No.46 2月15日 二つの祖国

「中国残留日本人孤児」という単語が新聞テレビで大きく取り上げられて30年、当事者以外私たちの記憶から消えかかっています。
1986年(昭和60年)の今日から一週間、相鉄ジョイナスの広場で「中国残留日本人孤児」写真展が開催されました。

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来日「中国残留日本人孤児」とは、中国に残された日本人及びその子供達を現地中国で捜索し、日本の親戚探しのために訪日した人たちのことです。
戦前や戦中に旧満州(中国東北部)に開拓団として移り住んだ日本人の子ども達で、1945年の敗戦前後の混乱の中、その多くが肉親と生き別れるなどの理由で置き去りにされた人たちです。
昭和56年3月から始まり平成6年11月まで25回の訪日調査を行いました。この「中国残留日本人孤児」訪日調査をいち早く記録に撮ろうと決断し行動した横浜のカメラマンがいます。
浜口タカシさん、横浜市南区在住。1931年生まれの80歳を超えるご高齢ですが、昨年の東北大震災にもいち早く駆けつけ取材し写真展を開催する行動派です。彼は写真館のオーナーであると同時に、ジャーナリストでもあります。「大学闘争」「三里塚」の記録作品はいまだ伝説に残る報道写真です。
今回、1978年(昭和53年)5月に完成した相鉄ジョイナスで開催された神奈川新聞主催「二つの祖国 中国残留日本人孤児展」は、昭和57年の第二回訪日調査から孤児らを追いかけた第6回までの120枚と進行中の第7回訪日団の写真を加えた展示を行いました。
この訪日調査で日本に永住帰国した孤児は2,536人、同行家族は6779人にも上ります。日本語を話すことが出来ない彼らへの復帰プログラムは上手く効果をだすことができませんでした。72年の国交正常化以降にようやく実現した活動ですが、国民とは何かを現在も突きつけられている日本の戦後史の一断片です。訪日された方が全て肉親と出会えた訳ではありません。分からなかった方々は第二の祖国に帰って行きました。
その後も浜口さんは取材を続け、写真展を開催していきます。未だに終わらぬ戦争の記録でもあり、時代の狭間で悲劇を甘受してきた人々の歴史でもあります。

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