1月 7

No7 1月7日(土) 神社で婚約式を

若くして(29歳で)亡くなった詩人八木重吉と女学生 島田とみ は
1922年(大正11年)のこの日、
横浜の本牧神社で婚約式を行います。重吉は24歳の英語教諭で、とみは17歳で女学生でした。重吉は島田とみに一目惚れ、彼女が卒業したら結婚するという約束を婚約式という形で(神前で)誓ったという有名な話。

当初、今日のテーマは<クリスチャンの神社で婚約>にしようと思いこのタイトルとなった訳ですが、クリスチャンが何故神社で婚約式と疑問に思ったからです。
二人の資料を探しながら書き始めているうちに八木重吉のパートナーとなった島田とみの人生に釘付けになってしまいます。
島田とみは、
1905年(明治38年)2月4日、新潟県高田市(現・上越市)の日本画家の末娘に生まれます。11歳のとき父と死別し、蒔絵画家の兄・慶治の家に引き取られます。優秀だった彼女はプロテスタント系の「女子聖学院」三年級の編入準備をしていた際、一週間だけ家庭教師に来たのが八木重吉でした。
考えてみれば家庭教師の相手を口説いてしまうのですから、かなり大胆です。
八木の熱烈な求愛の結果、同年7月に二人は神戸で結婚式を挙げることになります。(結果、彼女は高校を病気で中退することになってしまいます)
重吉夫婦には一姫二太郎の子供にも恵まれ、生活も安定し順調な家庭生活を過ごしますが重吉に結核が発病、闘病、そして死別を迎えることになります。
とみは生活苦の中、重吉の死後10年目には、長女桃子15歳の死に立会い、その2年後には、長男陽二16歳の死と向き合うことになります。
<重吉、桃子、陽二は皆結核で失い独ぼっち>になってしまうのです。
その後
1944年(昭和19年)
戦争まっただ中、縁あって妻を亡くし、4人の子を抱えて生活に困惑している鎌倉在住の歌人・吉野秀雄(1902〜67)と出会います。
戦争が終わり
1947年(昭和22年)10月26日、重吉の21周忌に当たる祥月命日にとみは吉野と再婚式を挙げます。
再婚後、彼女は吉野登美子と改名し、重吉と秀雄の芸術を愛し94歳まで生きたというエピソードです。
仏教徒の夫とは、宗教は異なりましたが最後までお互いの信仰を尊重しあったといいます。鎌倉の暮らしでは夫婦で「小林秀雄」や「山口瞳」とも深い親交があったそうです。
吉野登美子の墓碑は 鎌倉瑞泉寺にあります。
詳しくは
八木重吉 代表作 第一詩集『秋の瞳』、第二詩集『貧しき信徒』
吉野登美子『胸の底ひに 吉野秀雄の妻として』(1978年 弥生書房刊)
「琴はしずかに 八木重吉の妻として」(1976年 弥生書房刊)
ここまで書きましたが、
結局 クリスチャンの二人が何故 本牧神社で誓い合ったか?
分からずじまいでした。どなたかご存知でしたら教えてください。