景ということでこのブログに紹介することにしました。
路上には<意図しない>歴史の痕跡があり、
<意識しない>街の記号が存在します。

<意図しない><意識しない>風景に意識を向けると、新しい街の姿が見えてきます。
私達の視覚は不思議なことに、不用な<記号=風景>は視野から消えます。
視線は向いていても見ない風景があるのです。だから日常生活があるのですが、逆に意識するとこれまで見えてこなかった視野に新しい風景や記号が見えてきます。
簡単な例が<マンホール>です。多数の人が往来する足元に存在する<マンホール>を意識して歩いている方はほんの一握りの方です。大多数の方にとって、<マンホール>は道路の一部であり一々区別し認識する必要がありません。
ところが、一度気になり始めると、この世界に引きずり込まれます。
私は横浜市内だけに留めていますが、300種類を越える異なった路上の蓋が公道には設置されているのです。丸型、角型の二種類が基本です。マンホールはその名の通り丸の形で<人孔>と訳されています。人が点検や修理のために地下施設に入ることを想定した路上の蓋のことです。一方「ハンドホール」という路上の蓋もあります。「内部寸法の大小に関係なく、工事完了後の保守作業に際して作業員がその中に入ることを想定しない。(そのため手穴「ハンドホール」と呼ばれるらしい)」
また、単純に雨水などを下水溝に流し込む「雨枡」の蓋もあります。
路上の蓋、デザインで区別すると
横浜市オリジナルの「ハママーク」のついたものと全国規模のインフラ用の共通デザインのものまで多様にあります。
区や、通り、商店街用オリジナルもあれば 今年優勝した「ベイスターズ」バージョンもあります。
デザインで追いかけると
同じ機能のものでも表記文字(字体)が異なったり、大きさや文様が異なっているものも多くあります。
■追いかけない(ハンティングしない)
路上観察の基本として、私は<マンホーラー=マンホールハンター>ではないので、自らマンホールを求めて探し歩くことをしません。もっと欲張りで、路上の他の<痕跡><記号>を歩きながら観察し発見したいからです。
私の場合、まず場所(スタート)を決め、ある一定時間ぶらぶら歩きながら路上を観察していきます。するとどの街でも、沢山の発見があり一定時間を歩くと<痕跡>と<記号>が山のように出てきます。
これが正しい方法ではありません。それぞれ個人流があって当然です。
しっかり目的を持ってハンティングすることも路上観察の楽しみ方の重要な方法です。
関心の無い方や地元の方からの<奇異の目>に晒されることは覚悟しておく必要がありますが。
でも、それを越える<楽しみ>が路上観察にはあるので辞められません。
■風景を見るのではなく見えてくる風景に反応する
禅問答のようですが、あるがままに風景を見るとあるがままに風景は見えてきます。図と地が逆転したり、意識していなかった痕跡が突如登場してくるのです。
路上観察は私に向いている<趣味>だと実感しています。
私はどこでも観察場所を選びません。どこの道でも歩くのが好きです。街なら所を選びません。「ダーツの旅」みたいに何処に行っても、その地域で少なくとも数日はじっくり歩き回ることを愉しむことができます。
先日も、多くの方々と山梨にぶどう狩りに行きました。その時も、時間の合間をヌッて、ぶどう畑の狭間に寂れた神社があることを発見ししばし観察してきました。
特に日本国内の路上観察は
地域性の差異が均質性の延長線上にあるため、私には面白いのかもしれません。
■電柱とバス停
古い地名、地図にない地名を「電柱」と「バス停」によって発見することが多くあります。路上と云いながら、見上げることも多々あります。
電柱には昔二種類あって、電力を伝える「電力柱(でんりょくちゅう)」、そして電話回線をつなぐ「電信柱(でんしんばしら)」です。
かつて、といっても戦前明治・大正期ですが この二種類は管理省庁が異なったこともあり道路の左右をあえて別れて配線されていました。電力と電信が道路左右に別れていた訳です。それが現在では共用していますが、
<柱>によって電力会社管理とNTT管理と異なってるのもわからない風景の一つです。
※見分ける方法もあるのですが   ここでは内緒。
電柱には<座標プレート>が付いていて名前と番号で管理されています。この管理名が電力会社(関東では東電)と電信会社(NTT)ではほぼ異なっています。このプレートを読んでいくのも路上観察のスパイス的楽しみです。
バス停ですが、停留所名は意外に昔の名前を保持しているケースが多く、かつて川だったところに橋名が残っていたり、無くなった施設名も残っていたりもします。
(つづく)

