場と座(書きかけ)

コミュニティの有り様を「場」と「座」というキーワードで考えてみる。20110822
コミュニティには「場」的な性格と「座」的な性格がある。
視点1
「場」は開放的であり
「座」は閉鎖的である
あるコミュニティに関わった時、その空間を「場」と見るか「座」と見るかで自分のスタンスが変わる。例えば
商店街は場、商店会は座だ。といえる。
商店街は来訪者に開かれているが、その運営に関わる商店会は外から見え難い。が商店会に行政や、まちづくり応援者、利用客が関わってくるとそこにまた「場」と「座」が生まれる。
美術館は場、美術界は座だ。とシンプルに捉えることができるが 状況はそれほど単純ではないことは 社会経験から理解できる。

家庭には「場」と「座」が共にある。地域にも「場」と「座」が混在する。図と地のような関係性でもあり、部分と全体の関係性でもある。特に近年、まちづくりという行政的手法の中にも、「場」と「座」の混在がある。新しい公共もまさにこの「場」と「座」のありかた論だ。公と私という分類ではなく 行政と市民の関係性を「場」と「座」で考えていく。
90年代から顕著になってきた恊働という考え、第三の選択(アンソニー ギデンズ)も方向軸を換えれば同様の視点ではないか。
そこで関心が出てきたのが「アフォーダンス」だ。アフォーダンスのキーワード
肌理こそ「場」と「座」の記号ではないかと 理解する前に直感している。(まだ思い込み)

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