9月 16

【番外編】よくまーここまできたもんだ。

今年も残すところ100日余りになりました。
これまでの愛読ありがとうございます。
この辺で少しずつ舵を切ろうと考えています。
2013年はどうしようか?もそろそろ考える時期に来ました。

大倉山記念館

このブログは、2011年末かなり押し迫っての衝動的な計画だったので、準備不足は否めない状態が常態化し苦労しました。
もし来年も同じスタイルを続けるならそろそろ準備もしなければなりません。
ただ、同じ日で複数テーマを発見していますから、今年よりは楽です。

さあ?どこにあるのかな?

(テーマ無しで書く苦しみ)
なんとか260話まで続いた理由は、
書くテーマを具体的に見つけることができたからです。
●月■日で探していくと、史実が違う表情を見せてくるときがあります。
楽しいひと時です。
さあ自由に書け!ということが一番苦労です。

このベンチ 誰のデザインでしょ?


ブログアップの作業の流れを説明します。
一週間から十日単位で、ネタを集中的に集め一覧表にします。
ツールは、ネットの年表、書籍の年表を軸に、ネタに関係ある日付を手繰っていきます。ネットの年表は必ず図書館や他のデータで裏を取るように努力しています。
(結構誤記を含め間違いが多いので困ります)

取り上げてみたいテーマ、
書きやすいテーマは紹介する「月日」が多くあるので“どの日”にするかがポイントになってきます。
例えば「マリアルス事件」は起った日から国際裁判の判決まで
キーになる日が10日くらいあります。
どの日を選ぶか、当然他のネタ日とのバランスを考えなくてはなりません。
特にはハプニングも起ります。
信じて疑わなかった資料に書いている途中で黄色信号が灯ったケースがあり、その場で新しいテーマに切り替えたこともあります。

(来年は連続性?)
来年はシリトリ?
(芋蔓式)みたいなことにトライしてみたい。
大きなテーマを12くらい挙げて月別に書いてみたい。
地名(場所)をテーマに365話書いてみたい。
など アイデアを思いめぐらしているところです。

(横浜という地域)
横浜は、開港場から次第に拡大してきた街です。
どうしても開港場中心の横浜になりがちですが、
横浜は18の区、多様な地域を持った市です。
横浜にとって劇的な変化が開港開国によってもたらされたことは事実ですが、周囲の地域が開港場を支えることで現在の横浜市域が構成されています。
このブログも広く市域全体の話題、ネタに留意しながら、多用多彩な横浜コンテンツを紹介していくことにします。
どうぞ これからもご支援ください。

9月 16

No.260 9月16日(日)コードネームは「登」

2012年(平成24年)9月16日(日)の今日、
四代目神奈川県本庁舎が10時から一般公開されました。
以降、各月第3日曜日10月21日、11月18日、12月16日、1月20日、2月17日、3月17日に公開されました。
2013年(平成25年)は、9月15日、22日、10月13日、20日、11月17日、24日、12月15日が公開日です。
一度は見学しておきましょう。
特に旧貴賓室・旧議場と屋上は必見ですよ。
この本庁舎設計者はコードネーム「登」と名乗りました。

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中央がコードネーム 「登」氏の若かりし頃

神奈川県本庁舎見学について
公開時間は午前10時〜午後4時までです。
9月22日実施イベントは
「究極のエコカー「燃料電池自動車」を体感する一日」
2012年度は
地方自治法施行60周年記念貨幣の引換えが行われました(額面500円)。

http://www.mint.go.jp/prefecture/index.html
知事が執務する現役の庁舎としては、大阪府庁本館に次いで全国で2番目に古いものです。

■大阪府庁本館
1923年(大正12年)5月12日着工、
1926年(大正15年)10月31日竣工。
設計者は平林金吾、岡本馨の二人。
施工は大林組、清水組(清水建設)

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※余談
清水組は1858年(安政5年)井伊直弼の命により開港地・横浜の外国奉行所などの建設を請け負い洋風建築技術を修得した横浜に関係の深いスーパーゼネコンです。

神奈川県庁の歴史に関しては
No.219 8月6日 (月) チェックメイトキング

で初代から三代目について簡単に紹介しています。

今日は、四代目(現役)県庁建設について簡単に紹介しましょう。
詳しくは是非「神奈川県本庁舎公開見学会」で確かめてください。
(四代目県庁)
1913年(大正2年)に竣工した三代目の本庁舎は10年後、関東大震災で焼失します。
躯体は残りますが再建が適当ということになります。
再建場所をどこにするか意見が分かれました。
この時、仮庁舎は横浜市西区岡野町に置かれていましたが、元の日本大通にするか他の場所を選ぶか移転案が検討されました。

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元の日本大通に再建するなら敷地面積が狭いので隣接する郵便局(港郵便局)の土地を買収し県庁を建設したいという意向が強くありましたが、上手くいきませんでした。
敷地面積を優先するなら移転先優先ということで、
西区伊勢町、横浜駅近く等が検討されましたが、
結局元の位置に再建することで決定します。
設計に際し、公募(コンペ)で行うことが決定し公募されます。
応募総数は398通あり、
中から「暗号名 登」氏の作品が一等入選作品に決まりました。
公募(コンペ)の公平性を確保するために、応募作品は全て「暗号名」で提出することが規則になっていました。
当選した暗号名は「登」、山梨県出身で東京市電気局の職員小尾嘉郎の案でした。
当時の設計コンペは、詳細なものではなく、
どちらかといえばデザインコンペにちかいものでした。
実施設計は神奈川県内務部(成富又三)が行い、建築顧問として佐野利器が迎えられました。設計案は当時流行した帝冠様式が取り入れられていましたが、完成作品とは微妙に違っています。

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1927年(昭和2年)1月15日着手、
建築工事費約275万円をかけ1928年(昭和3年)10月31日に完成しました。
中央の塔屋は横浜三塔の「キングの塔」として親しまれています。
1996年に登録有形文化財(建造物)に登録されました。
No.70 3月10日 310

「No.219 8月6日 (月) チェックメイトキング」で、
「三代目庁舎建築を巡っては、かなり面白いエピソードが隠されています」と書きました。実は三代目庁舎建築は明治大正期の横浜が抱える問題が顕在化したものです。
この話しは、

No.261 9月17日(月)江戸の敵を横浜で