第874話【よこはまモノクローム】

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■「猥雑な裏通り」<猥雑>という言葉
いかがわしく感じることがあるのは
猥に褻がつながることがあるからだ。
私は「猥雑」さに安堵感を持つ。
猥雑とは日常と非日常の隙間に似ている。
実は最近の横浜中華街には失望感がある。
奇麗すぎる。
この街は 裏通りが 心地よい。

■ホテルから結婚式場へここはかつて「オリエントホテル横濱開洋亭」だった。
現在、「横浜 伊勢山ヒルズ」という結婚式場に。
ここに建つ際に<景観>が問題なったという話は聞かない。

■呉越同舟
尾根歩きの時 良く
移動通信の中継局に出会う
尾根は通信条件が良い。
もう一つ、市街地では中々中継塔を建てるのが難しなっていることもある。
画像は
KDDIとDocomoだった。
デザインが違うのは 何故だろう。

■今も
二十年前にもあって、今もあり。
いたずら書きは永遠!?

■鉄道道
野毛には不思議な道がある。
かつて湘南電気鉄道が桜木町駅に向かう用地だった名残の三叉路だ。
地図を眺めると
二本の並行した独特のカーブが鉄の香りを漂わせている。

■食の力
正確なデータは知らないが
横浜中華街は世界最大の料理の街だろう。
入れ替わりも激しい。
これが中華街のエネルギーに違いない。

■観覧車
昨年、LEDに仕様変更された<大観覧車「コスモクロック21」>
久しぶりに裏側から観た。
この場所は夏場に通ることが多く、木の茂みに遮られこの姿をあまり意識していなかった。
賛否はあるようだが、このエリアで記憶される観覧車は休日賑わう「よこはまコスモワールド」の中心施設である。
全高112.5メートルの観覧車は
ランドマークタワー展望フロアとともに 街を俯瞰する最高の空間になっている。
たまには見上げる経験も良いものだ。

■カタカナ作品
ランドマークタワーとクイーンズスクエアを繋ぐ回廊に
一度観たら忘れないオブジェが建っている。
「モクモク・ワクワク・ヨコハマ・ヨーヨー」
最上 壽之の作品。
1981年に第12回中原悌二郎賞の優秀賞を受賞した作家で、
ドンドンドンドン
ボクノムコウニ ボクガイル
ワクワクワクワク
といったカタカナタイトルが特徴だ。

■黄昏の街
モノクローム写真に魅せられた最近、
黄昏時の街中を撮るのが楽しくなっています。
中でも、パチンコ店の外観は面白い。

■大通公園
運河の街だったこの街の吉田川が今、緑深き公園通りになっている。

■2つの路地
偶然撮った二つの路地。その奥の風景のために押したシャッター。

■大繁忙期。
今日は例年に比べて 好調だそうです。

■冬入道
季節を告げなかったら、真夏の風景に見える。
その意味で季節のない街に生きているが異常続きだ。
この異変が 糸魚川の大火となってしまったのだろう。

■野毛を支える!!!
ことばは面白い。ことばは使う人に関係なく光っていいる。
■誰もいないビル
まだまだ変化し続けるみなとみらい。
このビルのイルミネーションは竣工間近だからできたのだろう。
■師走
紅葉坂を下ると、根岸線の橋梁の奥にみなとみらいのビル群が並ぶ。
■横浜水道境川水路橋
相模川寒川取水堰から引地川・境川を越え、小雀浄水場へと水を運んでいる。知らないと鉄道橋のように見える。まるで水の高速道のようなものだ。
相模川から取水した水は 横須賀と横浜南部の水源となっている。
■送電線の世界も奥が深い。■ここどこ?
いつも歩いている道すがら。改めてその風景に驚くことがある。

