6月 19

第825話【横浜の橋】No.15 北仲橋(大岡川河口)

横浜市内には本支流合わせて
一級河川が9河川、二級河川が24河川、準用河川が25河川、合計58の河川が存在する。
●一級河川 鶴見川
恩田川、梅田川、鴨居川、大熊川、鳥山川、砂田川、早渕川、矢上川
●二級河川 帷子川
中堀川、今井川、石崎川、新田間川、幸川、帷子川分水路
●二級河川大岡川
日野川、中村川、堀川、堀割川、大岡川分水路
●二級河川 境川
柏尾川、平戸永谷、阿久和川、いたち川、和泉川、宇田川、舞岡川、名瀬川
●二級河川 侍従川
●二級河川 宮川

鶴見川・帷子川・大岡川 等々それぞれに多くの橋が架かり、本流に限らず支流にも<川の名>が付いた橋が多くある。このことは
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=8200
ここで横浜を代表する大岡川に<「大岡橋」「大岡川橋」が見当たらない>と簡単に紹介した。
再掲すると
一級河川鶴見川には 鶴見名が多い。
「鶴見大橋」「鶴見橋(国道)」・「臨港 鶴見川橋」・「鶴見川橋」
準用河川入江川には「入江橋(国道)」
準用河川滝ノ川には「滝の橋(国道)」
二級河川帷子川には「帷子橋」
二級河川境川には藤沢市鵠沼に「境橋」
派境川(柏尾川・和泉川・相沢川・いたち川 他 川の名の橋有り)
二級河川侍従川には「侍従橋」
二級河川宮川には「宮川橋」
あらためて 大岡川には「大岡(川)橋」が見当たらない。
「中村橋」は中村川になく堀割川にがあるのもたまたまだろうが 不思議だ。
結論を先に紹介すると大岡川河口橋梁図
「大岡橋」はかつてあったが、廃止されその残骸!?が汽車道にその一部が「港三号橋梁」として保全を兼ねて架かっている。lightスクリーンショット 2016-06-16 10.26.47

かつて架かっていた「大岡橋梁」は下記に懐かしい画像が残っている。
http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f7488/p27870.html
「昭和8年に架けられた鉄道橋で、旧生糸検査所引き込み線敷設の際に大岡川に架けられた。構造は3連のポニーワーレントラスだが、その内の1連は北海道のタ張川橋梁を、残りの2連は江戸川橋梁を補強して移設したものである。このトラス橋の銘板には1907年(明治40年)製作と記されており、英国製トラス橋として貴重である。」

「北仲橋」
北仲エリアの開発に伴い、2002年(平成14年)4月に全面開通した。みなとみらい地区(中央地区)と北仲通地区を結ぶ、上下線二連橋で、山側が1997年(平成9年)6月に、先に開通した。
現在は片道3車線、往復6車線の幹線道路となっている。lightP6141052 lightP6141067 lightP6141073 lightP6141079 lightP6141088 lightスクリーンショット 2016-06-16 10.06.11

6月 19

第824話1877年(明治10年)6月19日神奈川県史料語る

1877年(明治10年)6月19日
「神奈川県史料」に下記のような記述がありました。

light神奈川県史M106月19日
「第四十七 大半揚弓等稼業時間相定之事
同年(明治)十年六月十九日
大半揚弓及室内射撃銃を以稼業致候者従前時間に制限無之候処以来大半弓は日出より日没まて揚弓并射撃銃は午後十二時迄と稼業時間相定候条右渡世之者へ無洩可触示此旨相達候事」
揚弓:江戸時代に流行した遊びで、小さな弓で的を当てる<射的>
営業時間について規定を設けています。
<揚弓と射撃銃>は午後十二時までとするとなっています。実質この遊戯は風俗営業の一端で、
http://yokyuten.exblog.jp/6793966/
トラブルもあったようです。
また「射撃銃」は現在も懐かしい遊びとして復活している「射的」用の銃だったと思います。「射的」の歴史は調べていませんが江戸時代からあり、<遊戯用の銃>も明治に入り普及したようです。
「コルクを弾丸にして発射する空気銃またはスプリング式銃で的を射る遊戯。座敷鉄砲ともいわれる。室内射的用の銃は,普通後者が用いられる。的との距離は約 3mで,コルク弾が命中すると的の止め具がはずれて,分銅式に景品の玩具や人形が降りてくる。」

同じく同日付で
「第四十八 浴場男女混入を禁する事
明治十年六月十九日
第拾大区 正副長 同七小区正副戸長
本年五月二日本件丙第百三十号を以浴場へ男女混淆(こんこう)之儀云々但書共相達候処右は其区内布田駅に於ても同様相心得浴湯場男女分界取設之儀は来る八月十五日限り落成可為致其他他凡て最前相達候通り相心得該渡世之者へ無遺漏示諭可致此旨相達候事。」という達しが出されました。
第10大区7小区の正副区戸長に対し、布田駅にある浴場に、男女の分界を8月15日までに設けるよう達した。という内容です。
明治に入っても 風呂場は江戸時代から続く<混浴>習慣があり
新しいルールを徹底させるためにこういった<お達し>を出していました。
この江戸のおおらかな文化<男女混浴>に怒ったのが
ペリーでした。彼は「日本遠征記」で
「男も女も赤裸々な裸体をなんとも思わず、互いに入り乱れて混浴しているのを見ると、この町の住民の道徳心に疑いを挟まざるを得ない。他の東洋国民に比し、道徳心がはるかに優れているにもかかわらず、確かに淫蕩な人民である」
と記しています。
その後も 欧米列強の皆さんはこの「男女混浴」には大反対だったようで、明治政府は取り締まろうとしますが実質<体裁>だけで 徹底されるには時間がかかったようです。しかも下町や地方では混浴習慣が徹底されず 何回も、幕府から混浴禁止令を受けながらも復活するという<日本古来の風習?>かもしれません。

(神奈川県史料)
神奈川県が政府の命によって、明治元年から明治十七年までの間の出来事を編年で記述した史料です。この第一巻は主に行政資料となっていて
制度部
県庁・庁即・租法・職制・禄制・軍役 等々事細かに事件録のようになっています。
独特の文体なので読みにくいですが、面白い記述に出会うことがあります。

このブログでも時折活用しています。
明治元年から明治十七年 横浜を含め 日本が実生活の中で<近代>と出会った時期です。

まさに この神奈川県史料は カルチャーショックの記録ともいえるでしょう。
(過去の6月19日ネタ)
No.171 6月19日(火)虚偽より真実へ、暗黒より光明へ 我を導け
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=437
1916年(大正5年)6月19日(月)の今日
歌人佐佐木信綱(44歳)は横浜三渓園に行き、
滞在していた詩人であり思想家のタゴールと面会しました。

Category: 【資料編】, 横濱ことはじめ | 第824話1877年(明治10年)6月19日神奈川県史料語る はコメントを受け付けていません