【横浜の国道】133開港の道物語  

投稿者: | 2015/04/20

目下横浜市内の国道を巡っています。横浜市内の国道は
1号、15号、16号、133号、246号、357号、466号があります。
かなり昔ですが自動車では市内全て走破しました。通過しただけですが。
さらに自転車では246号・357号の一部を除いて全て踏破しました。357号は厳密に言うと自転車では走行できない専用道が含まれているからです。466号は第三京浜なので自動車のみです。
246は自転車走行には適さない!道ですね。
今日はこの中から「国道133号」を紹介します。

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(国道133号)
全国数ある『国道』の中で、横浜市内に起点と終点のある超短い国道が133号線です。
総延長は1.4 kmで、歩いても2〜30分
「国道133号」一般国道の路線を指定する政令に基づく起点が横浜港なんです。
横浜港といっても横浜市内における横浜港といったら?
「大さん橋」です。
「国道133号」はこの大さん橋に入る交差点「開港広場前」が起点になります。

133起点

そして終点ですが、住所では横浜市中区桜木町一丁目(桜木町一丁目交差点)にあたります。
「開港広場前」から「桜木町一丁目交差点(JR根岸線鉄橋下)」までが国道133号線。
全国ランキングでもベスト5に入る短い国道の一つです。
国道174号(0.187km)
国道130号(0.482km)
国道198号(0.6km)
国道177号(0.7 km)
国道133号(1.4 km)
これらの短い国道に共通するのが、港から基幹(主要)国道まで繋がっているということです。港国道(みなとこくどう)と呼ばれています。
「国道133号」の歴史は古く、
1876年(明治9年)6月8日に出された太政官達第60号「道路ノ等級ヲ廢シ國道縣道里道ヲ定ム」という<お達し>から始まります。
■國道
一等 東京ヨリ各開港場ニ達スルモノ
二等 東京ヨリ伊勢ノ宗廟及各府各鎭臺ニ達スルモノ
三等 東京ヨリ各縣廳ニ達スルモノ及各府各鎭臺ヲ拘聯スルモノ
□縣道
一等 各縣ヲ接續シ及各鎭臺ヨリ各分營ニ達スルモノ
二等 各府縣本廳ヨリ其支廳ニ達スルモノ
三等 著名ノ區ヨリ都府ニ達シ或ハ其區ニ往還スヘキ便宜ノ海港等ニ達スルモノ
◯里道
一等 彼此ノ數區ヲ貫通シ或ハ甲區ヨリ乙區ニ達スルモノ
二等 用水堤防牧畜坑山製造所等ノタメ該區人民ノ協議ニ依テ、別段ニ設クルモノ
三等 神社佛閣及田畑耕耘ノ爲ニ設クルモノ

