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【番外編】川崎駅前は狩猟場だった?

ジャパンパンチ川崎駅この画像は《ジャパン・パンチ》1875年(明治7年)10月号に掲載されていたものだ。[川崎駅]がバックに描かれている。
《ジャパン・パンチ》は
1862年(文久2年)特派員画家だったチャールズ・ワーグマンが横浜で創刊し1887年(明治9年)まで刊行した日本初の風刺雑誌といわれている。ジャパンパンチ表紙1875cotこの記事の舞台は絵の通り川崎駅近辺であることがわかる。風刺画誌なので実際の事件記事なのか、何かの風刺の題材として<川崎駅>が使われたのか資料を類っていないので分からない。
制服警官(仏軍人?)を<狩猟>しているようにも見える。<制服組>への批判・皮肉とも見える。スクリーンショット 2016-02-13 11.01.19キャプション
スクリーンショット 2016-02-13 11.26.32Shooting in Japan
Wonderful sagacity of the dog.
defeat of the Tulrie !
と読めるが
筆記体なので正確にはよく解らない。
「日本での狩猟は 優秀な(猟)犬が素晴らしい。<トーリー>の負け!」かな
???
とりあえず判る範囲で絵柄を眺めてみよう。
川崎駅あたりが狩猟場のような場所であったのか?
好奇心に惹かれ調べてみることにした。
(国鉄川崎駅)
川崎駅は神奈川駅と共に日本で3番目の鉄道駅として1872年7月10日(明治5年6月5日)に開業。
開業した場所は当時の東海道筋<川崎宿>の西はずれだった。川崎市史によると、宿場近くに駅ができたため、宿場は大きなダメージを受けたらしい。川崎駅M14年さらに歴史を遡ると、江戸時代も品川宿と神奈川宿に挟まれた「川崎宿」の経営も大変だったらしい。
現在の川崎駅東口界隈に広がる繁華街は東海道線と街道<砂子(いさご)一帯>を繋ぐような形で発展してきた。川崎駅前明治40年代<明治40年頃の川崎>
一方、駅の反対側(西口)は戦前から大手企業の事業所で埋め尽くされていた。この絵に描かれた<狩猟場>は川崎駅西口だと言えそうだ。横浜行きの汽車の姿も描かれている。
現在のラゾーナのある一帯はかつて狩猟場だったと推察できる。light_8193851ここが本当に狩猟場として使われていたとしたら、流れ弾の危険など<下世話>な心配をしてしまう。