昨日は明治維新期のドタバタぶりを紹介しましたが、
明治になって庶民が時代の変化を強く感じたのが髪型・服装です。
横浜ではいち早く洋服店はもちろんですがヘアサロンが幕末に開業していました。
明治になり断髪令が出されますがこれは強制ではなく散髪を許すというもので中々普及しませんでした。
そこで、明治天皇は1873年(明治6年)の今日、範を示すということで自ら断髪します。
これによって一気に「床屋」
(理容室)が時の職業になっていきます。
山下公園にある記念碑、意外と地味な場所にあります。 |
幕末1864年(元治元年)の新聞に横浜ホテルで「Hairdressing and Shaving Salon」がオープンした記事が掲載されました。
これが日本で初めて西洋式の理美容店が開業した記録です。
同じ頃、横浜の日本人結髪師たちもいち早く外国人(船員)を相手にひげ剃りを始め人気を博します。そこで彼らは西洋理容技術を学びます。
「横浜もののはじめ考」より |
時は明治時代に。
1871年(明治4年)5月に
半髪頭をたゝいてみれば因循姑息の声がする
惣髪頭をたゝいてみれば王政復古の音がする
丁髷(ザンギリ)頭をたゝいてみれば文明開化の音がする
という俗謡が新聞に掲載され大流行します。
この「俗謡」は、明治政府で唯一人総裁局顧問専任として庶政全般政策の責任者であった木戸孝允(桂 小五郎)によるメディア戦略といわれています。新制度の強制は難しいと考えた政治的識見の高さの現れといえるでしょう。
それから三ヶ月後の8月9日、旧習を改めて散髪を許すという布令が太政官より下されます。
散髪制服略服脱刀共可為勝手事
但 禮服ノ節ハ帯刀可致事
これは強制ではなく「散髪の許可」でした。
一気に庶民が「髷」を切るようになったきっかけとなったのが、
1873年(明治6年)3月20日に明治天皇が行った断髪です。天武11年(683年)「自今、男も女もことごとく髪を結うべし」という『結髪令』が出されて以来の「断髪」でした。
天皇の散髪を契機に東京横浜では殆どの市民が断髪しますが、地方では中々困難を極めました。「東京日々新聞(毎日新聞の前身)」によるとこの年、遠州森町で理髪技術を習得させるため、村民で奨学金を出して髪結い職人を横浜へ送ったという記事が掲載されたそうです。
明治期 横浜スタイルの髪型がお茶ビジネスで深い関係にあった静岡に伝わったのも納得できます。
No.457 ザンギリ野毛
横浜市で平成8年度からスタートした「横浜マイスター」認定事業で平成22年度マイスターに理容師の宇佐美 勉さんが初めて理容界から選ばれました。
宇佐見さんは2011年度の技能五輪ロンドン大会で理容美容部門のエキスパート「審査委員」もされた方です。
MEN’S BEAUTY USAMI
横浜市神奈川区片倉1-16-10 ウサミメディカルファイン1F
TEL 045-481-0554
営業時間 平日・土曜日9:00〜19:30/日曜、祝日8:00〜19:00
定休日 毎週火曜日、第2第3月曜日
アクセス 片倉町駅2番出口より徒歩3分 or 三ツ沢上町駅より徒歩20分
http://www.151-a.net/