「國道」は一等から三等に分けられ、
一等は幅七間 二等は幅六間 三等は幅五間と決められました。
※一間は約1.818m
現在の「国道133号」は、かつて「一等 東京ヨリ各開港場ニ達スルモノ」にあたりました。
といっても当時は<道路>より<鉄道>の時代でした。本格的に道路整備が始まったのが1885年(明治18年)のことです。
1885年(明治18年)1月6日 太政官布達第壹號
「今般國道ノ等級ヲ廢シ其幅員ハ道敷四間以上並木敷濕抜敷ヲ合セテ三間以上總テ七間ヨリ狹少ナラサムモノトス   但國道路線ハ内務卿ヨリ告示スヘシ」
1885年(明治18年)2月24日  内務省告示第六號
1月6日の太政官布達第壹號を受けて「國道表」が作られ、明確な路線が確定します。
その中で第一号が
「壹號 東京ヨリ横濱ニ達スル路線」
日本橋・品川・川崎・神奈川・横濱  となり国道整備が始まりました。
現在の道路整備の骨格となったのが大正8年に公布された
「法律第五十八號」最初の(道路法)です。
例えば
第二條
左ニ掲クルモノハ道路ノ附屬物トシ道路ニ關スル本法ノ規定ニ從フ但シ命令ヲ以テ特別ノ定ヲ爲スコトヲ得
一 道路ヲ接續スル橋梁及渡船場
二 道路ニ附屬スル溝、竝木、支壁、柵、道路元標、里程標及道路標識
三 道路ノ接スル道路修理用材料ノ常置場
四 前各號ノ外命令ヲ以テ道路ノ附屬物ト定メタルモノ
道路に関係する「橋梁及渡船場」「溝、竝木、支壁、柵、道路元標、里程標及道路標識」「道路修理用材料ノ常置場」等も道路法の下で管理されると明記されます。
区分も
國道、 府縣道 、郡道、市道 、町村道の5つに分けられます。明治の「里道」がより細かく市道 、町村道に分けられることになりました。
国道1号線は
一號 東京市ヨリ神宮ニ達スル路線
經過地
横濱市 神奈川縣足柄下郡箱根町 靜岡縣田方郡三島町 靜岡市 濱松市 豐橋市 岡崎市(八丁橋經由) 名古屋市 四日市市 三重縣三重郡日永村 津市(宇治山田市宮川町通經由)
となり現在の東海道(国道1号)に近くなります。
その後
「三十六號 東京市ヨリ横濱港ニ達スル路線」(現在の国道15号と国道133号)
国道の名称は戦前戦後で何回か変更になりますが、
1965年(昭和40年)4月1日
道路法改正により一般国道133号として現在に至ります。
現在の「国道133号」を紹介しましょう。
(ルート133)
開港広場: 起点となった開港広場はペリーが上陸し、日米交渉が行われた場所です。税関桟橋(大さん橋)の入口でもあります。
「国道133号」はある意味開国の道ですね!

ペリー上陸の図3

歴史的な建造物を抜けていきます。
起点の標識は開港資料館の前に建っています。

133日本大通り

(日本大通・本町通)
次の「開港資料館前」交差点の信号を左に曲がり「日本大通り」に入ります。

133神奈川県庁133昭和20年代

右手に神奈川県庁本館が建っています。ここから横浜三塔が見えます。<横浜三塔の見える国道>ですね。右手に日本最初の外国郵便を取り扱った「港郵便局」

この「港郵便局前」交差点を右に曲がり本町通りに入ります。次の信号で「開港記念会館」となり、さらに本町通りを進むと左右に銀行が立ち並び、横浜の中心街であった(?)ことを感じます。

※「日本大通」「日本大通り」二種類の表記が使われていますね。

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133銀行会館

(馬車道)

「国道133号」は<本町通>と重なり馬車道駅のある交差点で左に曲がりますが、この道はかつてはみなとみらいに向かう道がありませんでしたので道なりに桜木町方向に曲がっていました。

133馬車道から

この馬車道交差点界隈も横浜開港史の原点となる施設が集中していた<北仲エリア>に沿って日本最初の鉄道駅「初代横浜駅」に向かいます。

light_初代横浜駅前822

(弁天橋)
弁天橋は1871年(明治4年)に吉田橋など開港に伴う関内外を結ぶ橋として架けられました。最初は木造の<桁橋>でした。

1873年(明治5年)橋台と橋脚がレンガ巻の鉄筋コンクリート製、上部に木造のアーチ構造の橋に掛け替えられます。四隅の橋柱にはガス灯が設けられていました。
1908年(明治42年)9月にプレートガーダー橋に架け替えられ
1923年(大正12年)の関東大震災で被災しましたが落橋は免れ、
1928年(昭和3年)10月に復旧工事が完了しました。
1976年(昭和51年)鋼材の腐食により鋼床板鋼鈑桁3連ガーダー橋に架け替えられ現在に至ります。

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(初代横浜駅)

明治5年5月7日〜大正4年8月15日まで初代横浜駅として開設、営業していました。

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(国道16号)

「国道133号」の終点は、桜木町駅前の国道16号線との合流点です。現在の位置で根岸線高架線の真下にあたります。

133終点

横浜史を巡る<国道133号>のウォーキングは如何ですか?