第872話【市境を歩く】川崎市境1

Published / by tadkawakita

市境の基本は
・川筋
・尾根筋
・道路筋
※横浜市境を歩くと横浜が見えます!
今回は川崎・横浜 市境その1

ポイント1
<川崎市下麻生3丁目>
<青葉区寺家町> ●川筋
鶴見川の市境はごく一部です。
横浜市域の北部を流れ東京湾に至る<鶴見川>は一級河川ですが、市域を分ける”境川”となっているのはごく一部に限られています。
何故、暴れ川鶴見川が市域を分けないのか?
一方で、横浜市域の西部は二級河川<境川>によって多くの部分で分かれています。
このエリアを流れる鶴見川上流は恩田川との合流点までを「谷本川(やもとがわ)」とも呼ばれています。

ポイント2
<川崎市麻生区早野>
<青葉区寺家町> ●「寺家橋」
横浜市の西北部に広がる寺家(じけ)は、都市部に貴重な里山が維持管理されているエリアです。寺家エリアの多くは「東京都町田市」と接しています。(別レポートで紹介します)
このエリアは寺家ふるさと村(じけふるさとむら)と呼ばれていますが、
鶴見川に架かる寺家橋は「じげはし」と知って、少し驚きでした。

ポイント3
鶴見川「河内橋」(かわちはし)付近
横浜あおば霊苑 ●尾根筋
短い<川筋区間>に終わりを告げ、長い尾根筋市境ルートに入ります。
横浜市市域と川崎市域の境目の多くが<尾根筋>です。途中、一部を除いて港北区の日吉エリアあたりまで尾根歩きが可能です。
横浜と川崎の<境>がどのような自然条件で決定したのか、地理学的にも面白いルートと言えるでしょう。

ポイント4
●尾根筋
★★★ ここは ちょっとマニアックですが、おすすめです。
横浜市境ルートで最も”ケモノミチ”のような尾根筋ポイントがここです。
横浜の市境には南部に公田や朝比奈エリアがありますが、
この道も負けず劣らず ハイキングコースになりそうな<縦走>体験ができます。

ポイント5
●尾根筋 かなりブッシュを掻き分けないと前に進めない道でした。
草刈りの予定でもあるのか、白いビニルテープが市境に張られていました。
地面の市境道標は
まるでヘンゼルとグレーテルの<パンくず>ような感じでした。

ポイント6
●尾根から道路へ ここは川崎市と横浜市にまたがって開発された住宅地。
川崎側 虹が丘
横浜側 すすき野
1970年代〜1980年代に開発・分譲され、両市で土地区画整理事業が進められました。
横浜市青葉区すすき野は、
鉄町、黒須田町、元石川町から新設されたエリアです。
最寄駅は東急田園都市線あざみ野駅または小田急線柿生駅で、エリア中央に東急SCがあります。

ポイント7
●市境の奇妙 このポイントには不思議な段差がありました。
市境にある「すすき野二丁目北公園」(すすき野二丁目8−5)
面積5,000m2
公開1984年1月25日(S59年)
公園横に隣接して 広い道路があります。
この道路には車止めがあり車両は侵入できません。
これは良くある道路使用のスタイルですが
一般道とつながる交差点に段差がありました。

(川崎2につづく)

No.442−2 「路男」君の愉しみ(2)

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最近「ローカルバスの旅」系のテレビ番組が多いようです。
実際見ていないので構成までコメントできませんが、
超人気番組ではなさそうですね。
にも関わらず なんで似たような番組が…
直ぐに疑う私の悪い癖です。
国交省のキャンペーンですかね?

と前フリをしたのは
私は昔から 路線バス大好きの「バス男」君系でもあります。
鉄道趣味系「乗り鉄」に相当します。
通勤以外でぶらっとバスを楽しむ“輩”はかなり少数派です。
理由の一つに
バスの利用が結構面倒だということ。
まず 道路事情に依存しますから 運行時間が読めないという不確実性を愉しめるかどうか?
また 運転手(全国殆どワンマン化)から
冷たい視線を受ける場合がある!
日常乗り馴れた乗客しか相手にされていないような感じが多々あるのです。
※近年行き先を尋ねることは激減しましたが、乗り方に戸惑ったときの面倒くさそうな運転手の態度にぶち切れそうになるときが マダあります。
かなり改善されましたが。

