【開港の風景】野っ原編3

横浜村を更地にして、日本人街を造成、外国人を受け入れるまでの姿、
区史、市史、明治期の開港モノなどを目下整理中で苦闘しています。
なので、ちょっと時間をワープします。
日本人として開港直後の様子を表した文献で代表的なものは「福翁自伝」だと思います。
この作品は福沢諭吉が1898年(明治31年)7月1日から1899年(明治32年)2月16日までの七ヶ月間で計67回にわたって「時事新報」に掲載したもので大変人気記事でした。
1899年(明治32年)6月15日には単行本が刊行され、今日口実筆記自伝文学の最高峰と言われています。この軽妙洒脱な文体で開港当時の様子が語られています。
少々長い引用ととなりますが勘弁ください。


英学発心
ソコデ以(もっ)て蘭学社会の相場は大抵分て先(ま)ず安心ではあったが、扨(さて)又此処に大(だい)不安心な事が生じて来た。私が江戸に来たその翌年、即(すなわち)安政六年、五国条約と云うものが発布になったので、横浜は正(まさ)しく開けた計(ばか)りの処、ソコデ私は横浜に見物に行った。
その時の横浜と云うものは外国人がチラホラ来て居るだけで、堀立小屋見たような家が諸方にチョイ/\出来て、外国人が其処に住んで店を出して居る。
其処へ行て見た所が一寸とも言葉が通じない。此方の云うことも分わからなければ、彼方の云うことも勿論分らない。店の看板も読めなければ、ビンの貼紙も分らぬ。何を見ても私の知って居る文字と云うものはない。英語だか仏語だか一向計らない。
居留地をブラ/\歩く中うちに独逸(ドイツ)人でキニツフルと云う商人の店に打当(ぶちあた)った。その商人は独逸人でこそあれ蘭語蘭文が分る。此方(こっち)の言葉はロクに分らないけれども、蘭文を書けばどうか意味が通ずると云うので、ソコで色々な話をしたり、一寸(ちょい)と買物をしたりして江戸に帰かえって来た。
御苦労な話で、ソレも屋敷に門限があるので、前の晩の十二時から行てその晩の十二時に帰たから、丁度一昼夜歩いて居た訳わけだ。
小石川に通う
横浜から帰って、私は足の疲れではない、実に落胆して仕舞った。是は/\どうも仕方がない、今まで数年の間あいだ、死物狂になって和蘭(オランダ)の書を読むことを勉強した、その勉強したものが、今は何にもならない、商売人の看板を見ても読むことが出来ない、左(さりと)は誠に詰らぬ事をしたわいと、実に落胆して仕舞た。けれども決して落胆して居られる場合でない。彼処(あすこ)に行なわれて居る言葉、書いてある文字は、英語か仏語に相違ない。所で今世界に英語の普通に行れて居ると云いうことは予かねて知って居る。何でもあれは英語に違いない、今我国は条約を結んで開けかゝって居る、左(さすれ)ばこの後は英語が必要になるに違いない、洋学者として英語を知らなければ迚とても何にも通ずることが出来ない、この後は英語を読むより外に仕方しかたがないと、横浜から帰た翌日だ、一度は落胆したが同時に又新に志を発して、夫から以来は一切万事英語と覚悟を極きめて、扨(さて)その英語を学ぶと云うことに就ついて如何どうして宜(いい)か取付端(とりつきは)がない。

引用ここまで
この文章には幾つか当時の横浜風景に関して興味深い点が書かれています。
例えば
「その時の横浜と云うものは外国人がチラホラ来て居るだけで、堀立小屋見たような家が諸方にチョイ/\出来て、外国人が其処に住んで店を出して居る。」
まず、時期的にはかなり開港初期だと想像できます。
気になるのは
開港場には野原(のっぱら)が広がりそこに外国人が出店している様を日本人の福沢が「堀立小屋」だと描写している点です。レンガ作り、コロニアル洋式の建物に慣れている諸外国人が<うさぎ小屋>とでも表現するなら判ります。
横浜開港地には恐らく日本人の大工が<とりあえず>人が暮らせる程度の住宅を建てたのでしょう。都市の風景としては非常に貧弱さが感じられたのかもしれません。
とりあえず仮住まいのような家屋で
そこに不満はあったけれども商売優先で外国人側も我慢して出店したということでしょうか。

福翁自伝 福沢諭吉著作集 第12巻 慶應義塾大学出版会2003

次に気になったのが
「居留地をブラ/\歩く中うちに独逸(ドイツ)人でキニツフルと云う商人の店に打当(ぶちあた)った。その商人は独逸人でこそあれ蘭語蘭文が分る。」
福沢が大変な思いをして学んだ外国語は阿蘭陀語でした。ところがそこにはイギリス人やアメリカ人の店が多く、ようやく言葉(オランダ語)の通じる外国人に出会った。
ところが彼はドイツ人だったという点です。
この二点を軸に次回居留地最初の商館を開設したあるドイツ人について少し展開してみたいと思います。
一つ前【開港の風景】野っ原編2へ
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=13389

【開港の風景】野っ原編1へ
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=13387

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