横浜市内でこのような“橋との出会い”があるとは想像もしなかった。
まるで映画の一シーンのように“この橋”は目前に現れた。出会いの時期、ルートにも恵まれたのかもしれない。現存する最古のアーチ型石造橋だそうだ。「昇龍橋」
橋そのものの“古さ”から計ると横浜市内で最も歴史ある橋は中村川に架かる「浦舟水道橋」(近々紹介予定)だが、その場所に架かっている歴史から比較するとこの「昇龍橋」が最も古いということになる。
竣工した時代は資料上はっきりしていない。橋には「大正四年」とあるが、移動の可能性もあり明治三十年であるとか大正三年としている文献もある。
どちらにしろ この佇まいは周囲の環境を含めて“時間”を十分に感じさせる。
「昇龍橋」は境川水系の柏尾川支流「いたち川」(㹨川)の上流域に架かっている。
地番は横浜市栄区長倉町1388~1404
(出会い)
「昇龍橋」との出会いは偶然だった。
2012年の6月、横浜市内18区をバスで一筆書きのように通過(巡る旅)トライアル中にたまたま車中から見かけた<看板>に惹かれ降り立ったことに始まる。早朝6時にスタートしたバス巡りも北から左回りで戸塚区を抜け栄区に入り金沢八景行きのバスに揺られていた時だった。初夏の昼時「いたち川小川アメニティ」の看板に思わず停車ボタンを押していた。降り立ったバス停が「長倉町」だった。 降りてから分かったことだが「長倉町」は
「いたち川小川アメニティ」のちょうど真ん中にあたる。「権現山展望台」まで270m、「横浜自然観察の森入口」まで285mと指示された看板があった。この時に初めて記憶の中から「昇龍橋」という魅惑のキーワードが蘇ってきた。
いつか行きたいと思っていたがほとんど忘れかけていた橋だった。迷うことなく「昇龍橋」のある下流への道を選び、半分荒れた散策道(当時)を川筋に沿って歩くことにした。 場所によってはブッシュに阻まれ、掻き分けながら進むがせせらぎの<水>は美しかった。用意があればそのまま水の中を歩いてみたい思いがつのる。
しばらくして、「昇龍橋」は幻想的に登場した。苔むした石橋と周囲の木立の木漏れ日が実に美しい。
https://www.youtube.com/watch?v=vxG8PuvAEd4
(神戸)
「昇龍橋」の近くにはこのあたりの歴史を物語る地名が現在も使われている。「神戸」「八軒谷戸」「野七里」は集落のはずれを意味している。「神戸」の地名は面白い。(こうべ、こうど、ごうど、かんべ、かんど、じんこ、じんご、かのと)など読みが多彩で「神の戸」租税が免除される神社領の位置を表し、谷戸のつまりにあることが多い。「八軒谷戸」に至っては文字通り“八軒”程度しか民家がなかったことを表している。「昇龍橋」は資料を読むと元々「白山神社」の参道としていたち川に架けられたもので、白山の龍神信仰からこの橋は「昇龍橋」と呼ばれたのかもしれない。
横浜市内で最も高い「大丸山」一帯から流れ出るいたち川にはこの「昇龍橋」の他にも多くの橋が架かっている。
正確では無いが<河川橋梁図>等で数えるといたち川には80もの橋が架かっていた。義経橋、弁慶橋、源示橋、みなもと一の橋、みなもと二の橋といった鎌倉幕府に因んだもの。青葉橋、葉月橋、桧橋、山入橋、山里橋、森美橋(もりよしはし)といった名も、いたち川の特色を良く表している。
今年、初夏にでも「昇龍橋」近くにある<超人気>の「上郷森の家」にでも泊まりながらこの一帯を散策されてはいかがだろうか。横浜の自然力を感じ取ることができるおすすめコースの一つだ。
http://www2.kamigou-morinoie.org