No11 1月11日(水) KAAT開場

平成23年(2011年)のこの日、山下町281番地に神奈川芸術劇場(KAAT)が開場した。この場所は、エピソード満載だ。昭和初期外国人向け高級アパートヘルムハウスが建ち、終戦で進駐軍が接収、高級将校用宿舎、県警本部の分庁舎を経て県庁の分庁舎別館となった。老朽化でが取り壊された後、イワクツキの「ドームシアター(横浜21世紀座)」が建ったがわずか4年9カ月で閉鎖。県はどうしても劇場が欲しかったのかそれとも“あてがはずれた”のか今もって謎である。

神奈川芸術劇場は地上10階地下1階で、隣接してNHK横浜放送局が建つ。
高さ約30mの開放的な空間が広がる劇場へのエントランスは圧巻。
「演劇、ミュージカル、ダンスなどに適した最大約1,300席のホール。高度な演出プランに対応できるフレキシブルな可動客席を有し、舞台から客席までの視線距離を最大25m程度と抑え、快適な鑑賞環境でお楽しみいただけます。客席可動客席(一部)最大約1,300席(標準勾配)」
確か芸術監督に宮本亜門さんが就任している。
幅 允孝がディレクションした劇場図書館BOOKAAT(ブッカート)もこれまでに無いホールマネジメントとして注目される。
この場所を語る以上、かつてのヘルムハウスのことは押さえておきたい。
Helm House Apartment 1938(昭和13)年チェコ人の建築技師スワガー(原音ではシュヴァグル)によって作られた外国人向けアパートである。関東大震災後外国人のための共同住宅として建てられたものが幾つかある。エリスマン邸の斜向かいに建つ山手234番館、県民ホールの山側に建つインペリアルビル、山手89-8番館等々。
中でもこのヘルムハウスは酷使(かなり愛用?)された建造物だ。シュヴァグル同じチェコ人建築家のアントニン・レーモンドの設立した米国建築会社の一員として来日、ヘルムハウスの他 紅蘭女学校(焼失)、カトリック山手教会(1933年)、聖路加国際病院(1933年)など多数の作品を残している。
(写真ちょっとまって)
一方このアパートメントのオーナー、ヘルム兄弟社は明治初期から運送業を横浜で営み、後に洗濯業やドッグの運営など多角的経営を展開し財を成した。昭和に入って、外国人向けのアパートのニーズが高まる中、このヘルムハウス経営をはじめた。
内観は見ていないが、意見平凡そうに見えるが外観は採光を工夫した設計になっているのが特徴だろう。
もうひとつ、この神奈川芸術劇場敷地の一角に「神奈川県指定重要文化財建造物 居留地48番館」の遺構が残っている。建物内は立ち入れないが外観は見ることができる。1883(明治16)年建築で、横浜最古の洋風近代建築といわれるものだ。
J.P.モリソンが日本茶の輸出やダイナマイトなどの外国商品の輸入販売をしていた建物として使われていた。建築的な見どころはフランス積み(フランドル)の工法による建造物であること。結構珍しい。

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