【番外編】さようなら横浜 !

ポテトチップス大好きな皆さん!
ポテトチップと横浜の関係知ってますか?
ポテトチップは、アメリカ合衆国ニューヨーク州サラトガスプリングのレストラン Moon Lake Lodge のシェフ、ジョージ・クラム (George Crum) によって1853年8月24日に発明された、という説が有力だそうです。

日本で初めてポテチをつくったのは、フラ印のポテトチップです。
今日 購入し久しぶりに味わいました。以前より薄切りになりました。
ゴツいポテチでしたが ある意味普通になってしまいましたので残念です。

スナック菓子(ポテトチップス)ファンの中では、ご存知の方も多いと思いますが、この“フラ印”(フラ ブランド)についてご紹介します。
このブランドは、濱田音四郎氏(明治44年生まれ)が、終戦後、ハワイから帰国し、牛込納戸町に設立したアメリカン・ポテトチップという会社が製造し、“フラ印”で販売したのが始まりです。
昭和20年代のアメリカン・ポテトチップスを設立した当初は、顧客といえばアメリカ軍のキャンプぐらいで中々一般市場では普及しなかったそうです。
軌道に乗ったのが昭和30年代の高度成長期でした。濱田音四郎氏は第二の故郷ハワイとの交流にも尽力しました。
濱田氏は、大相撲の初の外国出身の関取である「ハワイ マウイ島出身 高砂部屋」のアナウンスで土俵に上がった高見山を日本に紹介した方です。

この本社工場が一時期ですが横浜市瀬谷区にあったんです。
商品のダンボール箱に張っていたシールも(YOKOHAMA JAPAN)でしたね。
瀬谷の工場は2006年頃???閉鎖し(東京スナックの)茅ヶ崎工場と統合し、その後幾つか販売会社が変わった記憶があります。

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