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No.123 5月2日 全県下警察官待望の楽園

みなとみらいによく見ると不思議な建物が建っています。
「けいゆう病院」です。
1996年(平成8年)1月8日に完成した財団法人神奈川県警友会が運営する総合病院です。
今日のテーマは、この「けいゆう病院」の前身(前名)で山下町にあった「(旧)警友病院」です。
この警友病院は、1934年(昭和9年)の今日、横浜市中区山下町に開業(開院)しました。

斜めに見えませんか??

この山下町の「警友病院」は
【全県下警察官待望の楽園】とメディアに賞された
昭和初期の震災復興建築でした。
閉鎖当時、昭和初期建築の象徴スクラッチタイルを見事に使った、最も古い現役病院建築として評価されました。


「警友病院」のような警察病院は意外と少なく、
東京都警察病院が1929年(昭和4年)3月18日に完成し、
昭和9年の神奈川県、
そして昭和12年に大阪警察病院が完成し、
その後京都に開業しただけでした。
「警友病院」とネーミングされたのは横浜だけのようです。
病院建設資金は、県の警察官・消防官からの拠出金を集め、県内の篤志家からの寄付、そして天皇・皇后並びに各皇族からの下賜金で調達したと記録にあります。
おそらく、関東大震災の教訓から総合病院の必要性を感じたためでしょうが、職域病院としてだけでなく地域の基幹病院として県民に広く医療を提供し地域に信頼されてきたことはまちがいありません。

【全県下警察官待望の楽園】
※御下賜金の恩命を拝した警友病院竣工※
5月2日
「畏くも両陛下より御下賜金の光栄に輝やく警友病院は、警察消防全員と家族の待望の中に港都の一異彩としてネオヽクラシズムの三層楼を山下町の一角に出現した。」(横浜グラフ)

開設式典の模様(都市発展館より)

※『横浜グラフ』は台紙(横37.5×縦25.2cm)に写真プリントとその解説ラベルを貼付し、台紙右端の4つの穴を紐で綴じたアルバムである。表紙(横37.8×25.5cm)には「横浜グラフ」「横浜 国際写真通信社 発行」と印刷されている。「横浜グラフ」のタイトル文字背景のデザインは横浜市章を象ったものである。(横浜都市発展記念館)
http://www.tohatsu.city.yokohama.jp/

私が初めてこの病院を(見学)したのは高校時代のことでした。
母の古くからの友人で、この病院の産婦人科医師(後に産婦人科部長)をされていた故石雲サカエ先生に案内していただきました。
その当時で築40年、戦火を通り抜けてきた重厚な石の塊といった印象しか(あまり関心が無かったので)ありませんでした。
ついでにということで、病院の外に出て案内していただいたのが「別館(当時横浜入国管理事務所)」でした。外観だけでしたが「大変貴重な建物だそうですよ。残せるモノなら残しておいた方が良いですね」と言われ、ただただ感心したことを記憶しています。以来この建物の前を通る度に、その後(アルテリーベで)食事をした記憶と一緒に思い出します。

調べてみると、
この建物は、もともとロシアに本社があった露亜銀行横浜支店として建てられ、次にドイツ領事館、法務省、横浜入国管理事務所(現在の東京入国管理事務所横浜出張所)へと移り変わり、昭和53年から警友病院別館として使われたそうです。
部分的に切り取るとかなり珍しいイオニア式風の佇まいも感じられます。
設計者は不明?と記している資料と
イギリスの建築家のBernard Michael Wordの手によって設計と記してある資料があり、どちらが正確かわかりませんが、神奈川県内で唯一残った外資系建物と聞くとこれからも近代遺産として残って欲しいものです。
現在
ブライダル施設としてリニューアル され『La Banque du LoA(ラ・バンク・ド・ロア)』という名で 2011年9月14日(水)オープンしました。
http://www.yokohama-loa.com/

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