横浜の出来事を年表からピックアップしました。
●2013年(平成25年)の今日から
「馬のアート cartoons×comics〜時代を映す諷刺と現代マンガの世界〜」
根岸競馬記念公苑 馬の博物館 第2展示室において開催されます。
会期〜12月1日(日)まで。
休館日:月曜日(但し祝日・振替休日は開館)
入館料:一般100円
小・中・高校生30円
10月20日(日)には「馬とのつどい2013」も関連開催
※森部英司アートパフォーマンス
※武蔵野美術大学ワークショップ
※馬車、ポニー、馬の試乗会
※ホースアトラクション
http://www.bajibunka.jrao.ne.jp
「横山大観展」(良き師、良き友)
横浜生まれの思想家・岡倉天心が創設に関わった東京美術学校第一期生の横山大観展を今日10月5日(土)から11月24日(日)まで開催します。
http://www.yaf.or.jp/yma/index.php
●1894年(明治27年)は
「時刻表記念日」です。
意外と地味な記念日ですが、
鉄道発祥の地、横浜には重要な記念日といえるでしょう。
今日は
日本で最初の月刊時刻表が発行された日です。
時刻表は、1872年(明治5年)新橋・横浜間に日本初の鉄道が開業した時から存在していました。
『鉄道列車出発時刻及賃金表』が駅構内などに貼り出される程度でした。
全国に鉄道網が拡大するにつれて、
情報量が増え冊子体の時刻表が必要となってきました。
1872年(明治5年)10月14日(旧暦9月12日)に鉄道運行が正式開業してから
『時刻表及賃金表』が本町六丁目の横浜活版社から発行されます。
http://www.kaikou.city.yokohama.jp/kids/bunmeikaika/d3_01.html
※横浜活版社に関しては調査中です。
横浜の活版史として 別途紹介します。
「横浜毎日新聞」も横浜活版社から発刊されました。
『時刻表及賃金表』これが日本初の市販時刻表といわれています。
そして、運行ダイヤの最新情報を提供する定期刊行物として
月刊時刻表が1894年(明治27年)10月5日に発刊されます。
手塚猛昌が経営する庚寅(かのえとら)新誌社が刊行した「汽車汽船旅行案内」です。
この時刻表は福澤諭吉がイギリスの時刻表を元にし編纂させ、手塚猛昌が発行したものです。発車時刻や運賃のほか、紀行文等も掲載されていたそうです。
編集した手塚猛昌(てづかたけまさ)は
長州が生んだ“日本時刻表の父”と呼ばれています。
因みに
日本交通公社の時刻表は、
1925年(大正14年)4月に創刊されました。
●1896年(明治29年)の今日
「東海道鉄道工事ならびに停車場位置に関する陳情書を提出する。」
これもかなり深い鉄道ネタです。
1881年(明治14年)5月7日に新橋駅〜横浜駅間の複線化が完了します。
1887年(明治20年)7月11日に横浜駅(初代)〜国府津駅間が延伸開業しますが、その間の駅は程ヶ谷駅(現在の保土ヶ谷駅)・戸塚駅・藤沢駅・平塚駅・大磯駅・国府津駅で
ほぼ現在の駅に近いものです。
1896年(明治29年)の今日出された陳情書は
神奈川駅〜程ヶ谷駅間の変則ルートを直線化する計画が出され
軍用短絡線を陸軍省から譲り受けることが決まったことに関するものだと推察できます。
二年後の1898年(明治31年)神奈川駅〜程ヶ谷駅間の短絡線が開業し、東海道本線となります。この時期に横浜〜茅ヶ崎駅間が複線化されます。
※逆に神奈川駅〜横浜駅間、程ヶ谷駅〜横浜駅間が支線扱いとなります。
→このあたりも 一度整理して 紹介したいと思っていますが
簡略マップ作成の時間と気力が中々できないので 保留中です。
●1967年(昭和42年)の今日
横浜市議会「全員協議会は派大岡川等河川の埋め立てについて審議」
この話しは、かなり面白い(個人的に)ネタであること、
派大岡川を語ると吉田川も語る必要がある。
当然大岡川を含めた
横浜運河物語に発展していきます。
さらには市営地下鉄、首都高速、根岸線まで絡んできます。
→とういうことで現在傍系資料やら 現地調査やら進行中です。
今月中に一定レベルでまとめ 紹介したいと考えています。
●1892年(明治25年)の今日
横浜市立本郷小学校
横浜市栄区中野町16番地の1
1892年(明治25年)10月5日の今日
鎌倉郡本郷村立尋常高等本郷小学校が創立しました。
開港時の児童数は269名でした。
昭和14年4月1日本郷村が横浜市に編入され戸塚区になったことに伴い横浜市本郷尋常高等小学校と改称します。 児童783名
明治20年代の創設は 新しい方?
横浜には結構歴史ある小学校が多いのです。
No.144 5月23日 教育熱は時代を超えて
●1907年(明治40年)の今日
早稲田大学野球部は横浜居留地の外国人チームと東京新宿の戸塚(安倍)球場で試合を行い12-1で勝利しました。
これだけでは【横浜】とあまり関係無し????
さらに調べると翌週にも試合があり今度は横浜で
10月12日に横浜居留地の外国人チームと戦い
3−2でまたまた早稲田が勝利します。
実は 早稲田大学野球部は、この年以外にも
多数横浜の外国人チームと試合を行っていることが
判明。
→1904年(明治37年)
7月2日
横浜居留地外国人チームと戦い28対3で勝利(横浜公園)
4月28日
米国艦船ウィスコンシンチームと戦い7-1で敗北します。
5月25日
さらに米国艦船ウィスコンシンチームと戦い8-7で敗北します。
10月14日
横浜居留地外国人チームと横浜公園球技場で戦い3-2で敗北します。
日程不明
横浜居留地外国人チーム戦9対6にて快勝。
横浜居留地外国人のアマチュアチームと戦い12-2で勝利します。
対米艦チームと戦い5-2で敗北します。
→1907(明治40年)の記録では
9月28日
横浜居留地外国人チームと横浜で戦い10-2で敗北します。
6月4日
米国艦船メリーランドチームと戸塚球場で戦い5-2で敗北します。
5月3日
横浜居留地外国人チームと戸塚球場で戦い12-2で勝利します。