2013年8月13日(火)酷暑は続きます。
世の中は“お盆休み”ですね。
私は、8月2日(金)に目の不具合を感じ近くの眼科医で
「緊急入院」を告げられ 約10日間入院しておりました。
この間、雪隠詰めでしたので いろいろ思いを巡らせてきました。
ブログの【再開です】
現在仕込み中のネタを少し予告しておきます。
【北海道を繋ぐ点と線】プロローグ
横浜が育てた多くの商人達からベストを選ぶとしたら?
視点で変わりますが
波瀾万丈といえば
中居屋 重兵衛と高島嘉右衛門でしょう!
さらに加えれば田中平八ですが、中居屋 重兵衛と高島嘉右衛門の二人を越える商人はいないでしょう。
共に、一時期“横浜市”では不人気のようでした。中居屋 重兵衛は目下基礎資料を読んでいる途中です。
今日は、「高島嘉右衛門」から横浜が繋ぐ“点と線”のプロローグとします。
彼に興味を持ったのは、今から三十年位前でした。
高島嘉右衛門は、業績の割に横浜で“無視”されている感じがしたからです。
近年、高島嘉右衛門の遺族から(ようやく)資料が公開されました。
※現在開港資料館で整理分析中です。
中居屋 重兵衛は謎だらけであまり横浜開港史に登場しませんが、彼の出身地群馬ではかなり研究されています。
一方中居屋 重兵衛に対し、高島嘉右衛門は謎よりあまりに活動領域の広い史実に
研究者も二の足を踏んだのかもしれません。
また、一時期 社会問題にもなった「高島暦」の創始者だったからでしょうか?
彼 高島嘉右衛門は 例えば清水の次郎長、佐賀鍋島藩主、福沢諭吉、伊藤博文らと関係がありました。
伊藤博文とは最終的に姻戚関係になります。
北は北海道とも深い関係があります。
次号の「ブログ」はこの辺から始めたいと考えています。
幕末明治を生き抜いた政商「高島嘉右衛門」にとって多角事業のほんの一部でしかなかった「北海道」での事業から見えてくる小さな物語を紹介しましょう。
北海道もまた 横浜に似た 幕末以降波瀾万丈の開拓史を残した地です。