No.242 8月29日(水)そそっかしい!

1999年(平成11年)8月29日(日)の今日は戸塚駅〜湘南台駅間(1号線)が開業しブルーライン全線(あざみ野〜湘南台間)が開通しました。
延伸計画があるので、この全線という表現は微妙に不正確ですが、着工していませんので全線開通としておきます。そして、
この全線開通の日にもう一つの市営地下鉄の“できごと”がありました。


まずは、横浜市営地下鉄ブルーラインについてご紹介しましょう。
現在横浜市営地下鉄線は二つの系統があります。
海の近くを走る「ブルーライン」と丘の横浜を環状線で走る「グリーンライン」です。ブルー、グリーンの色で区分けする愛称は、2006年(平成18年)に公募で決まりました。

(ブルーラインの歴史)
1972年(昭和47年)12月16日に伊勢佐木長者町駅と上大岡駅間がまず開通しました。
市営地下鉄の管理部門は「伊勢佐木長者町駅」にあります。
この伊勢佐木長者町駅〜上大岡駅間を起点に延長工事が進められます。
1976年(昭和51年)に上永谷駅間〜横浜駅が開通します。
1985年(昭和60年)に市営地下鉄の“売り”になる「新横浜駅」まで開通し、関内・横浜駅からJRより手軽で早くアクセスできる事をPRします。この新横浜直結!の“売り”は、新幹線利用者には大変便利で、乗降客増につながったのではないでしょうか。
※当時、JR横浜線は”横浜”線なのに、東神奈川までしか行かない!ため乗換が不便でした。(今も直行以外はめちゃ不便ですが)

1989年(平成元年)横浜博覧会の会期中に戸塚駅が開通し、幹線駅との接続が実現します。
1993年(平成5年)に東急田園都市線と接続する「あざみ野」駅が開通します。当時、田園都市線は「たまプラーザ駅」の開発が進み、規模的にも地下鉄接続に相応しいのではないか?と素朴に考えましたが、東急電鉄と横浜市の思惑が合わなかったようで、急行の停まらない「あざみ野駅」乗換となってしまいました。


1999年(平成11年)8月29日にようやく湘南台駅〜あざみ野駅までが開通します。戸塚駅〜湘南台駅間の開通は、様々な方面に影響を与えます。泉区の交通アクセスが相鉄いずみ野線と合わせて一気に良くなり、生活環境が激変します。これに刺激される形で難航していた「戸塚駅前再開発計画」も前進します。


当初赤字借金路線と市民の大きな批判に晒された「市営地下鉄計画」ですが、横浜市18区全体の市民生活の向上には横浜駅から放射状にしか伸びていない鉄道網を環状で繋ぐ(特にグリーンライン計画)意味は大きいといえるでしょう。経営も黒字化し順調に乗降客数も伸びているようです。


話しは前後しますが、ブルーラインの横浜駅〜あざみ野駅間、グリーンラインの日吉駅〜中山駅間は「港北ニュータウン計画」に欠かせない路線でもありました。
No.240 8月27日(月)横浜で重い!場所

(そそっかしい?!)
本日の表題に入ります。
1999年(平成11年)8月29日のブルーライン開通に合わせ駅名の変更が行われました。
開通して25年くらいで駅名を変更するということは大きな理由が無ければ!普通はありえませんが、苦情が多かったのか?駅員が根をあげたのか?
「新横浜北駅」を「北新横浜駅」に改称します。

理由は、新横浜駅と間違える乗客が後を絶たなかったためなんですが、
実は私も一回居眠りで間違って飛び降りた経験があります。
車内放送「つぎは しんよこはまきた」より「つぎは きたしんよこはま」の方が間違え難いことは確かですね。
間違えやすいから駅名変更?も珍しいのではないでしょうか?
でも、
市営地下鉄には「三ツ沢下町駅」「三ツ沢上町駅」
金沢シーサイド線では「海の公園柴口駅」「海の公園南口駅」ってのがありますが、乗換重要度から行くと「新横浜北」に間違って降りた場合のダメージは大きそうですね。

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