かつて大岡川には川の十字路がありました。
大岡川下流域は吉田新田の干拓によって誕生した運河の町です。<灌漑水路>として中村川・派大岡川が生まれ堀川が作られ、明治に入って堀割川開削で磯子湾につながることで水運機能が高まります。
水田の吉田新田域が次第に宅地化・近代化していく過程で<灌漑水路>が<水運水路>として「吉田川」「新吉田川」「日ノ出川」「富士見川」が整備されていきます。
この時期に、横浜にとって重大な事業計画が進められます。野毛浦地先に鉄道が引かれる用地が埋め立てられることになりました。 ここに排水路を兼ねた「桜川」が誕生します。
大岡川に桜川と派大岡川が繋がり川の交差点が誕生します。
ここには「柳橋」と「錦橋」、大岡川には「都橋」「大江橋」が架かっていました。
※明治初期には「櫻橋」という木製の橋が短期間ですがありました。
このポイントは首都高速道路、JR根岸線、市営地下鉄、大岡川、幹線道路が集中し大工事が行われた場所でもあります。
「桜川」と「派大岡川」が無くなり大岡川だけになった時に、道路整備が行われ「桜川新道」ができ大岡川に「桜川橋」が架けられます。
この桜川橋は珍しい橋の一つだと思います。
構造的には普通の<上下線分離型>2連橋ですが上下で”橋名”が異なります。
普通は上下まとめて名称が付けられます。
近隣に架かる(っていた)「紅葉坂」「国際橋」も上下線分離型の2連橋です。さらには上下線、長さが極端に変わる「新山下橋」も上下線分離型の2連橋ですが名前は一つです。
「桜川橋」 上下線に区別がある別の名を持つ”大変珍しい橋”なんです。
上流から
「桜川A橋(さくらがわえーきょう)」
長さ41.8m
幅は16.8m
架橋年は昭和48年
「桜川B橋(さくらがわびーきょう)」
長さ38.7m
幅は16.8m
架橋年は昭和48年
普段、橋上を走っていると全く判りませんが、
川筋や袂から眺めるとしっかり「桜川B橋」のみ明記されています。
桜川物語も調査中ですのであらためて紹介します。