(バス停)
全国バス停探しをしている訳ではありませんが、鉄道に比べてバス停は個性的(バラバラ)です。掲示している情報のデザインも千差万別です。

横浜市内でも、電子掲示から従来のプレート表記まで何種類かあります。
時刻表やルート案内も共通表示のバス停と、バス会社独自のものが混在しています。
 バス停の時刻表表記 字が小さい!年寄りにはかなり負担。
 バス停の表記で<次の停留所>表記が小さい場合が多い。
 同じ場所で、会社毎にバス停があり微妙に位置が異なる。(激減してはいますが)
 
(バスターミナルの不便さ)
全く初めて訪れるバスターミナルの判りにくさはバス利用の“宿命”です。
横浜駅は西口も東口も予め乗り場を確認してから移動しないと大変です。
横浜駅西口は バスターミナルが二カ所に別れています。
横浜駅東口は 乗り場案内が判りにくい。ので昼間は係員がいます。
判りにくさNo.1は「桜木町駅」バス乗り場だと思います。

飛び地のような探しにくいバス停

(乗車方法・料金)※大人の場合
横浜市内は「前乗り前払い後降り」しかも210円均一料金です。
川崎市内は、200円均一「前乗り前払い後降り」
神戸市内は、200円均一「前乗り前払い後降り」
京都市内は220円でバス・バス乗継というのがあります。大人350円

全国的には「後乗り後払い前降り」が圧倒的に多いのですが、
均一料金や先払いに慣れているとつい間違って車内でトラブルになることもあります。

(整理券)
最近「乗車カード」「ICカード」を利用できる路線が都市部では増えましたが、まだまだ整理券方式の路線が主流のようです。
この整理券、最近はバーコード読み取り式になってきました。
(その前にIC化したほうが合理的と思うのですが)

(他社乗入れ)
横浜市民としては、この課題が一番です。
一つの路線に複数の営業会社が走っていることが多く、しかも微妙にルートが異なるため、思わず乗り間違いを起こすことがあります。何時も乗り馴れている(常連客)には普通の出来事のようですが、初めて利用する者にとっては戸惑うことがあります。しかも、バスルート案内は運行会社毎なので、立体的な複数社を使った乗換のための下調べが難しいのです。「駅探」ならぬ「バス探」はできないのでしょうか?
http://www.kanagawabus.or.jp
各社のバス時刻をまとめて調べるには最適ですが、乗り継ぎ調査はできません。
一昨年、バス路線マップが発行されましたが、売れ行きが悪く新版は“おそらく”出ないでしょう。私のような「バス男」君系には必需品なんですが。


横浜市内を運行するバス会社は12社あります。
●横浜市営バス
●神奈中バス
●東急バス
●江ノ電バス
●相鉄バス
●京浜急行バス
●小田急バス
●川崎鶴見臨港バス
●川崎市営バス
 溝25系統 溝口駅前〜高田
●フジエクスプレスバス
 桜木町〜本牧循環
●大新東
 金01・02系統 金沢文庫駅〜レイディアントシティ
●横浜交通開発
 61 系統・117系統 他 横浜市営バスルートの管理(運行)受託路線

同じ名のバス停があります。最初間違いか?と思いましたが実際にあります。
二カ所に「滝頭」

基本、最初にも触れましたが
ローカル路線バスを“ぶらり”乗ることがレアケースなのです。
横浜市内でも「バス乗継」割引が「ICカード」等で可能になると嬉しいです。
同日に二回違う路線を乗り継ぐと420円が350円になるとか。
一日乗車券は現在も発行されていますが、市営バスだけです。
http://www.city.yokohama.lg.jp/koutuu/kyoutuu/ichinichi.html#bus1
エリア内フリーチケットは
☆横浜1DAYきっぷ(京急電鉄)
京急線フリー区間、市営地下鉄・市営バスフリー区間、みなとみらい線フリー区間を組み合わせた一日乗車券
http://www.keikyu-ensen.com/otoku/otoku_yokohama.jsp

☆みなとぶらりチケット
http://www.yokohama-bus.jp/burari/index.html

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